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教材のふるさと——田宮虎彦『沖縄の手記から』
敵の艦砲射撃がまた始まっていた。炸裂した艦砲弾は病室壕を揺すぶり、壕の浅い天井の土をふるい落とし、負傷者たちをうずめてしまうことさえあった。——田宮虎彦『沖縄の手記から』『沖縄の手記から』 |
首里城正門の歓会門。戦火で破壊されたが1974年に復元。
米軍の沖縄上陸は一九四五年四月一日、以後、中・女学校生徒など県民を巻き込むすさまじい戦闘の末、六月二十三日の牛島軍司令官の自害で沖縄戦は終結した、とされている。しかし戦争が本当に終わるのはずっと先のことだった。 |
たとえば、現行教科書の中にも「戦闘は9月7日までつづいた」(『中学社会』日本書籍)という記載を見ることができるし、「約九千名の敗残兵を倒し約三千名を捕虜にした」という米軍戦史や、十月二日に投降した国頭(くにがみ)支隊長の命令文書を示して、沖縄戦の終結時期に疑問を投げかける人もいる(嶋津与志『沖縄戦を考える』)。 |
国語の教材が沖縄や沖縄戦に触れることはまれだが、意欲的な採録をした教科書があったし、今もある。その一つが田宮虎彦の『沖縄の手記から』を載せ続けている尚学図書版の高校現代文だ。田宮の作品は、海軍軍医K氏の手記を素材とした長編小説で、負傷兵を見捨てることができずに壕にとどまる看護婦と、米軍の砲火に追われて小禄基地から南下する軍医が出会う場面が採録されている。暗く重い主題だが、沖縄戦をとおして、戦争の実態を伝えようとするそのこだわりは貴重だ。 |
沖縄には何度も行った。空と海の色には行く度に魅せられるし、久米島や西表島(いりおもてじま)では水中眼鏡越しに魚影を見る楽しみを知り、沖縄料理や泡盛古酒の味も覚えた。木枯らしの吹く東京を後にして、那覇の観光バスの冷房に驚いたこともあった。しかし、沖縄はやはり基地の島だ。通りすがりの観光客にも、その厳しい現実が否応なしに目に入ってくる。 |
若いころに英国の香港(ほんこん)租借期限が百年と知って呆然とした記憶があるが、沖縄の米軍基地も既に半世紀を越えた。返還期限は示されていない。沖縄の「戦後」が本当に終わるのはいつのことか。ため息が出る。 |
『月刊国語教育』2000・8月号
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