このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2018年5月11日(金)   四日市港ポートビル「うみてらす14」

四日市港の展望施設 「うみてらす14」 に行ってきました。
ただ・・・ ポートビル内の解説パネルでは、公害について
ほとんど触れられていませんでした。
あったのは この「近年の」水質環境についてのパネル。

触れたくない話題なのは わかりますが、社会勉強の場としては
不十分かと。
 「どのような事が起き、どのように克服して、現在どうなのか」
そういうパネルが1枚あってもよかったかなと・・・
(見つけられなかっただけだったら、すみません。探索不足です。)
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所々にあるサビ色が、この上なく くすぐったい(^_^.)
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縦長の構造物が林立していたので、縦撮りをテスト。

ん〜・・・なんかせっかくの縦長の構造物が
埋もれちゃいました。


(もうちょい下の階から撮れれば・・・)
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四日市港の外観だけでなく、歴史(一部除く)や役割も俯瞰することができ、
勉強にもなりました。


ガラス張りで落ち着いて見ることができましたが、写真を撮るとなると
ちょっと厳しかったです。
PLフィルタである程度 映り込みを抑えましたが、青かぶり もあって
写真加工で色補正をしてあります。
各地のコンビナートは昭和の高度経済成長の一端を担ったものの、
「公害病」という深刻な問題を生んだのも事実。

この田んぼは、それを克服し 水や空気が「普通に生きられるレベル」
であることの証ですね。
北側はあまり見どころはなく・・・
遠くに長島スパーランドは見えました。
対岸・・・というには遠すぎかもですが、
セントレアも うっすら見えました。
キリンみたいなクレーン、ガントリークレーンが並んでました。
(コアなフェチもいらっしゃる奥深いクレーンらしいです、、、)
東側はコンテナがいっぱいありました。

隣で見てた じぃちゃん・ばぁちゃんたちが、
 「あぁ この辺り昔、海水浴場だったとこよねぇ」
とか話してました。
そのくらいの歴史なんですねぇ。
もぉ・・・こんなの・・・
 「わたしを撮って、名付けてください」
と言ってるようなもんじゃないですか・・・
あえて言いませんよ (^_^.)
整然としたグチャグチャ感(?)な写真を
白黒加工してみました。
カラーよりも若干 奥行き感が増した気がします(?)

(  参考までにカラーの大きい写真はコチラ  )
遠くには大きめな船も。
運河には作業船が何隻かいました。
手前の船は甲板が海面ギリギリですね、、、
この煙突の1つを作業員さんたちが のぞき込んでいました。

あまりに人気(ひとけ) が無いので忘れがちですが・・・
工場は「鑑賞オブジェ」ではなく、「働いてる人がいる会社」
なんですよね。
でっかい釜みたいな煙突?からケムリがモコモコ。
「コンビナート」という単語は ロシア語で、
石油化学系の企業や工場を集中させた工業地区 のことだとか。

「偶然そういう企業が多かった」 のではなく 「そういう企業を
意図的に集めた」 エリアなんですね。
なんやか よくわからないシリンダ群。
四日市のコンビナートは昭和30年代に、日本で最初の
大規模石油化学コンビナート施設として造られたそうです。

「コンビナート」というものの歴史は、意外と長くは無いんですね。
戦前からこういうものが あったのかと思っていました。
南側の工場群。
14階の展望展示室へ。
360度 見わたせる絶景でした(^_^.)
1階には四日市港の歴史や貿易に関する資料が
展示されていました。

写真のは、コンテナを輪切りして中の様子を模擬展示したもの。
コーヒー豆やタイヤ、車のパーツなどが、こんな感じで
入ってるらしいです。。。
四日市港ポートビルは 港管理組合や会社事務所があるビルで、
最上階のみ展望展示室となっていました。

また津波発生時は一時避難所となっているようです。
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以上 <゛‾^‾)

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<総括>
西側は四日市の市街地を一望できました。

市街地の奥には広い田んぼも見えました。

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