このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1984 3/5〜3/17
東北ワイド周遊券でローカル線めぐり④
 
 
▲日中線のあとは、1225レで五泉まで行き、蒲原鉄道を訪問。 (3/14 蒲原鉄道・村松)
▲村松駅にはこんなに可愛らしいスタンプがあった。
 
▲モハ12は蒲原鉄道開業当初の生え抜き車両で1930年製。 (3/14 蒲原鉄道・村松)
▲車庫の中には山形交通からやって来たモハ91(左)もいた。 (3/14 蒲原鉄道・村松)
▲モハ31 (3/14 蒲原鉄道・七谷〜冬鳥越)
▲モハ12 (3/14 蒲原鉄道・七谷〜冬鳥越)

▲七谷での交換風景 (3/14 蒲原鉄道・七谷)
 
 
▲蒲原鉄道のきっぷ。
 なお、この日は新潟市内のホテルに宿泊し、友人と心ゆくまで飲み交わした。
▲翌3月15日、いよいよ帰途につく。飛行機で行けば新潟から名古屋までわずか1時間だが、そうは問屋がおろさない!? DCと旧客に乗って五泉まで往復の時間調整、そして急行「佐渡4号で上野へ。
▲急行「佐渡4号」のきっぷ。あらかじめ名古屋市内の八田駅で友人に買ってもらったもの。
 
▲新潟の駅弁を買い込んで、車内で楽しいひととき。これはおつまみなのだ。上野には18:50着。この日は代々木ユースホステルに宿泊。
 
▲翌3月16日は、朝から都心でも積雪があった。このあと、一部区間で別料金を払って、旧国が走る大川支線へ。そしてこの日は真鶴ユースホステルに宿泊。 写真はクモル145(3/16 新宿)
翌3月17日、真鶴から沼津、清水を経て清水港線に乗車。清水港線のりばはかなり離れた場所だった。 ((3/17 清水港線・清水)
▲清水港線の621レは旧客4両とタンク車4両をDE11が引く 
 
▲富士山に向かって進む混合列車 (3/17 清水港線・折戸−三保) 
▲終点・三保に入る混合列車 (3/17 清水港線・三保) 
 
▲三保駅の外観
▲清水港線乗車の記念に買った乗車券
▲清水港線は1984年4月1日に廃止された。
私が訪れたのは、廃止まで2週間前というタイミングだったが、
その割にはファンの数は少なく、平和なものだった。
▲清水港線の起点と終点の駅の入場券
 
 
▲帰りは、うなぎ飯を食べて、鉄分を補給。清水から静岡、浜松、豊橋、名古屋を経て津に戻った。いくら若い学生だといっても旅の終盤はヘトヘトだったので、久しぶりのご馳走だった。

終わり

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