このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



新町通り駐車場角

川田甕江生家跡の碑
旧大黒屋(甕江生家)


【碑文】
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川田甕江生誕之家跡
昭和44年12月建立
川田甕江遺徳顕彰会
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この碑の東隣に建っている建物が旧大黒屋(現安原家)である。甕江はこの大黒屋で生まれた。
現在もこの建物の格子窓に小さな木札(大黒屋の案内板)がさがっている。
【案内木札銘文】
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大黒屋(川田甕江生家)
江戸時代中期(1800年頃)の建物で綿廻船問屋の店舗として使用されていた。
当家は川田甕江の生家であり、氏は和歌を小野務に学び、儒学を鎌田玄渓に学ぶ。
板倉勝静将軍慶喜に従い江戸に至る。
明治5年三島中州と共に「二松学舎」を起こした。
玉島事変で熊田恰(くまだあたか)の自刃に際し、玉島を戦火から守り、部下の助命嘆願書を
備前藩に提出する草案を作った。
維新後、東宮職・貴族院勅選となり東大の教授・宮中顧問官に任ぜられた。
新町ルネッサンス振興会
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【余談閑話・・金色夜叉と川田甕江】
金色夜叉の主人公お宮は、玉島にゆかりの川田甕江の次女綾子、間寛一は児童文学舎の
巌谷小波(いわやさざなみ)の恋愛事件を尾崎紅葉が小説のモデルにしたと伝えられている。

第7回備中へそまつり(平成10年8月)において、倉敷芸術科学大学演劇部によって
「金色夜叉・玉島版」が上演された。玉島版は熱海の海岸ならぬ沙美海岸を舞台に
繰り広げられた。



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