このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●貨物列車の終焉

昭和52〜53年(1977〜78)頃

画像:240ピクセル幅・全12枚


名鉄瀬戸線が栄町駅延伸乗り入れを果たしたのは昭和53年(1978)8月。それを前にした2月には、瀬戸自動鉄道開業以来続いた貨物列車の営業に終止符が打たれた。
昭和53年になると、数両の貨車を従えた編成を見ることもほとんどなくなった。
いずれも、尾張瀬戸駅構内・瀬戸市役所前駅構内または付近にて撮影。私の小学6年に相当する。

瀬戸市役所前駅の、延長・嵩上げされた下り(尾張瀬戸ゆき)ホームと、工事に着手された上り(土居下方面ゆき)ホーム。
下りホーム竣工後、上りホームの着工までには、しばらくの空白期間があった。別の写真(昇圧の足音01.JPG)と比べると、架線柱も真新しいコンクリート製の物に建て替えられたのが判る。
彼方に、陶生病院の旧病棟が見える。02freight-03.JPG
改良前の未舗装の上りホームを、デキ202単機回送がゆく。キャブの後部に車掌?も便乗している。02freight-05.JPG
デキ202単回の後部を追っつけ。赤色円盤を掲出している。02freight-06.JPG
瀬戸市役所前駅ホームを西方(新瀬戸寄り)から見る。02freight-07.JPG
尾張瀬戸駅で、パンタグラフを下ろして待機(駐留)するデキ201。社線内用の車掌車(有蓋緩急車)を従えており、貨物輸送自体が終焉を間近に沈滞していることが偲ばれる。02freight-09.JPG
デキ201を、角度を変えて。フェンスと看板の隙間からなので見苦しいが。西日のため、車体の無骨なディテールが強調されている。02freight-10.JPG
まだ国鉄車籍の黒い貨車がたむろしている。しかし上の写真(09.JPG)で見られるコンテナがしばらくこの場所に置かれたままであったことを含め、線内における貨車の役割は終わっていたと見てよいだろう。02freight-11.JPG
瀬戸市役所前駅、上りホーム施工部。

電柱には
55
55
55

以下不明
手前の標識には45
R180
とある。

カーブ半径=180m、制限速度=45km/hは解るが、その他の標記の意味と、数値の相違は「?」  02freight-12.JPG

当時瀬戸線唯一にして最後の両運転台旅客車両、モ759を先頭にした急行土居下ゆき。モ702ともオール電動車で2丁パンタ、緑色の3ドア2両編成が颯爽と走る。

昭和48以降はあまり走行の機会はなかったが、レトロなイメージを残しつつも、この時点ですでに乗降扉は自動化されていた。車内塗装を含む全般検査の施工(昭52春頃か?)を経て、いよいよ昇圧の近いのが感じられたこの時期以後、緑色の編成は元気な姿を披露するようになった。600V末期にはHL車3700系の1編成が本線に返却されて、予備車が減ったのも影響していたかも知れない。

前面は、行先表示は在来のブック形(左右に方向板をめくって金具で止めるタイプ)ながら、種別表示は現行(といっても本線の5500・7700系しか残っていない)のカード式となり、円盤による「特」といった表示は過去のものとなった。尾張瀬戸〜瀬戸市役所前 02freight-13.JPG

瀬戸市役所前駅付近の桜川橋梁を渡る、デキ201の上り単機回送。02freight-15.JPG
同じ場所を行く、モ759(手前)の尾張瀬戸ゆき。手前の、白く塗られたタイヤが名鉄流。たいていは、橋梁の前後の犬走り(線路脇)等に設置してあるようだ。02freight-16.JPG
折り返してモ759を先頭にした急行土居下ゆき。上の写真(13.JPG)のやや尾張瀬戸寄りの地点。沿線の工場建造物も現在では廃業したのか撤去された。02freight-17.JPG


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