このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国鉄時代の名松線(1987年3月迄)
名松線が伊勢奥津まで全通したのは1935(昭和10)年です。
その後、日本国有鉄道がJRとして分割・民営化される1987年までの画像をこちらにまとめました。

▲全通時の伊勢八知駅前の様子です。蒸気機関車(C11形)が客車を引いていました。自転車を押しているのは私の祖父です。 (1935-12-5)
▲1965年に全列車が気動車になり、無煙化されました。画像はキハ30とキハ55の列車です。 (1980-1-4 伊勢八知−比津)
 
▲比津駅を出るキハ55+キハ40 (1980-1-3)
▲同じく、比津駅を出るキハ55+キハ30 (1980-1-3)
▲夕日を浴びて伊勢奥津に向かうキハ55+キハ30 (1980-1-2 一志−井関)
▲紀勢線の客車(オハ61)から隣の名松線ホームの列車を撮影 (1981-3-20 松阪)
▲1982年8月1日の台風10号による災害で一時全線不通になり、中でも伊勢竹原〜伊勢奥津間は10ヶ月もバス振替輸送が続いた。 (1982-8-30 伊勢奥津)
▲キハ402133の横から (1982-8-30 伊勢奥津)
 
 
▲同じく後方のキハ58側から (1982-8-30 伊勢奥津)
 
▲比津駅のすぐ隣でも土砂崩れがありました (1982-8-30 比津)
 
▲伊勢八知と比津の間は数箇所にわたり大規模な土砂崩れが発生し、完全に線路覆ってしまいました (1982-8-30)
▲伊勢鎌倉と伊勢八知でもこんな被害が。作業小屋の基礎以下が流失しました (1982-8-30)
▲1982年の災害で最も甚大な被害があった雲出川への線路流失現場 (1982-8-30 伊勢竹原−伊勢鎌倉)
▲線路が飴のように曲がって雲出川に落ちています  (1982-8-30 伊勢竹原−伊勢鎌倉)
▲正月に再び訪れました。伊勢竹原で折り返し松阪行きとなる列車 キハ30+キハ53  (1983-1-2) 
▲同じく線路の反対からカラー写真で撮影 (1983-1-2 伊勢竹原) 
 
▲さらにキハ535側から撮影 (1983-1-2 伊勢竹原) 
 
▲やがて家城方面に走っていきました  (1983-1-2 家城−伊勢竹原)
▲次に来たのはキハ58+キハ40 (1983-1-2 家城−伊勢竹原)
 
▲同列車が終点の伊勢竹原に入るところ  (1983-1-2 家城−伊勢竹原)
▲1983年6月1日、10ヶ月ぶりに全線復旧となり、地元で使用された大型硬券乗車券。
サイズは11.6cm×5.0cmで、焼き杉の台板とともにセットで記念品になりました。

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