このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●昇圧の足音

昭和52年(1977)3月頃

画像:240ピクセル幅・全10枚


名鉄瀬戸線が栄町駅延伸乗り入れを果たしたのは昭和53年(1978)3月。その1年前の記録。
路線施設の改良が着手される中、引退組を含めた600ボルト用車両は坦々と働いていた。
本稿をまとめている際に気が付いたが、各文献の、600ボルト末期における記述に幾つかの相違が見られた。本稿は私自身の撮影を基にしており、矛盾を排除したつもりである。

瀬戸市役所前駅

ホーム延長・かさ上げ工事中の下りホーム。他の駅でも、瀬戸方面ゆき下りホームからの施工が多かったように記憶している。06zokyo-01.JPG

ク2302ほか

陶生病院旧病棟の前を行く、尾張瀬戸ゆき。900形編成のうち、昇圧まで2両ともに白帯の残った編成は、このモ902+ク2302のみ。それも、補修でアバタが多く、一部のドアは赤一色となっている。
春の穏やかな陽気となり、いくつかの窓が開いている。(新瀬戸〜瀬戸市役所前)06zokyo-02.JPG

喜多山駅構内

この日は、モ702+モ759の緑色編成はお休み。06zokyo-03.JPG

モ759

特急を示す「特」の円盤付き。この時期、2本ある700形の編成は、1本が特急(急行)仕業に就き1本が入庫だった。
名鉄の緑色の電車は、種別表示に円盤を使用するのが伝統であったが、おそらくこの後すぐの「急行」復活時であろうか、他車(3700系等)と同じ長方形の物に変更された。06zokyo-04.JPG

モ702

上のモ759と編成をなす、相棒。車庫の入口には「春の火災予防運動」と掲げられている。この老朽建築は今(2002)も現役だ。06zokyo-05.JPG

喜多山で出会う車両たち

右から、入庫中の750形・3700系の向こうを、700形の編成(ク2326)が通り掛かる。06zokyo-06.JPG

900形ほか

写真では判らないが、900形の方向板に「急-土居下」とあるのを発見。当時営業していたのは「特急」であったから、急行への格下げを予告するシーンであった(名鉄は昭和52年3月20日改正で、本線を含めて優等列車称号の見直しに伴い、特急は原則として料金を徴収する列車を指すようになった)。06zokyo-07.JPG

喜多山で出会う車両たち

右から、入庫中の750形・3700系の手前を、900形の編成(ク2300形)が通り掛かる。言わば600Vの「三英傑」揃い踏みか。06zokyo-08.JPG

事業を記す看板

「昭和52年末完成 総工事費12億円」とあるのはあくまでも「輸送力増強工事にまつわる1500ボルト昇圧・架線強化」についての事か。栄町乗り入れの実現は難工事ゆえか当初見込みより遅れ、工費も当初予定の150億円を超えて200億円に膨れた。(喜多山)06zokyo-09.JPG

旭前駅

下りホームの延長工事が着手されており、栄町乗り入れ開業後は朝夕の準急停車時に4両用ホームが活躍した。時が下ってその後は新駅舎となり跨線橋が建てられ、様子が一変した。06zokyo-10.JPG


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