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寛永19年(1642) | 勝隆、長尾外新田(32ha)を開発 |
寛永20年(1643) | 勝隆、乙島村矢出に船着場を築造して問屋を作る・・玉島港の始まり |
正保年間(1644〜47) | 船穂新田(260ha)を開発(西高梁川の出現) 勇崎内新田(50ha)を開発 |
万冶元年(1658) | 勝隆、阿弥陀島に羽黒宮を造営(玉島新田開発成就祈願) 翌年(1659)玉島新田(219ha)が完成 |
寛文5年(1665) | 勝宗(かつむね)、羽黒宮社殿改築(羽黒大権現と改称)、清滝寺建立 (玉島新田村に港町が形成される) |
寛文6年(1666) | 勇崎外新田(60ha)・黒崎内浜新田(32ha)を開発 |
寛文12年(1672) | 阿賀崎新田(172ha)を開発、高瀬通し築造開始 |
延宝2年(1674) | 高瀬通し完成 |
延宝4年(1676) | 阿賀崎新田村新町土手に港問屋・蔵屋敷の町造り始まる [元禄年間中頃(1695頃)完成] |
元禄5年(1692) | 勝美(かつよし)、羽黒大権現に六角石灯籠一対寄進、清瀧寺本堂建立 |
元禄6年(1693) | 勝美卒、水谷家断絶 |
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