汽車旅つれづれはなし
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---------------------------------------------------------------------- [汽車旅つれづれはなし] 第6号 2001/3/25 ---------------------------------------------------------------------- このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して 発行しています。( http://www.mag2.com/ ) ---------------------------------------------------------------------- 尚、登録・解除は、 http://www.mag2.com/mag2/m/0000043279.htm にて自由におこなうことができます。 --------------------------------------------------------------------- こんにちは。 春爛漫の昨今、皆様、いかがおすごしでしょうか。 僕は、というと先日お話いたしました「池上梅園」へ行って参りました。 もう、梅は満開の様子で、爽やかな香り、清清しく。 よい休日でありました。 昨夏のこと、などを思いながら、 あの中華料理店で炒飯などを頂きながら。(笑) 春の一日、皆様もどちらかにお出かけになられるのもよろしいか、と 存じます。 旅のお話など、お聞かせ下さいますと幸いです。 山岡 春の宵、215系“快速アクティー”車内にて。 ----------*-------------------- "はくつる81号" は、昭和の香りを乗せて<その3>池上〜上野、(回想、十和田、八甲田。) とりとめのないことを考えながら、木々の生い茂る参道を下る。 記憶を辿れば、夜行で独り旅、というのは「十和田4号」に乗車した のが始めで、確か...昭和42年頃のことだった、と思う。 始めてが座席夜行というのは、 なんとも鉄道趣味人的に思えるが、 これは、国鉄職員であった叔父の乗務の都合で、そうなってしまったのだが しかし、この座席夜行という独特の雰囲気は、その後の僕の鉄道趣味にかなり 影響を与えたに違いなく、以来、というと夜行のプランを入れるように なってしまう。 この当時の東北夜行の車内、雰囲気はどことなく温かみがあり、 都会育ちの少年であった僕であっても懐かしさを感じさせる、 というなんとも不思議な雰囲気であったことが強く印象に残っている。 四人掛けボックスに座すお互いが、どことなくうちとけあい、 終着につくのが惜しくなるような時間の流れ。 (最近ですと、コーヒーや煙草のCMで欧州のコンパートメントの情景が 流れていますが、丁度あんなイメージでしょうか。) 地域的なコミュニティー、村的な感覚。 「十和田」に乗車した時も、少年だった僕が独りなのを心配し、 「車掌さん、この子、独りで青森まで行くんだと。...宜しく。」 と、気遣い、乗務員に言付け、途中で下車していった婦人。 蜜柑や菓子、おにぎりを勧めてくれた老婆。 独り旅を案じながらも、少年の自尊心を傷つけまい、と 黙って見守ってくれた壮年の紳士。 座席夜行、という独特の雰囲気は、こうした人々の情が滲み出ていた。 ように、思えてならなかった。 今でも、夜行列車には、こうした雰囲気がどこか残っているようだ。 (後述するが、583系「はくつる81号」にも、そうした雰囲気を感じた。) それが、鉄道趣味人の僕を、惹きつける所以であるか、と。 回想しつつ、本門寺参道を川沿いに左折し、池上大城通りに向かう。 いつも寄る銭湯「池上温泉」に入っていこう。と思う。 川沿いに進むと、コンクリートで固められた掘割に、多数の鯉の稚魚が 群れをなしていた。 川が綺麗になったのだろうか。 昭和の中頃は、魚影などみることは稀だったが。 川沿いの舗道は、自動車が通行できないので静かでよい。 10分ほど歩くと、池上通りに当たるので、そこを右折。 最初の信号が大城通り商店街だ。下町風情も、幾分洗練されてはいるが.. それでも、この街並みは未だに昭和を色濃く残す。 500メートルほどで、池上温泉に到着する。「こんにちは。」 という前に「いらっしゃい」と落ち着いた声がかかる。 店の主人。江戸屋猫八にちょっと似た雰囲気、下町の風呂屋に似つかわしい。 「今日は、お参りですか?。」 と、柔らかな言葉で訪ねてくる。 年に数回しか来ない客を、よく覚えているな、と思い尋ねてみる。 彼曰く、子供の頃の僕をよく知っている(この界隈に住んでいたことがあるのです) とか。面白い、手書きの看板があったりする。 娘でもいるのだろうか。銭湯であるが、温泉のお湯を使っている。 「黒湯」である。 「黒湯の由来」という掲示によると、元来、海底の堆積物というから 海草の類いではないかと思えるが、これが長い年月を経て変化したものであるそうだ。 そういえば、千葉県の御宿あたりもこういった「黒湯」である。 江戸っ子っぽく熱い湯に浸かろうか、とも思ったが、湯疲れするので止めておく。 ぬるい方の湯舟から熱い方の湯の温度を探っていると、突然声を掛けられた。 「熱いか?。」 近所の商店主、といった風情の白髪の紳士。 ごくあたりまえ、と、初対面の僕に声をかける。 その自然な接しかたにどこか、かつての「十和田」の車内の雰囲気を思い出し、 ちょっと懐かしくなると同時に、ここにはまだ地域communityが残っているのだ、 と、うらやましくも思う。 自分もかつては、ここの中の「ひとり」だったのだが。 「ちょっと、熱いですね、。」 と僕は少し間が空いたが、返答する。 彼はにやり、と笑い、 「そうだろ、こりゃちょっとどこじゃないな。」 と返すので、可笑しくなり、ふと笑うと、彼も高く笑った。 彼の仲間らしい、同年代の数人、禿頭やら、白髪短髪やら。 みな、一緒に笑うと、湯舟はひとつのcommunityのようだった。 この雰囲気もまた、往時を思わせる。 と、またすこし、かつての常磐線経由の夜行列車のことを回想.... 十和田に乗車した翌年、僕は叔父の乗務に添乗し、八甲田53号に乗車した。 3段式寝台の客車だったから、おそらくは14系だと思われるが、記憶の果てのこと なので、定かではない。 この列車、臨時急行扱いなので運転時間が長く、青森着は正午過ぎ、という のんびりしたダイアで、現在の僕なら長く乗車できると喜ぶところであったろう。 しかし、少年であった僕は、退屈して、最後尾車両のデッキで流れゆく鉄路を眺めて ぼんやりしたり、片付けられた寝台の空席に座り、暇をもてあましたりしていた。 そんなひとり旅の少年は、思い返すといつも周囲の大人たちに守られていたように思う。 この時も、夏休みとあって、家族つれで帰郷、と思しき人々の思いやりに心暖まる思いであった。 子供のひとりが、僕に「遊ぼう」と。 戸惑いながらも僕は(僕も少年だったのだが)歌を歌ったり、ずいずいずっころばしをしたり するであったばかりの幼い友人と、楽しいひとときをすごした。 今思うと、子供たちの親が、僕を気遣って「いっしょに遊んであげれば?。」 と子供に同意を求めていたのだろうと思う。 この当時、他人の子供であろうとなかろうと、大人は子供を気遣い、 また子供もそれを不思議に思わなかったものだった。 都会っ子だった僕は、その感覚に少し違和感を覚えながら。 うれしいような、恥ずかしいような奇妙な感覚を感じ、 ひとり旅、という状況もあって、とても深く記憶した....ようだ。 以来、東北夜行というと、どこか回帰のような想いである。 いや、個人的な記憶であり、普遍性はないのだろうが.... この温泉でのちょっとしたふれあいに、東京の下町は、まだ健在だな、 皆が互いに分かちあうcommunityは、まだあるのだな、と実感し また、自分が汽車の旅にそうした感覚の追体験を求めているようだ、ということも 自認することともなる。 無論、それだけではないが、汽車の旅の楽しさは。 未知の出会い、新たな原体験も数多いのだから。 すっかり気持ちもこころも軽くなり、池上温泉を後にした。 さて、大城通りを蒲田方面に向かうと、そろそろ夕暮れだ。 さきほどの中華食堂もそろそろ開店の時刻だ。 (年中無休、1/1〜3までは休み。 10:00-1400, 17:00-21:00) 蒲田駅までは徒歩でも10分ほど。 そこからさらに京急蒲田駅までは15分程だ。 かなりの距離を歩き、腹も空いてきた頃、到着。 店は、テーブル席のみで、20人ほどでいっぱいにある広さ。 この時も夕食時とあって、ほぼ満席であったが、 中国人の店員、かたことの日本語で「アイセキ、イイデスカ?」 僕はもちろんうなづき、OLとボス、という感じのちょっと意味ありげなカップルと相席する。 彼らは旅姿の僕を警戒するでもなく、ごくあたりまえに無視して揚げぎょうざでビールを飲んでいる。 先程の銭湯の男たちとの差異を感じるが、まあこれが都会というものなのだろう。 しかし、僕の頼んだ水ぎょうざを、店員がOLの前に置いたことから...... 「あ、これ、頼まれたのですか?」と僕が話すと、OL風、一瞬戸惑いながら 「あ、いいえ、わたしのではないです...。」と、「無視」のバリアを崩す。 もうひとりのボス風もそれ以降、こちらを無視して自分たちの話に没頭することはなくなった。 良く食うな〜 ....と、内心思っているのだろうが、ここの店の味の話とか、旅の話などして。 ひょんなことからcommunicationは復帰する(笑) 満腹。 先程の二人つれと軽く別れる。 本当は、彼らもcommunicationが楽しいのではないか?と想像しながら 店の前の路地から、JR蒲田駅へと歩きながら、時刻表をくくる。 まだ6時前なので、それまでの時間、何をしようか、と考える。 尾久客車区へいってみようか、と思ったが、夕暮れでは留置線が見えるわけでもなく。 尾久も、かつて何度か見学させてもらったことがある (それどころか、回送列車に添乗させてもらい、「推進回送」を見学させてもらったこともある。 国鉄時代は、実におおらかなものだった......) 現在は、寝台列車の本数も減ったので夕暮れにいってもあまり面白くはないだろう。 品川へいってみようか、とも思ったが、ここは駅から離れているし... それに、この時間では.... とりあえず、京浜東北線に乗り、東京駅へ向かう。 ホームから寝台列車の「旅立ち」を眺めようか、との思いつきで。 この時刻なら、「あさかぜ」あたりが見られるか、と。 蒲田駅員に周遊切符の行き券を見せると、奇妙な表情で僕を見た。 まあ、周遊切符そのものもあまり普及していないが..... (以前、ここの駅で「東京自由乗車券」を見せると「あともどりできませんよ。」といわれたり、 はては周遊きっぷの行き券なのに「途中下車はできない」とか言われたこともある^^;) どうも、鉄道に興味のない職員なんだろうか。と思ってしまったりもする。 完全民営化したら、どう変化するのだろう? などと、雑踏の蒲田駅から209系に。 もう、電飾がにぎやかに見えるDowntownを後に。 日はとっぷりと暮れ。、なんとなくうきうきとする夏の夜。 シュガー・ベイブの「DownTown」を想起した。 なないろの、たそがれ おりてきて。 まちは、なんだか、うきうき...... だったかな?と自分で微笑みながら。 夜行、ひとり旅は楽しい......。 -------|以下、次回に続きます..|------- -----[あとがき]------------------------------ 583系もそろそろお別れ、だそうです... さびしいですね。 次回、そんな思い出も交えながら583系に乗車します。 ご意見、ご感想、ご指南等お待ちいたしております。 山岡。 --[PR]------------------------------------------------------------- 姉妹誌のご紹介。 メールマガジン「淡彩画」 http://www.mag2.com/m/0000007590.htm 現在、連載小説[city](カーアクションもの)短文物が主体です。 音楽のページでは、古今の名曲のお話しなども。 メールマガジン「ヒト学のかたわら」 http://www.mag2.com/m/0000005981.htm 著者の20年来にわたる人類学研究の過程からの 情報、分析、書物の紹介などが主体。 真面目にヒトの生態を考える方向きの真面目なマガジン。 ---------------------------------------------------------------------- 汽車旅つれづれはなし 第6号 2001/3/25 関連サイト http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5733/583k.htm 掲示板 http://www6.jp-bbs.com/640/board.cgi?room=shoo 電子メールあて先 583k@railfan.forum.ne.jp 発行人 山岡 鉄男 ------------------------------------------------------------------------
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