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このページは寄稿文です。

 

 

○○○ちゃんへ

 母は、○○○君と電話連絡が取れないので手紙を書きました。父も○○○ちゃんに最近の父語録を送ります。判断して○○○君に話してください。

 

今でも私は、ここに存在し考えている自分のことを不思議に感じています。私が小学生の時に、死んだ父によって、この問題を強く意識し始めました。中学生の頃、「生と死について」や、それらについて、朝まで友人と話し合ったことを懐かしく思い出します。お客にそんなこと話し「それで結論は?」と聞かれると、この人は結論や結果・利益のある話しか興味のもてない人だと思い、「[死ぬのが怖いから生きている]ぐらいです。」と答えることにしています。 “もちろん”結論はありません。話し合い、理解を深めることに意義があります。問題意識をもって見ることで、奇異なことを発見し、知識を深めることが出来ます。

ある年配の方を指して、「あの人はガンコな人だ。」と言うことがあります。では、その[思い込んだらそのとおり押し通そうとする]ガンコさとは何だと思いますか?タクシーの会社には、年配の人が多くいます。いろいろな人の中には、知識や理解度が小学生並みのまま老化しているのでは?と思われる人も多くいます。それらの人は、相手の話が理解できずに同じ話を繰り返します。理解できないことを、非難されているように感じているようです。[ガンコ]に、思い込んだことを必死に繰り返し自己主張しています。同じようなことが、若い人でも同様に理解できない場合が見受けられますね。それとも、私のほうが老化しているのかな?話しを受け入れることによって相手に利益があるか。または、どういう気持で話しているのかなど、周りの状況を見る余裕が欲しいですね。彼らを許容するかどうかは、相手とその内容によります。諦める場合もあるし、本人のためにならないと思えば、優しく訂正することもあります。

人の能力は主に3つに分類でき、人物をその物差しで測定できると考えています。絵を描くことなどは、才能の支流としてこの分類に含めません。1つ目は、この項で話をしている理解力です。「何回言ったら解るの!」と親や上司が怒るのは、言われる本人が悪いのではなく、言っている方が足りないのだと、私がよく話していますね。そういう時は、頼りにしてお願いするようにと別のファイルに記載しています。この行き違いは、相手が同様に理解していると思うから起きます。話した内容や感情が、同じように相手に伝わると思いがちです。しかし、それは間違いです。[他が変化すれば、それに影響を受けて変わる]相対的に変化していると理解しなければいけません。だから、話す相手はどう感じているか、注視しながら進めていかなければいけません。また、話せば理解し合えると思うのも間違いです。オーム真理教の信者がどんなに世間の常識を耳にしても変心しないのと同様に、強烈に信じたものを変更させることも不可能です。では、これほど大層なことを話す私が、相手のことを理解できているかというと、そんなことはありません。ただ想像しているだけです。例え妻であったとしても、解るのは自分の気持だけで、妻のことは信じているだけです。

正確に理解し言葉として理解すれば、多くの記憶をすることができます。これは年齢に左右されません。年を取って、記憶力が悪くなったというのは間違いです。年を取ってなくなるのは一時保管庫で、そういう人は、やり方を知らずに若い時から悪いのです。本筋から離れたことを考え、本筋に離れた誰かの話を整理せずに記憶するからパンクします。勉強は時間×集中力ですよね。その集中力は気迫です。やり遂げようとする強い意志の違いで差がつきます。

2つ目は、計算力です。小学校でいう算数の出来・不出来を問うていません。現在の姿を数値化して具体化し、将来を選択する際に役立てるための計算力です。いくつかの場合を想定し、組み立てて推論する洞察力です。もちろん、私にはそれを超える事態も多々ありました。その結果が私の宿命であり定めだと考えています。これら1つ目と2つ目は、顔は似ていても、先天的(持って生まれたもの)で、その能力は貧富の差以上です。だから、子供の時に「能力は同じだからもっと努力するように。」と話していましたが、本当は大嘘です。

 

では、3つ目の良心や判断はどのようになっているのでしょう。将来的には、感情を電気的な回路図として解明できると思います。しかし、推論が検証できないから事実と違うと思うのは間違いです。犯罪者から徳の高い人の心理まで、一つの線で繋がっていると思いませんか?犯罪者の心理は、私も経験がないので正確にはわかりませんが、きわめて幼児期の自己中心的な発想[他の子供が遊んでいるおもちゃを、自分も遊びたくなって急に取り上げるよね。]から、脱しきれずに大人になったものと思われます。人は、生きるための欲望を満たす原始的動物の心から、犬など群れで暮らす集団として規律のある心に替わり、人間としての思いやりや情緒のある心へ進化してきました。生まれたばかりの真っ白な状態から、生物の進化を学習していきます。

人は、何故本を読むと思いますか?[おもしろいから]が、[最も大切で価値のある]一義的な理由でしょうが、2次的には豊かで機知にとんだ日本語を学ぶこと、自分と全く違った体験を通し、違った立場での物の見方や人の考えを知ることです。そのためにも、良質の本と出会うことが重要になります。人は何故学校で勉強すると思いますか?教養に裏打ちされた科学的・理性的な考えを持つためです。知識は使うことで洗練され生きた学問となります。使わない知識は、思い出として心の片隅にでも保管してください。そうやって人は成長するものです。

教養があるから・年齢が上だから・社会的地位が高いからといって、私はその人を判断しません。私は、3つの能力の中でこの良心を最も重要視して判断しています。少し会話をすれば、教養の有無がわかります。受け答えの正確さと敬語を含む正しい日本語を使っています。その教養があり社会的な地位が高い人が、新聞沙汰になっていませんか。金のある人のみ偉いという幼稚な発想で、自分の会社の違法に近い行為に甘く、どこかで聞いてきた人や国の違法に、厳しい不平不満を言っていませんか?偏狭な物の道理に固執し、他人の忠告が耳障りなだけではありませんか?悪意を教養で隠しているだけではありませんか?犯罪者から徳の高い人までの間のどの位置になるかは解りますよね。島国根性ですね。米国人など先進諸国では、まず、国民の義務を果たすことを第一に考えています。何もせずに義務ばかりを主張する国民とは違いますね。私も話しをする時は、同様に義務を第一に考え、自己を主張し、問題を交渉して解決する、国際感覚(インターナショナル・マインド?)に切り替えますます。[今は見る気はないと思うけど、父が書いた英文観光案内や、ハワイでの元対日スパイが言った真珠湾問題発言の交渉録を、その気になったら読んでね。]

 

「レット・イト・ビー(あるがままに)」「ケセラセラ(どうにななるさ)」などよりも「人事を尽くして天命を待つ。」という諺(ことわざ)が、私は好きで実践しています。タクシーの客にこの話をすると「人事は思い込みではいけない。」と言うバカな人がいます。そういう時は言ったことに感心したフリをしますが、どこかで聞いたことを鵜呑みにする馬鹿な奴だなと思っています。人事とは、そのとき調べ考え抜いた結論であり、思い込み以外何ものでもありません。人は人生の岐路に立ったとき、必死になって調べ・相談し・悩やむものです。その結果に対して、悲しくても受け入れなくてはなりません。結果としてうまくいかなかった人を、侮辱してはいけません。

ヒンドゥー教では、男子の一生を、師のもとで「ヴェータ」の研究を行なう学生期、結婚して家長として生活する家長期、家事を後継者に委ねて森林などに生活する林住期、すべての世俗を離れて放浪の生活を行なう遊行期の4つの時期に分け、義務を課しています。たとえば、少年を「ヴェータ」の学習のために師のもとに入門させる儀礼があります。それを受ける年齢は、ある8歳〜21歳とされます。師のもとで「ヴェータ」の学習を行なった少年は、許可を得て家に戻ります。こうして学生期を終了し、家長となるための資格を獲得します。「後悔しないように、常に人事を尽くそう。」とは、人にやるべき時期があることを意味します。時期を逃したものは、失ったものに等しくなります。

人は人生の盛り(25歳?)を過ぎると、一つずつ失い始めます。順調な仕事や家庭を背景に自信をもって暮らしている人もいますが、多くの人は50歳を過ぎると、失うものが増え悩みや愁いが増えてきます。それは、健康でもあるし家族などの環境でもあります。そして、心のバランスを崩し、心を失っていきます。失ったものを[こうしていたら・ああしていたら]といったタラ・レバの夢想を悔いていても、何も良い方向には向かいません。過去は変えられないのです。私たちは今何ができるかを考える方が賢明な策です。

私は妻に仕事帰りの金曜日の夜は、飲んで帰ってくるように勧めています。自分だけ悩みが無いからといって、良いわけではありません。友人の悩みを和らげ、守ることが重要だと話しました。話し合をしただけで互いのストレス解消になります。こちらから良い解決策を提案できなくても、言った本人が悩みの妙案を思いつくものです。人の頭脳の働きとは、そういう特性があるのです。自分が困ったときに相談する相手がいなくらないように、準備をしなければいけません。民間であれば、給料の高い40歳を過ぎた事務方は、特別にコネのある人を除いて不用となります。そして無理難題を押し付けてきます。特技があるからと、会社での自分の存在感に自信を持っていたとしても、それが幻想だと気付く筈です。替わりはいくらでもいて、いなくなっても会社は順調に回わります。そうならない為にはどうしたらいいか。それは、自分が弱い立場にいることに気付くことです。先ず仲間を作ることです。そして、特別にコネを作ることです。何事にも、一人だけの考えでは短慮になりがちです。無理をせず相談しながら、自分の足場を固めていかなけれなりません。準備の怠った人は、狙われて足元をすくわれます。

 

子どもの育て方は、自分の背中を見せることだと思います。子供は親を追い越すことを目標に、夢中になっています。だから、親として目標にふさわしい行動を心がけていました。テレビの将棋の名人戦を見て、自分の実力と同等だと感じます。近くの縁台将棋を見てへたくそだとも感じます。それは自分より実力のある人は、同等としか感じないためです。同等ではなく親を超えたと思う瞬間、それが本当に越えたときです。子供と将棋をして勝って喜ぶ親はいません。本気でやって口惜しがるのは子供の前だけで、内心では大きくなったと喜んでいます。私は、それを他人に自慢したいと願っていた、ただの親バカです。追い越したそのときに、やっと回りのことが目に入り、見える世界があります。これは全ての子供が平等に感じるものではないようです。

誰もが、人に、特に親に認めてもらいたいと思います。超えられないと宣告された辛さも有ります。それが事件に発展し、新聞沙汰となることもあります。でも、それは20歳までだと思いませんか。もうその必要はありません。世の中で、親の背中の小ささに気付かなければなりません。自分の親より賢い人は数限りなくいます。それが目標としていた親の背中です。何を言いたいと思いますか。たくさんある技能の中で、超えるか越えないではないですよね。20歳を過ぎたら小さい背中の言ったことを気にすることはありません。自分の生涯を設計するのは自分自身です。責任も自分で取らなければいけません。

私と妻は、子供達が当面するだろう障害の何十倍の障害を乗り越えてきました。それは今受けていても、また将来受けるものであっても断言できます。それも乗り越えられないようでは、子として恥ずかしくなりませんか。私の兄と妻の弟の話は、ある程度知っていると思います。私の兄の借金取りが探偵を使って、足立の我が家に押しかけてきました。翌日の私の不在中に、彼から電話がありました。もちろんそれを払うつもりはありませんし、心配する必要はありません。妻の弟は、音信不通ですが、借りた相手が相手だけに、簀巻きにされて殺されているのかもしれません。私たちにとっては兄弟ですが、親にとっては子供であり、その子達を救えず見捨てたのです。父が冗談のように言って、本当にそうすることは知っていますね。そうならないようにして下さい。聞く辛さだけでなく、言う辛さを理解して下さい。

二人の共通点は、[自己中心的で親や人の思いを考えていない、子供のときから浪費癖がある、親からお金を貰うことを厭わない、借金をすることにためらわない、]などです。1999年の時、私の兄と妻の○○○さんは、私にサラ金(特定業者名で)から2,000万円の借金をすると言っていました。金利は約18%で、年間の利息だけで360万円になる。やめるように話をしても、聞き入れてもらえせんでした。うまくいかなければ、「子供にまで迷惑がかかり夫婦は別れることになる。」と言ったことが、その通りになりました。借金することを厭わない当時の兄にとって、それが最後の賭けでした。現在の借金の総額は、1〜2,000万円程度の可愛い額ではありません。本人が言うはずもないし、年々増加しているのでハッキリとはわかりませんが、億は下らないと思います。助けられる額ではないし、仮にそうなったとしても、彼を復活させることは、これら共通点により不可能です。妻の弟は、「200万円貸してくれなければ、死ぬかもしれない。」と私に電話をかけてきました。私は、妻の姉にもお金を借りに行き、そのお金を車に乗っていた若い男に渡した話を聞いていました。それで、「死ねるものなら死んでみろ。死ぬ、死ぬと騒ぐ奴は死んだためしがない。」と言いました。本当にそうする人は、黙って死んでいくもので、私はそういう人を何人も見ています。落ち逝く者は、子供であっても助けることは難しいと感じます。

 

老夫婦の自殺

テレビを見ていたら、本田美奈子の葬儀の合間に、老夫婦の自殺(2005/11/9)の話を取り上げていました。私は本田美奈子よりもその話に涙しました。農業を営む子供のない老夫婦は、夫が82歳、妻は2歳年上の84歳です。仲むつまじい夫婦は、妻が糖尿病で足が不自由になります。介護をする優しい夫は、妻を連れて散歩し、その姿を周りの人が見ていました。何もできなくなった妻は、その後、認知症にもなる。食べたことを忘れ、いつもおなかの空いた妻は、看護できないほどの肥満になる。そのうち夫のほうも体調を崩し、下血を繰り返すようになりました。もし病院に行ったら即入院させられるのは目に見えています。夫は1年前から庭の植木などを、世話になった知人に譲る書類を作成しています。そして、土地と家は市に寄付する遺言書を作成する。夜8時、車で家を出る。近所の知人宅などに車から別れを告げる。夜12時火葬場に到着。そこは30年間使われていない古い火葬場ですが、夫にとって、使い方も、どれ位の薪や炭の量が必要かも知っていたはずです。車のエンジンをかけラジオをつける。薪を敷き詰め、内側からでは完全に閉めることのできない扉をできるだけ閉め、12時40分に点火した。

不信を聞きつけて警察が来たときには、まだ暖かい白骨化した遺体が二つ並んで横たわっていたそうです。親類が、「知っていればこんなことをさせなかった。残念なことをした。」と白々しく言っている。親類であればこの老夫婦のことを知らないはずはない。残念だったのは遺産を少しも受取れなかったことだけでしょう。

認知症とは判断力以上に記憶の薄れていくものです。妻も夫と一緒だったら死んでもいいと判断したはずです。覚悟が無ければ、熱くて暴れるだろうし、意識が無ければ、太った妻を、形跡を残すことなく中まで運べないと思います。通常の自殺であったら、遺体を知らない人にいじりまわされる。事件性が疑られれば、なおさらに切り刻まれてしまう。自分のことはともかく、妻にそのようなことはされたくないと考えていたに違いありません。これは、事件ではなく間違いなく自殺で、すぐ発見されるよう自動車を目印にしておいた。妻には苦しまないようにしておいて、すぐ終わるから大丈夫だよと慰めることはできるが、実行する本人は、正気でなければ頓挫してしまう。私自身に、薪の上に座って火をつけ死に至る勇気があるとは思えない。借金苦などつまらない理由で死を選ぶ人が多い中で、真の男の勇気と、妻への深い愛情を感じました。

 

靖国神社

義理の姉が、靖国神社参拝について批判しているので、「私の名前を知っているの。名前は○○○だよ。」と、つい私も興奮しました。父は、私が小学校6年生の時に45歳で他界したので、私の名前の由来を知りません。父の最終戦地は、小野田少尉と同じルバング島です。階級は軍曹、帰ってきて1階級特進で曹長になったので、2階級特進の小野田少尉とは同じ階級のはずです。後から調べた内容も合わせて語ると、九州軍は、当時から勇猛果敢な軍隊と言われていました。[鬼より怖い関東軍]ではありません。関東軍は、弱い中国の民間人に冷酷で恐れられていましたが、強い相手には真っ先に逃げ出しました。客の情報将校が、それよりももっと早く逃げ出したと自慢していたので、内心張り倒してやりたいのをしっかり我慢しました。九州軍の中でもルバング島に配属された兵士はその精鋭部隊でした。しかし、終戦間際の日本の兵站(へいたん・物資を輸送する軍)は極端に落ち込んでいました。不味いオオトカゲなどを食べて飢えをしのぐ毎日でした。武器の差はもっとひどく、銃だけを取り上げても、日本軍の銃は一発ずつ撃鉄を起こして撃つのに対し、米軍は引き金を引くだけで3連発します。威力はこちらの玉は足に当たっても痛い程度で済むのに、米軍の玉は足が吹き飛ぶほどの威力があります。それに戦車や飛行機までそろえているのだから、機関銃を持っている相手に素手で戦うようなものでした。軍として決定的に差のある相手に対し、日本軍は小部隊に分かれてゲリラ戦で戦うことにしました。米軍の死者は、あちこちに罠を仕掛けておいて、それに嵌った者ぐらいです。7〜8割死亡する激戦の中で生きて帰れたのは、たまたまそこに米兵が来なかっただけだと父が言っていました。

父の兄は、戦地で足に被弾し、充分な看護ができず足の根本のほうまで腐って無くなりました。指も数本無く、首には被弾した傷あとが有りました。それでも、造船会社に勤め、息子は○○○の取締役になっています。父の弟は、飛行機の通信兵として、基地を飛び立ちましたが、米軍機の攻撃により火達磨となり、2年後に死亡しました。そんな父が息子にどんな生き方を願ったと思いますか。靖らかな生涯を送るようにだとは思いませんか。私の名前を考える時、靖国神社のことを考慮に入れていたとは思いませんか。

200人ぐらいの部隊で移動中、7機の敵機が攻撃してきました。父は、地上戦当用の重機関銃で反撃しました。他にも3組が同様にしたそうです。当時のプロペラ機での機銃掃射は、互いに向きあって相手の顔が確認できるほど接近します。横に移動する敵機は命中しづらくても、こちらに向かってくると命中しやすくなります。米国映画に出てくるような、死の危険を感じる、互いの顔を見ながら撃ち合えるほどの勇気のある敵兵はいません。逃げ惑う兵士には容赦なく銃弾を浴びせましたが、父のところには来なかったのです。それでも、4機ほど打ち落としたのですが、その兵士を生かしておいたとは思えません。殺し合いをする戦争に行き、8年間戦って生きて帰ってきました。それは何人もの人を殺めてきて生き残ったのです。そんな父を戦争犯罪人だと思いますか。その後、勲6等の勲章ももらっています。それでも犯罪者ですか。自分達が食べ物もない時に、捕虜に自分達の残り僅かなゴボウを食べさせました。その彼は、木の根を食べさせたとして銃殺され、A級戦犯にされています。日本人として恥ずかしくなりませんか?東条英機は、日本人800万人の犠牲者を出した最高責任者として、国民に対し詫びねばなりません。しかし、それ以外に何か悪いことをしたのですか。学校やテレビで誰かの言った事を真に受けず、自分でもっと歴史を勉強して欲しいと思います。

我が家は武士(もののふ)の家系です。刀を持っていないとそれらしくありませんか?それは、アヘン戦争を見て明治維新までに不要なものとして捨てたのです。そんな重いものを権威の象徴としてぶら下げて戦ったから、日本は戦争に負けたのです。玉が出れば皆同じ銃の威力だと思うから、明治維新の時に会津は負けたのです。子供達にはその家系を継いで欲しいと思っています。私が大学に入ったのは、学ぶことのできなかった亡き父の口癖を実行するためです。死ぬ気で勉強しました。妻の母の見舞いに○○○に行き、義理の姉に私の父の話をして思い出し、父のことを子供達にも伝えたくなりました。平成17年11月12日は、父の41回目の命日です。

 

これまで話を要約すると、

…… ガンバレ。父にはそう言うことしかできないのだ。

老夫婦の自殺 …… もっと自分の命(生涯)を大事にしろ

靖国神社 …… もっと自分に自信をもて

です。

 

前半の部分をもう少し詳しく書くと、

…… 人に気持を伝えることは難しいものだ。誤解せずに聞いてね。(10年後に読めば、今と違って感じられると思うので、父のメインファイル[決して終わらない夢]に書類として残しておこう。) …… 常に精進して自分を磨いて下さい。 …… 全てについて、失うことのないよう努力して下さい。 …… 子供を疎ましく思う親はいません。父不孝行はよいのですが、母孝行をし、悲しませることのないようにして下さい。

となります。

 

○○○君によろしく。

 

寄稿者:Mr F

 

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