このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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<発病当時は何がなんだか・・・>



夜11時頃会社から帰ってくると、留守番電話が入っていました

母からで「おとうさんが具合悪くなって入院したから・・・」

途中で切れていました

弟と連絡をとってとりあえず病院の名前と住所を調べ、

翌日一緒に行くことにしました

その時はどんな症状なのかも、なにもわからない状況でした

翌日、病院に着いて父の病室に行くと意識はちゃんとありましたが、

いつもの顔ではなくどこかおかしいなぁと感じました、

それが麻痺だったのかもしれません

病院に行った日、医者から聞く説明は、もうはっきりは覚えてませんが

脳梗塞で血管が詰まり脳細胞が死んでいくという事らしい

右脳のかなり広い範囲で

本当は説明を聞きたくありませんでした

聞けば聞くほど良いことはなく残念な結果もあると言われ・・・

でも、現実を受け入れなきゃ前に進めないと

覚悟を決めた瞬間でもありました



その後、毎週末病院に見舞いに行くと少しずつ変化がありました

とりあえず生死の峠と言われた一週間が過ぎ

はじめの頃は情緒不安定なのか、泣く事が多かったり

天井を指さしてわけのわからない事を一人で喋っているときは

さすがにこれからの事が不安になりましたが

会社の方が見舞いにきてくれると急にしっかりした口調と顔になるんです

ある意味これが、もしかしたらなんとかなるのかなぁと思わせてくれました



その当時僕自身、麻痺ということが理解できていなかった為

(今でもたいして出来てませんが)

ある日、外の空気を吸わせてあげようと父を車椅子に乗せ

廊下を走らせていると看護婦さんに注意されました

麻痺している足が車椅子の足を乗せる台に乗っておらず

変な曲がり方で廊下と車椅子の間で引きずって走っていたのです

普通の感覚でいくとそんな事があれば痛くてわかるだろうと思うのですが

痛みを感じてないらしく、これが麻痺というものだったようです

その頃はもう歩けないかもしれないと思っていました

それがリハビリを継続していくうちに杖で歩き、

そして杖なしで歩けるまでになりました

そうなると、もしかしたら腕もそこそこなんとかなるかも?

と希望もでてきました

入院当時左手と左足をアパートに置いてきたと言っていたのに・・・

しかし、腕の回復は難しく足のようにはいきません

今でもくの字に曲がってしまうのを真っ直ぐにたらす事が

目標でリハビリしています

入院してからというもの、絶望と希望を繰りかえしてきた気がします

本人が一番そう感じていたと思いますが・・・

今となればいろんな事が飲み込めても、

最初に足が動かない、手が動かないと、

言われてもあっそうなんだとは思えません

すこしづつ、いろんな事がなじんでいったのかなと思います



今振り返ってみても、父が手が利かない事を愚痴っていた記憶がありません

僕の知らない所ではわかりませんが、リハビリにも時間前に行って

早出リハビリしていたと聞きました

僕が小さい頃から単身赴任が多く、話す機会も少なかったのですが

皮肉にも病気をしてから、父のことがよく見えるようになった気がします

病気をした事は良い事ではありませんが、病気をしたことによって

見えてくるものや、出会いや新しく覚えた事もあります

悪いことばかりではないと思います


「きっとその頑張りがあったから今のベンチがあるんだね

 体にハンデあろうが無かろうが僕らの父に変わりはないよ

 最後までベンチの生き様みせてよ!!」


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