このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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以上 <゛‾^‾)
九州北部にある大刀洗平和記念館に行ってきました。
改装前に1度行ってて、改装後は今回 初めてでした。
改装前は駅に併設された建物の中に、戦争当時の品などが大量に
展示されていました。
それが改装後は一新され、展示品の数をしぼりキレイにディスプレイ
されていました。
●大刀洗 歴史
大正8年、博多から約30キロメートル 南東に位置する九州北部の内陸部に
「大刀洗飛行場」が完成。
陸軍の航空教育隊が置かれ、その後 飛行場だけでなく航空機開発・製造・補修
なども行なえる陸軍航空部隊の一大拠点として発展。
アジア各方面への中継点としても利用された。
またそれに伴い飛行場周辺も軍下町として にぎわった。
しかし戦況が悪化すると、ここも特攻隊の基地へと変貌。
そして昭和20年3月、米軍のB-29による爆撃などで壊滅的被害を受け
航空拠点としての機能を消失。
その後も飛行場は終戦まで特攻基地として使用。
現在は当時の面影は無く、自衛隊の基地もない。
かつて飛行場だった敷地にはビール工場が建ち、周囲の山々を遠景できる
のどかな地となっている。
甘木鉄道 太刀洗駅
●零式艦上戦闘機三二型
ここにはマーシャル諸島で発見され、
復元された零式戦が展示されています。
この角度だと普通の零式戦。
真横
20mm機銃も展示されていました。
機体番号は「Y2-128」。
前面に大きなガラスがあり、後ろからだと逆光になっちゃいます。
相変わらず胴からシッポにかけて、
スマートなシルエットですね。
真後ろを2階から。
まごうことなき零式戦なのですが・・・
三二型は翼端が丸くない、竹トンボのような四角い翼が
最大の特徴です。
零式戦は計1万機以上造られましたが、この型は343機しか
造られませんでした。
これはそのうちの1機。現存する唯一の三二型機です。
◆翼端
これの前の型 二一型は空母のエレベータを使う際、翼端を50cmずつ
折りたたんでいました。
それは運用上面倒だ 切っちゃえ、ということで造られたのが この三二型。
同時に性能のいいエンジンに載せ換えたため速度などは向上したものの、
航続距離は低下してしまいました。
これはやっぱり翼端の形状に問題がある とのことで、すぐに改良型が
開発・生産されたため、この三二型は計343機しか造られませんでした。
左翼端を眺めていたら、案内の方が教えてくれました。
塗装に刻印?押し印?された「三菱マーク」と「36」。
この機が見つかった時からあるものらしいです。
三菱マークは、まぁ三菱で造られたのでわかりますが、
36は何を意味するんですかね?
あと復元する際、プラスネジが使用されていました。
できればマイナスネジを使ってほしかったです。。。
◆操縦席
ステップに上がってみました。
計器類は所々抜けてましたが、
主要なパーツは残ってました。
◆足掛け
操縦者が席へ上がるための足掛けが、
引き出された状態で展示されてました。
◆着艦フック
床に はいつくばって見てみましたが、ありませんでした。
三二型が戦地に配備された頃は、日本海軍はミッドウェイで主要空母を
多数失ったあとでした。
艦上戦闘機を陸上の飛行場で運用することも多く、不要な着艦フックを
現地で取り外して使用することもあったらしいです。
◆尾脚
外装はキレイに塗装されてましたが、
ここはサビた状態でした。
◆四角い穴
右翼 前縁に四角い穴が開いてました。
拡大
脚収納部を下から。
(館長さんの許可を得て撮影してます)
穴から続いた管(写真中のコレ)が見えました。
これは「操縦席へ空気を取り入れるための穴」とのこと。
この穴の扉を開けると、翼前縁から脚収納部の管を通って
操縦席に外気を取り入れることができる というものらしいです。
暑いけど風防を開けることができないほどの速度で飛んでいる
時や雨天時などに使用したんですかね。
このような機構があったことを、今回初めて知りました。
戦場が過酷な環境であったことを、垣間見ることができました。
●B-29
ちょっと見にくいかもしれませんが・・・
天井に吊られているグレーの金網が、実物大のB-29とのこと。
(零式戦 胴体日の丸の上あたりがB-29の先端、手前が右翼端)
印象としては「意外と小さいな」と思いました。
空飛ぶ巨大要塞というイメージが膨れすぎてるのかも。
立体で見たら また印象変わるかな。
<総括>
●大刀洗の歴史
改装前に行った時は飛行場があった ということはわかりましたが、
その規模や役割などは伝わってきませんでした。
展示品の多さに ただただ圧倒されただけで終わってしまいました。
今回はその点が良くわかり、勉強になりました。
改装前の ものすごい量の展示物も、なるほど 納得できました。
それだけ大きな軍事産業都市がここにあって、それだけ多くの人が
住んでらっしゃった ということだったんですね。
でもそれが今では・・・その、なんと言いますか・・・
のどかな というか・・・そんな静かな町となっているとは・・・
戦争で失ってしまった「なにか」を見ることができた気がします。
●零式戦三二型
この機は以前 名古屋空港のターミナル内に展示されていました。
それほど広くないスペースに他の展示機とともに詰め込まれていた
という感じでした。
その展示室が無くなり、今はこのような形で九州で展示されています。
自宅からは遠くなってしまいましたが、名古屋よりかは今の展示状態の
ほうが 見る人にとっても零式戦にとってもいいかと思います。
でも設計者 堀越二郎さんにとっては、この機が残り このように
展示されているのは、もしかしたら本意ではないかもしれませんね・・・
<謝辞>
館長さま、館員さま
ご案内や特別な撮影許可、質問へのご回答など
ありがとうございました。
たいへん勉強になりました。
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