このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2002.7.31.
沖縄本島旧型「730バス」ウォッチング
沖縄の730車を見るため、早朝の那覇バスターミナルに行きました。
当時の沖縄には鉄道(モノレール)がなかったので、バス乗り場は各社多様のバスで大賑わい。
ここで紹介しているバス事業者名は2002年当時の名称ですので、現在と相違するバス事業者もあります。
※730バスとは?
戦前の沖縄は日本国内の他地域と同じく自動車は左側通行であったが、沖縄戦終了直後の1945年6月24日にアメリカにより右側通行に変更されていた。日本本土とは逆の右側通行であるという状況は、1972年の日本への復帰後も6年間続いたが、ジュネーブ交通条約(または1949年交通条約、1949年制定)の「一国一交通制度」による条約遵守の立場から、1978年7月30日をもって県内全域で左側通行に変更されることになった。沖縄の日本本土復帰を象徴的に示す一大プロジェクトであった。

路線バスは、乗降口を車両の右側から左側に変更しなければならないため、当時の乗合バス事業者であった琉球バス、沖縄バス、那覇交通、東陽バスは国や沖縄県からの補助金を受け、右ハンドル・左側出入口のバスを1000台以上新車で導入した。これらの車両を特に730車(両)(730バス)と呼ぶことがある。  (出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)
  
▲朝の那覇バスターミナルには、各社多様のバスが集合

 
▲那覇交通の銀バス。当然、1978年に導入された730バスです。銀バスとはボディカラーが銀色だから。

 
▲那覇交通の銀バス (国際通りにて)
▲那覇交通の銀バス (沖縄県庁付近)
▲那覇交通の銀バス
▲那覇交通の銀バス 1970年代を感じさせる外観 
那覇交通の銀バス
カラーリングが違いますが、これも那覇交通の730バス
▲那覇交通  (国際通りにて)
那覇交通のレインボー色は主に郊外線で活躍  (国際通りにて)

▲那覇交通 (沖縄県庁付近)
▲那覇交通銀バスの番外編カラー (沖縄県庁付近)
▲琉球バス
▲東陽バス
▲那覇交通 730車ではありません (沖縄県庁付近)
▲沖縄バス
▲琉球バス (沖縄県庁付近)
▲沖縄バス (那覇バスターミナル付近)
▲沖縄バス
沖縄バス
 
  わが人生・旅の覚えTOPへ  

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください