このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

心経山頂と大師堂周辺の松枯れ
2年前の松(心経山頂上から青木港と手島・小手島を望む 2008.5.4)
今の松(頂上から同じ方向 2010.1.18)
2年前の松(心経山頂上のから甲路の谷を見下す 2008.5.4)
今の松(頂上から同じ方向 2010.1.18)
 酸性雨の進行と共に、松の枯死が急速に進んでいます。心経山の頂上に繁茂していました松が枯死し、直射日光と風雨に直接曝されて腐葉層が消滅して、土が雨に打たれて流出しています。残された岩石は、不安定な状態で積み重なっています。
 南海地震が発生すれば、頂上の浮き岩石の落下が引き金となって、石切り場から段切りもない素肌の山腹に捨てた大量のザク山(左写真の傾斜約48度、大量に捨てたのは昭和南海地震後)が崩壊して青木地区の中谷斑を圧し潰し、埋められる心配があります。(4/7)
 天武南海地震M8.0-8.3(684.11.29)の発生から記録があり、昭和南海地震M8.0(1946.12.21)まで9回発生している。周期は(1946-684)/8≒158年となり、記録の2回目を684+158=842年に発生する予測が仁和南海地震M8.0-8.5(887.8.26)として発生し、平家滅亡(1185)の前に康和南海地震8.0-8.5(1099.2.22)が、平家滅亡直後に正平南海地震8.0-8.5(1361.8.3)が発生している。
 空海の誕生日774.6.15から、842-774=68年が68歳に当る。空海修行の88ヶ寺が、四国の海岸と山岳にあり、最後の地に高野山を選び入定(835.3.21)されています。 2010.1.18
屋敷の周囲に見かける大石と神参り
大石稲荷神社地神社水神社
屋敷の築上に組み入れられた大石
 屋敷入口の大石に「大石稲荷神社 十六代」と祖父が刻んである。屋敷の上手の大石を拝むように「地神社」を、大石稲荷神社と反対側の大石に囲われた井戸が掘られ水神社を祭られている。屋敷の石垣にも大石の自然石が取り込まれている。
 心経山から大石の崩落があったのでしょう!青木浦の大災害に空海が護摩堂を建立して供養されたと、言い伝えられて大師祭りを催し続けています。
 自然の雄大と怖さ、人間のちっぽけさを悟り、護摩堂と大師堂をお祭りして、山火事や伐採(5世紀頃に築窯技術が渡来)から松を守り、地名も青木と呼ばれ、急斜面に住む人々が松林に守られてきました。
 松は過酷な岩場にも生え、大木に成長します。恩返しに真心を尽して、瀬戸内海国立公園の景観・自然環境を慈しみ、島民を守る松を残し伝えませんか! 2010.2.10
松枯れの予防

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