このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 平成19年2月12日(祝) 二子塚古墳


姉崎古墳群中の3基ある100mを越す前方後円墳の一つの二子塚古墳は、表面すべてを藪というか小笹に覆われているので有名でしたが、最近たまたま仕事で近くを通りかかったときにみると、その藪がキレイに刈り取られていて、下の方では工事をやっていたので、一度行って見なけばと思っていたところでしたので、12日は休日だし工事もやってないだろうと思って午後から出かけてみた次第でした。
 
 ちなみに、二子塚古墳は、低地の砂丘上に立地する前方後円墳で、全長106m。昭和22年の発掘調査で、鏡、首飾り、銀製腰佩等豊富な副葬品が出土し、またそれに先立つ昭和20年に偶然出土した石枕(国学院大学蔵)は、国の重要文化財に指定されています。築造年代は、5世紀の半ばごろ。



 参考リンク): 姉崎のバーチャル資料館  「姉崎郷土資料館」  


 地図




 刈り取られキレイになった二子山古墳の様子


旧道側(海側)からの案内板のある定番の入り口付近

こちら側は、すぐ近くまで住宅が建てこんでいるので、
休日ということもあり付近の住民の車が停まっていた。


前方部の端からの眺め

途中まで登って下を見ると、休日でも工事中だった。


前方部の一番高い部分から後円部の高い方の眺め


前方部の一番高いところから山側の下に降りて後円部方面を見たもの。


二子山古墳の周辺が整備されたら、ぜひ花の名所にしてほしいものだと思う。


後円部の高いところの端に小さな祠がある。
ちなみに、後方の住宅街のさらにはるか後方の山の上に
国分寺台の市原市役所の大きな建物が見えている。


上の写真とほぼ同じような位置の後円部の端から、
下の方の荒地(元は田んぼだったか)を見たもの。


刈り取った跡を野焼きしたのは黒焦げた様子からわかっていたが、
さらに下を覗き込むと、人が数人いて煙が上がっていた・・・
おそらく今日の午前中に野焼きしたのだと初めてわかった次第だ。


午前中に野焼きしたものらしかったが、もう午後からのいい時間なので、
燻っているところをならして消火しているものらしかった。


そういえばまだあちこちで煙が出ていた・・・


後円部の高い部分から、海側のJR姉ヶ崎駅からも近い姉崎の住宅街を見る。
また、はるか後方に見えている煙突群が、
戦後に埋め立てられて突如出現した石油化学工場の煙突群。
そういうわけで、この煙突方面の眺めが万葉集に
海上潟(うなかみがた)と歌われたところなのだ。

夏麻引く 海上潟の沖つ渚に
    舟は留めむ さ夜ふけにけり


こちらは上の写真とは反対の山側の眺めで、
手前の住宅のすぐ後ろを平成通りが開通予定で、
その後方の山のこんもりとした部分が、
こちらは130mの前方後円墳の桜の名所でもある姉崎天神山古墳。


平成通りがここまで来た・・・
もっとも開通しているのは、一番上の地図でいうと、
姉崎神社の先の信号付近までだが。


平成通り開通予定地から二子塚古墳を見る
右が後円部で、左が前方部。


前方部と後円部の山側の接合部分にあった「千葉県指定史跡」の碑



 参考): 近くの史跡


参考リンク): 日本ユニシス関西支社  万葉ウオーク「夏麻引く海上潟コース」


今津朝山の春日神社。
右手の大木の周りの柵の中に蝦夷征伐で戦死した
田道将軍の墓という伝承のある瓶塚がある。


イボ取りと受験に霊験あらたかな今津朝山の田中地蔵尊


今津朝山の鷲神社

江戸時代の終わりから明治30年代まで
酉の市で殷賑を極めたそうだ。


潮見通りから別れ鷲神社の前を通り、数百メートル続く今津朝山のメインストリート。


     

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