このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
真備町と言えば箭田大塚古墳や吉備寺、琴弾岩など、古墳時代から奈良時代の遺跡がたくさん残されています。
しかし、鎌倉時代から室町時代の仏教遺跡もたくさん残されています。今日はその中で、石造物3体をご紹介しましょう。
注:写真の転用は禁止します。
堂応寺宝篋印塔 国指定重要文化財 真備町大字辻田堂応寺 指定昭和四十年五月二十九日 概説 花崗岩製、基礎、塔身、笠、相輪の各部ともそろっている。基礎は四面とも無地のままで正面に次の刻銘がある。 正和三年○七月十二日 (注:○=勺甲) 勧進聖人覺圓起立之 塔身の四面には月輪内にキリーク(阿弥陀)タラーク(宝生)ウーン(阿しゅ)アク(不空成就)の種子を刻む。笠は六段型で四隅の突起はニ孤様式とし、ほとんど垂直に立っている。相輪は太くて逞ましい。鎌倉時代後期正和三年(一三一四)の造立で、在銘の宝篋印塔としては県下で最も大きい。 基礎 高さ 79センチメートル 幅 108センチメートル 塔身 高さ 59センチメートル 笠 高さ 84センチメートル 軒幅 109センチメートル 相輪 高さ 104センチメートル 総高 326センチメートル 真備町教育委員会 | |
満願寺宝篋印塔 県指定重要文化財 宝篋印塔一基 吉備郡真備町辻田古屋敷 指定 昭和三十一年四月一日 花崗岩製基礎 塔身、笠、相輪ともそろっている。 相輪は二つに折れたものを継いでいるが原石のままである。 基礎に刻銘のあとがうかがわれるが判明できない。 月輪内に薬研彫した四仏種子を配し笠の四隅の突起わずか外へ開いている。 満願寺はいつの時代かわからないが高梁川洪水で流出しこの塔だけが残り森泉寺で管理している。 造立の時代は様式からして鎌倉末期か南北朝と推定される。 真備町教育委員会 | |
下原の磨崖仏 岡山県指定重要文化財 昭和34年3月27日指定 地蔵菩薩六体と不動明王一体が彫り出されているこの石仏は、向って右から、第二と第三、三と第四の像の間に、後に記したような刻銘があります。 これによるとこの石仏は、室町時代の応永五年(一三九八)八月、大願主道清が、十方の男女信徒の合力を得て、法界衆生の利益のため造立したものとわかります。ただ、不動明王は、地蔵と比べると、彫り方に違いが認められるため、年次が前後するとみる説もあります。 地蔵菩薩は、釈迦が入滅して、弥陀仏が出世する間の末法の世に六道を回って、そこに迷う衆生を救済すると説かれた仏で、中世に盛んに信仰されました。 そして、この磨崖仏のように、天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄の六道にわたる地蔵を一度に造立信仰したものが六地蔵と呼ばれるものです。 刻銘 恭借十方信男信女力労為法界衆生利益故 (梵字)応永五戌寅八月 日大願主道清 昭和五十七年三月 総社市教育委員会 |
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