汽車旅つれづれはなし
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
---------------------------------------------------------------------- [汽車旅つれづれはなし] 第4号 2001/1/30 ---------------------------------------------------------------------- このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して 発行しています。( http://www.mag2.com/ ) ---------------------------------------------------------------------- 尚、登録・解除は、 http://www.mag2.com/mag2/m/0000043279.htm にて自由におこなうことができます。 --------------------------------------------------------------------- こんにちは。 いかがおすごしですか? 新年のご挨拶にはかなり遅いですが、今年もどうぞよろしくお願い申します。 今日は、昨夏も運転された583系夏臨の乗車記、などをお話したいと思います。 583系も既に過去の車両になりつつありますが、走りそのものは未だ重厚。 いつまでも走りつづけてほしいものです。 それでは、第4回をご覧下さい。 ----------*-------------------- "はくつる81号" は、昭和の香りを乗せて<その1>上野駅14番線ホーム先端。21時過ぎ。 3本の光線が、闇の中に浮かびあがり、交差する鉄路が幾筋も輝く。 静かに、おごそかにすら感じる風格を漂わせ 583系「はくつる」が入線する。 2000年、8月13日。 下り8001M[はくつる81号]として、往年の名車 583系寝台電車の久々の晴舞台。 ゆったりと、重々しくレール・ジョイントの音を響かせながら、 アイボリーとブルーの、新幹線0系にも似た配色の 貫禄あるボディが視界一杯に広がる。 僕は、VTRのスイッチを切り、50mm f1.8を装着した Nikon-FEでクハネ583を撮影した。 絞りを解放すれば、補助光は不要だ。 動いている列車にはフラッシュを焚かないのは基本。 停止したテール・サインに、フラッシュが雷のようにひかり続ける。--------------------------------------------- 9連とはいえ、迫力は充分。 いや、かつて13連でこのホーム一杯に並んでいたことを知りうる者など ここにはほとんどいないだろう... と、僕は、錆だらけのクリーム色のボディを撫でながら、 単端式のホーム先端まで歩いていた。 -------------- 写真はここです。 ↓------------------------------------------ 「いや〜、なつかしいね。」 60くらいのおじさん、上機嫌で話しかけてきた。 どうやら、一杯ひっかけているらしい。 クハネ583のボディを見、 「よく、これで往復したんだよ、"はつかり"で。」 と、感慨深げに。 「それにしても、どこからもってきたんだろ?国鉄色なんて。」 「青森に、まだ少しあるんですよ。」 と、僕が返すと、 「ほ〜。大事にしてほしいよな。」 と、先頭車両のヘッド・ライトのあたりを孫でもなでるかのように さすっていた。 ・ ・ ・ 今日は、この列車に乗るためだけの旅。 なんとも贅沢、というか、鉄道好きの旅、というか。 いちおう盆、ということもあって、墓参りなども済ませた。 罰あたりな子孫をお守りください。 583系に乗車するためだけといった、まったく鉄道ファン的な目的の旅行 のため、単独行がよいと思い、誰にも声をかけずに旅行した。 たまにはひとり旅もいいだろうという思いと、583系華やかりしき頃を回想 するといった状況にはひとりの方が適当だろう、との考えもあって。 --------|行程|--------- 8/13小田原->東海道本線->沼津->東京 上野->(583系夏臨)->青森8/14 8/14青森->(はくつるBネ)->東京 ..これ以外は適当にやろう、という。 いつもながらいい加減なスケジュール。 まあ、ひとり旅はこれがいい。 乗車券は青森・十和田ゾーン周遊切符を用意した。 乗ったり降りたりの度、切符を買うのが面倒だからだが、計算上は 青森往復と大差ない運賃だったので、まあよしとしよう。 ---------|切符の手配|-------------- 今回はJR某ツアーズに手配を依頼した。 しかしまあ、最近の世相というか、なんというか。 商売する気の無い女店員(アルバイト?)に応対され、 危うく乗れなくなるところだった。 以前も、この支店で「B個室」を「B寝台」と間違えられたり、 「一階」と「二階」を間違えられたり...。 周遊切符の旅行開始日を間違えられたり(夜行"ゆき券”で、日付が変わり 周遊区間に入るのは翌日だから翌日開始とするべきなのに その前日から開始、になっていた。) いやはや、なんとも。 プロ意識に欠ける対応だ、というか、 客の気持ちを理解していない、というか..。 この時も、FAXで注文した乗車券を受け取りに行った ところ、開店2分前だから、と店内に117番の時報を流し、 客の顔を見ても挨拶ひとつするでなく、全く無視している。 (営業時間前だから、仕事はしない、と言うのであろう。) 上司らしい者が不在のようで、全員そんな感じの女店員であったが...。 とりあえず、店内の投書箱らしきBOXに、状況を報じておいたところ、 数ヶ月後、店員の態度はやや向上したようではあった。 新人を起用して、雰囲気を変え、態度のよくなかった店員は 事務所の方に配置換えをしたようだったが...。 切符の手配は信頼のおける代理者か、自分で入手するべきだ、と思った。 プラチナ・チケットの類ならば、一瞬で売り切れてしまうので それだけで旅行の意味が変わってしまうのだから。 ---------*------------------------ 回想ついでに、沼津機関区の跡地を眺めておこうと東海道で沼津まで戻る。 強羅温泉に行く、という家人と小田原で別れて、「旅」となった。 家族が傍に居ては「旅」にはなり得ないようで、この瞬間から旅行している ような気分になるのはなんとも不思議な感覚ではある。 乗っているのが、211系の近郊電車であったとしても、気分はすでに「旅」 だ。 沼津機関区の跡地は、全く線路の形跡すら見当たらず。 多目的広場と、イベントホールに様変わりしていた。 時代の流れ、ではあるのだろうがどことなく寂しさを覚える。 かつて、扇型の車庫に蒸気機関車が出入りし、転車台のあった辺りは コンクリートで固められた駐車場と、駅裏の小さなロータリーが出来ていた。 かろうじて面影が残るのは、「客車職場」のあったあたりの木柵に使われ ている古枕木と「架線注意」という黄色と黒のプレートくらい。 ヤードの配線は変わらないが、蒸気の煙も漂わず、371系や313系など が留置されていると、かつてここに旧客があったとは思えない風景。 ただ、DE10が当時のまま、薄汚れてディーゼルの煙を吹いていた。 それだけが、往時を思わせる。 無煙化の頃は、憎たらしく思えたディーゼル機が、今となっては懐かしい。 我ながら勝手なものだ。 11:25、沼津始発の普通、113系11連344Mで 東京に向かうとしよう。 とりあえず多客時だから、すわって行くためには始発駅から乗った方が 気分的に楽だ。 11時をいくらか回った辺りで、回送車が到着した。 113系とはいっても、グリーン車などには二階建て車両が混在し すこし編成美を損ねてはいるが、「湘南電車」という語感の相応しい車両も 現存するのはこの113系と165系の一部くらいになってしまったのだから 残っているだけでも貴重だと思う。 そして、113系は定期仕業についているのだから、まったく現役車両。 その意味でもとても貴重なように思える。 ロングシート化改造などされているのを見かけるのは残念だが。 僕の乗った車両は、JR東日本車、昔ながらのクロスシート車だった。 多客期ながら、普通で東京まで行こう、という暇な人物は少ないのか 空席が多い。 発車数分前までに、上り沼津止まりがで2本到着して乗り継ぎ客がばらばらと。 それでもこちらは11両編成なのでまだまだ座席に余裕はある。 沼津以西は短編成にして列車本数を増やしているので、こんな状況になる。 明らかに「鈍行乗り継ぎ」と思われる若者がザックを担いでいるのが あちこちに見られ、なんとなく微笑ましく思える。 他、地元の用務客やら、東京のデパートの紙袋を持っている すぐにそれとわかる地方の婦人とか。 ローカルムードと、近郊の雰囲気が混在したままに、定刻発車した。 113系らしい固いばねの感触が、レール・ジョイントの刻みを そのままシートに伝え、ゆっくりとポイントを渡りながら 車内放送は定例文のような案内を始めた。 列車は、モーターの唸りを響かせてぐんぐん加速して行く。 途中、黄瀬川や竹倉といった鉄道写真の名所を通過するが さすがに113系を撮影する物好きはいないようだった。 丹那トンネルを通過する際、かなり横揺れがするのが気になった。 直線なので脱線の心配は少ないだろうが、かなり速度が乗っている。 このトンネルの中では、113系などでも110km/hくらいで走るから 少し不安だな...と思っているうちに、トンネルを抜けるとそこは雪国ならぬ 相模湾だった。 さて、このまま東京まで向かうと13時過ぎになる。 どこかで腹ごしらえをするとしようか。 などと考えていると、熱海から多少乗客が増え、立ち客もちらほら。 若者のグループが数組、乗降口で携帯電話を使っていた。 しかし、その様が明るくいかにも楽しげであり やはり休日の風景なのだ、と思う。 にぎやかに談笑する様を中年の婦人たちが顔を顰めながら 負けじ、とおしゃべりを始める。 携帯もうるさいが、オバサンのおしゃべりも同様だ。(汗; 昔は列車の中で傍若無人にお喋りなどとは 大人のすることではなかったはずだが。 大人がまず手本を示さねば、と思うのだが、その大人がこれでは 若者だけを責められぬ、と思う。 防音のために持ってきたヘッドホンで音楽でも聞こう。 Richard Teeのピアノ曲が軽快に流れ始めると、気分がすっきりとする。 列車は、海岸線に沿い、トンネルとカーヴの連続する熱海線を走る。 かつては写真撮影の名所であった根府川鉄橋などもリズミカルに越えて。 今朝ほどの小田原駅に戻ってきた。 小田急線のホーム側を眺めると、ホームに人があふれ 新しいタイプの特急車両と家族連れの風景を見、どことなく微笑ましく思う。 小田原で途中下車し、鯵の押し寿司でも求めようか、と思ったが この混雑ではホームで食べる気にはなれず また混雑した車内で弁当を広げるのも少し気が引ける。 このまま、横浜あたりまで行って中華でも食べようか。 などとぼんやり考えながら車窓を眺める。 300系新幹線が、アイヴォリーのボディを輝かせて通過していった。 -------|以下、次回に続きます..|------- -----[あとがき]------------------------------ この冬は例年に無い豪雪で、東北も大変だったのではないか、と思います。 青森に住んでいた頃は、僕らが竹スキーなどで無邪気に遊んでいた傍らを 保線職員の方が忙しげに駅に向かっていたこと、などを今ぼんやりと思い出したり。 ご意見、ご感想、ご指南等お待ちいたしております。 山岡。 --[PR]------------------------------------------------------------- 姉妹誌のご紹介。 メールマガジン「淡彩画」 http://www.mag2.com/m/0000007590.htm 現在、連載小説[city](カーアクションもの)短文物が主体です。 音楽のページでは、古今の名曲のお話しなども。 メールマガジン「ヒト学のかたわら」 http://www.mag2.com/m/0000005981.htm 著者の20年来にわたる人類学研究の過程からの 情報、分析、書物の紹介などが主体。 真面目にヒトの生態を考える方向きの真面目なマガジン。 ---------------------------------------------------------------------- 汽車旅つれづれはなし 第4号 2001/1/30 関連サイト http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5733/583k.htm 掲示板 http://www6.jp-bbs.com/640/board.cgi?room=shoo 電子メールあて先 583k@railfan.forum.ne.jp 発行人 山岡 鉄男 ------------------------------------------------------------------------
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |