このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昔、ボンネットバスの思い出

ボンネットバス・・・。
1960年代までは、バスだけでなくトラックもボンネットタイプが多かったものです。
1963年生まれの私は、小学校低学年の頃まで走っていた地元・三重交通のボンネットバスをよく覚えています。
親の田舎が名松線沿いの一志郡美杉村(市町村合併により現在の津市美杉町)なので、そこまで行くにはマイカーか国鉄名松線かバスでした。
父親が仕事の時は運転免許がない母親に連れられて美杉村に行ったものでしたが、このときは国鉄名松線かバスでした。
そしてバスの場合は、津市中心部の三重会館前から丹生俣行きのバスに乗車するわけですが、このときしばしばボンネットバスが入ってきました。それもワンマンでなく車掌付き。

通常のキャブオーバーのバスと比べるとボンネットがある分、車内は狭いですが、運転席の横に乗客用の特等席があり、ここに座って前方の景色を見ることが好きでした。
土曜日の午後ともなると、途中、一志町内の小学校低学年児童が大勢乗車する場面があり、わいわいガヤガヤ、大変微笑ましい車内でした。

また、三重交通のボンネットバスはいすゞBXD30の中でもフロントガラスが逆台形の独立2枚タイプで、このためワイパーが上から下に向かって作動するので面白かったです。たまに左右のワイパー作動速度が違うこともありましたので、雨が降ってくることを期待したりしました。
名松線の踏切があると、踏切直前で一旦停車し、そして車掌が折戸式の手動扉を開けて降り、徒歩で線路の向こうまで行き、左右の安全を確認した上でバスの運転手に合図し、バスは踏切を渡ることになります。
踏切を渡っている間は扉は開いたままで、踏切を渡りきったところで車掌が飛び乗るという、子供にとっては興味深々の儀式でありました。

このようなことを繰り返してバスは名松線の伊勢竹原駅に到着するのですが、丹生俣行きはそのまま直進するのでここで別のバスに乗り換えるということになります。行き先は川上行きで、そのバスで伊勢八知駅前まで乗って親戚の家に行くのでした。
バスを降りて、後部3枚窓のボンネットバスを見送るとき、発車時は必ず「プッ」とクラクションを短く鳴らしました、独特のエンジン音とともに紫っぽい排気ガスをどっと吐き出して動き出すシーンは忘れることが出来ません。
 
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