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2010年9月1日(水)−9月5日(日)   東京観光 2

以上 <゛‾^‾)

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東京観光の第2弾です。
●雷門
まずは浅草周辺から。。。
言わずと知れた 風雷神門、通称「雷門」です。

写真右下の交番の上にある看板が、非常にKY。。。
あえて言いましょう。「ウザいっ!」
ということで、加工ソフトで消しちゃいました。
あしからず。。。
この門や提灯は、松下電器 創設者の松下幸之助氏が寄贈したものらしいです。
提灯にはちゃんと「松下電器」と書いてありました。
もし今 作り直すとしたら・・・
「パナソニック」or「Panasonic」
って書くんですかね? なんか合わない気がしますけど・・・
●仲見世
雷門から浅草寺へとつづく参道です。
午前7時、両側のお店は まだ開いてませんでした。
その昔 太正時代には、この仲見世通りは中央からパックリと割れ、
お店の入り口は天を向き、地下から巨大な飛行艇が飛び出してた
そうです。
残念ながら、今ではその面影は残ってませんでした。
●五重塔(左)と宝蔵門(右)
その昔 太正時代に、この辺りで異形な生物が暴れたことがあったそうです。
●浅草寺
お香にご利益があるとかで、いちおう 頭とカメラにパタパタと。
●揚げまんじゅう
お参りのあとはスイーツ。
ここにお参りしたあとは、必ずコレをいただいてます。
「あげまんじゅう 浅草九重」
今回は、こしあん(手前120円) と抹茶あん(奥170円) をいただきました。

外はサクサクで、中はホクホク。
やけどするほど熱くはなく、食べやすい熱さなので
ほどよく甘みが増して おいしいです。

このお店は、この写真を撮影した近くにあるので、
こんな景色を眺めながら、まったり食べることができます。
その後 9時には、お店も開き 人も増えて、こんな感じに。
こっちの写真のほうが「らしく」見えますね。
●花やしき
浅草寺の隣にある遊園地です。
なんだかこの界隈、キレイになってて下町らしさが薄れてました。

その昔 太正時代には、この花やしきの地下には 軍の秘密基地があり、
兵器開発が行なわれていたり、銀座などへ通ずる専用列車が走っていたそうです。
残念ながら、今ではその面影は残ってないようです。
●ヨシカミ
その昔 太正時代に、歌の歌詞にもなったお店です。
「メトロで行こう」(抜粋)
 ♪メトロで帰ろう お食事はヨシカミで
 ♪安くて おいしくて うれしいな

この曲を聞くと、なぜか花札が思い浮かぶという方もいるとか。

開店前でしたし、それほど安くもなかったのでスルーしました。
なお価格については、今は昔 のようです。。。
●スカイツリー
言わずと知れた建設中の新 電波塔です。
浅草寺からもチラリと見えました。
その昔 大正時代の浅草には、凌雲閣という12階建ての塔があったそうです。
当時では非常に高い建築物で、最上階からはそれはそれは 見事な見晴らしだった
そうです。
残念ながら、その塔は関東大震災で倒壊してしまい その面影は残ってないようです。
しかしながら、このスカイツリーがシンボルとして その役を引き継いでくれること
でしょう。
●上野公園
上野恩賜公園を散策してきました。
その昔 太正時代に、ここで和服姿のうら若き女の子が日本刀を振り回したり、
だれかを待つ海軍少尉がいらっしゃったそうです。
●寛永寺
その昔 江戸時代 天海僧正によって建てられました。
江戸城の鬼門となる上野の地に、このお寺を造ったそうです。
その後 天海僧正は、太正時代 反魂の術によりよみがえったそうです。
●帝国劇場
有楽町にある帝国劇場、通称「帝劇」です。
その昔 太正時代、銀座にあったという大帝国劇場とは無関係のようです。
<総括>
●ご注意
 改めて言う必要も無いかと思いますが、怖いのでお断わりしときます。
 本文中に一部 架空の話しが含まれてます。
 「太正」時代の話しは、すべて「サクラ大戦」のエピソードです。
 本気にされても困るので、一応 ただし書きしておきます。

 「江戸」「大正」時代の話しは、ホントのことです。


●経緯
 浅草には何度か行ってますが、本ページでネタとして使ってなかったですし
 また行ってみようかなぁ〜・・・ということで行ってみました。
 どうせ行くなら、サクラ大戦ネタでやってみようかなぁ〜・・・と。
 で、こんな形になりました。
 軽く流して下さい。。。

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