このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
新潟市 寄居浜
![]() | 寄居浜 何十年ぶりの、新潟市の海岸寄居浜はずいぶんの変わりようだった。木々が増え、「文学の砂山」と名付けられた散策の道なども整備されていた。 |
坂口安吾の碑 少年時代の安吾は手のつけられない暴れん坊で、旧制新潟中学時代には、授業に出ないで砂浜で空を見つめることが多かったと言います。高さ2・5メートル、重さ2.5トンの巨岩に「ふるさとは語ることなし 安吾」と彫られています。 | ![]() |
![]() | 「すなやま」の碑 大正11年、新潟市の童謡音楽会に招待された北原白秋は、この新潟海岸の情景を、後に「すなやま」の詩にまとめて新潟の子どもたちに贈った、と言われています。中山晋平と山田耕作がそれぞれ曲を付けましたが、個人的には晋平の曲のほうが好きです。 |
「平和の礎」の碑 護国神社に隣接して建てられたいるこの碑は、「過ぐる大戦において……散華された新潟県関係の軍人軍属在外邦人および内地戦災者のみたまを慰めるため全県民の祈りをこめて建てられたもの」と、建碑の趣意が側壁に刻まれている。インドアッサム州で戦死した私の長兄もここに祀られている一人。 | ![]() |
![]() | 芭蕉堂 芭蕉が『奥の細道』の旅で新潟に立ち寄ったことを記念して、と由来を記した立て札が建っている。 |
芭蕉の句 芭蕉堂の側壁には「海に降る雨や恋しきうきみ宿」の句がはめ込まれている。 | ![]() |
![]() | 蓑塚の碑 立て札に「俳聖芭蕉が元禄二年(1689)7月2日奥の細道の旅で新潟を訪れたおり 古き蓑(雨具)脱ぎすて新しいものに更えたりと言う 後人これを偲んで芭蕉の蓑塚の碑を建てると言われている」とある。 |
寄居浜海岸 かつての白砂青松の新潟砂丘一帯は、現在は西海岸公園として整備されている。松やニセアカシアの林の先に日本海が広がる。荒波の侵食を防ぐブロックやテトラポッドが以前より堅固に見えた。 | ![]() |
![]() | ハマヒルガオ 海岸にはハマヒルガオの花が咲いていた。白秋の「すなやま」にうたわれたグミの木も道路沿いに見られた。 |
会津八一記念館 会津八一は新潟市古町に生まれた。東洋美術史の学者として、また歌人、書家としても有名だ。生家近くにこの記念館が建っている。 | ![]() |
![]() | 会津八一歌碑 記念館前に建つこの碑の歌は、「おりたてはなつなほあさきしほかせのすそふきかへすふるさとのはま」。1981年の建立。 |
会津八一記念館 2階展示室の前には八一の立像が置かれ、年譜が掲げられている。 | ![]() |
![]() | 会津八一記念館展示室 展示室風景。この時の展示は「八一のてがみ」だった。 |
会津八一記念館ロビー 見学していた中学生たちがいなくなったら八一の好んだ静寂が戻ってきた。 | ![]() |
![]() | 良寛の碑 記念館前の林の中には「文学の散歩道」があり碑がいくつかある。この良寛の碑は新潟良寛会が建てたもの。碑陰に平成五年秋、とある。 |
木甫句碑 寄居浜の案内板に平出修の歌碑が記されていたので、そこを尋ねることにしたが、タクシーの運転手が知らなくて、それらしき碑を何箇所か回る羽目になった。2度目に車を停めたのがこの碑の前だった。句は「柳あり橋あり杖のとめどころ」。碑の裏には「ここに西堀ありき」とある。 | ![]() |
![]() | 平出修歌碑 3度目にようやく目当ての碑の前に車が停まった。平出修の歌碑を訪ねてタクシーに乗るような酔狂な客はめったにいにだろうから、運転手が知らなかったのも無理はない。「明星」「スバル」の歌人で啄木とも親交があり、大逆事件の弁護士だったこの人が、新潟市出身とは私も実は知らなかった。これは歌碑の裏側、新潟市長の筆で「平出修先生生誕百年記念歌碑」と記してある。 |
平出修歌碑 碑に刻まれた歌は、「柳には赤き火かかりわが手には君が肩あり雪ふる雪ふる」。 | ![]() |
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