このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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2018年4月27日(金) 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館 2/3
航空宇宙博物館に展示してあった日本陸軍の戦闘機「飛燕」の続きです。
この日は3回、スタッフさんによる飛燕の解説がありました。
レポートその2では、その解説で知った内容も含めて
飛燕ディテールを・・・
3/3へ つづく、、、
ガイドさんは、お若かったですがスゴくお詳しい方でした。
丁寧な解説でわかりやすく、勉強になりました(^_^.)
結局 1日3回の解説、全回 聞いちゃいました。
昭和20年6月20日・・・終戦間際。
この2日後6月22日には各務原に大規模な空襲があったそうです。
キ100・・・飛燕に空冷エンジンを載せた機体の機種番号。
明石工場・・・兵庫県明石市にある川崎重工の工場。今でも残っています。
岐阜工場で生産していたキ100を明石工場でも製作しようと
打ち合わせをしたときのメモのようです。
非常に良好な状態で残っており、展示されていました。
また、設計メモ的な手帳も展示してありました。
キ100という機種の製作に関するメモでした。
機体の横には設計者「土井武夫さん」の
解説パネルがありました。
15時ごろ 係りの方がおもむろに掃除し始めました。
主翼をフサフサで拭くと、すごい量のホコリがモワモワッと
上がりました。
1週間に1回 掃除をされてるそうです。
垂直尾翼にも うっすらと「17」の跡が残っていました。
右主翼の下面には、日の丸マークの塗装跡がクッキリ。
翼端灯は翼の上下にプックリと出た形でした。
主翼には7.7mm機銃を装備。
写真左下、翼下で開いている部分は カラ薬莢を捨てる所。
バネがバカになっちゃって、開きっぱなしになっちゃってるとか。
ラジエーターは操縦席の真下付近に設置されていました。
上記 黒いボックスの下半分くらいが機外に出ていたそうです。
全部出した方が冷却効果はあるものの、空気抵抗が増すので
必要最小限だけ新鮮な空気で冷やしていた とのこと。
冷却液を冷やすラジエーター。
これは高速回転する軸を支えるパーツ。
すっごくキレイに造られているように見えますが・・・
これでも工作精度が たりなかったそうです。
軸との隙間があきすぎると、ガタつきで壊れてしまうとか。
これは飛燕のエンジンに取り付けられた「燃料噴射ポンプ」です。
シリンダ内に燃料を送り込む装置ですが、空冷エンジンとは
勝手が違い 調整に苦労したそうです。
機首部を上から。
高品質なエンジンの製造と 最適なメンテナンスができれば
最高なエンジンだったのですが・・・
当時の日本には 基礎工業力も職人も物資も不足しており、
なかなか本領が発揮できなかったそうです。
それでも 有るもので こうして「形に仕上げた」のはスゴい。
こういうものが後々の高度成長の土台となったんですね。
それに対し この飛燕のエンジンは、内部の液体でエンジンを冷やす
「液冷エンジン」でした。
<メリット>
●機体正面の空気取り込み口が必要ないので、機首を流線型にできる。
●機体前面を小さくできるので、空気抵抗を小さくできる。
●機首スペースに余裕ができるので、機体中心線に大口径機銃
(20mm機銃)を載せることができる。
<デメリット>
▼構造が複雑で工作精度が求められる。
▼冷却液の液漏れがあると冷却できずエンジンが壊れる。
▼エンジンオイルがシリンダ下部にたまりやすく、一緒に
燃焼してしまうためエンジンオイルがすぐに減ってしまう。
▼主流なエンジンではないので、現地の整備員にも専門の知識が必要。
この当時の日本のエンジンは、このような丸い形をした
「空冷エンジン」が主流でした。
機体前部のクチから空気を取り込みエンジンを冷やすタイプです。
まずは飛燕の超重要パーツ「液冷エンジン」です。
プロペラの掃除で、手回しで回るプロペラを見ることができました。
軽いタッチでクルクルと良く回っていました。
なぜ形状を変えたのか? よくわかりませんが・・・
大きな透明パーツを1つ造るよりも、小さなパーツを2つの方が
造りやすくて安上がりだったのかも。
またこれだと翼端の形状に影響しませんし、工作精度に
多少バラツキがあっても組み込むことができて良かったのかも。
こちらは十二試艦戦(ゼロ戦の試作機)の翼端灯です。
翼の先端に1つのパーツで構成され、上からも下からも見えるように
なっていました。
飛燕も最初は このようなタイプだったらしいです。
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