このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 叡 電 
 SOBCHAK'S  


 京都洛北を走る「叡電」こと叡山電鉄は,現在京阪の終点となっている出町柳を起点に,比叡山のふもと八瀬(八瀬比叡山口)に向かう叡山本線5.6kmと,途中の宝ヶ池から分岐して鞍馬に向かう鞍馬線8.8kmからなる標準軌・直流600V電化の鉄道線です。車両は15mそこそこ,最大2両連結で,ほとんどが無人駅,出町柳-鞍馬間所要30分の小さな私鉄です。

 路線はまず現・叡山本線の出町柳−八瀬間が電力会社である京都電灯の手により1925(大正14)年9月27日に叡山電気鉄道として複線電化で開業。京都電灯は比叡山への観光に力を入れ,同年12月20日には比叡登山客用の鋼索線(叡山ケーブル)を開業させ,併せて乗継駅である八瀬一帯を八瀬遊園として開発しました。1920年代という時代背景を反映したように,当時の新聞等にも盛んに行楽客誘致の広告を出したりしています。その後1928(昭和3)年12月1日,子会社の鞍馬電気鉄道が山端(現・宝ヶ池)から分岐する今日の鞍馬線を市原まで複線で開業させ,翌1929年10月20日に鞍馬までが単線電化で延長開業。鞍馬山への参拝客輸送のメインルートを担うこととなりました。このときに両社共同設計の名車デナ21が投入されています。京都電灯はその後も鋼索線に接続するロープウェー(1928年)や比叡山頂の遊園地などを次々拡充しました。

 やがて時代は戦時に推移し,観光などという浮付いたことをやって居られる時代ではなくなりました。会社は戦乱の影響を多大に受け,電力再編によって鉄道部門は電力部門と分離し,京都と福井に基盤をもつ京福電鉄として統合され,複線敷の金属供出単線化や不要不急路線であるケーブル等観光路線の休廃止が行われました。同様のことは嵐電系統の愛宕山登山線等でも起こっています。

 戦後も京福電鉄の叡山電鉄課として,同じ会社の西の京「嵐電」と共に,地元では「叡電」の愛称で親しまれました。トロリーポール集電が最後まで残り,近年まで開業以来の古参車輌が活躍するなど,何かとレトロな話題に事欠かない線でしたが,ターミナルの出町柳は市電廃止後は接続線がなく孤立し,遊園地などの観光事業に力を入れるも営業成績は悪化,鉄道線廃止説まで噂される窮状の中,1986年度初を以て京阪・京福共同資本の叡山電鉄として京福から分離独立。その後はワンマン化,踏切自動化など車両や施設の近代化を精力的に推し進め,昔から計画のあった京阪三条−出町柳間の鴨東線開通により観光客も増え営業成績も順調となり,車両もほぼ旧型車の置き換えが完了し,路線は急激な変貌を遂げました。現在は京福グループを離れ,京阪電鉄の完全子会社となっています。

 特徴として,鞍馬線二軒茶屋以北の急勾配に対応するため,電気ブレーキの装備が必須となっており,釣掛車も含めて鞍馬線対応車(現在全車両)はすべて発電ブレーキを備えています。このブレーキは,空気ブレーキと独立しており,主幹制御器ハンドルで動作させる点で一般的なものと異なり,ユニークです。沿線最大のイベントが,10月に行われる鞍馬の火祭で,このときは多数の観客が押寄せるため,叡電も特別輸送体制を組んで対応し,この日だけの編成なども登場します。




【最近の叡電情報】

気まぐれに掲載。
速達性は期待できません。

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● 2/1.2004:724はカルダン化改造完了し運用に入っております.722同様,京阪1900系オリジナル型の下回り使用.

● 一見自動改札機風のスルッと関西カードリーダーを主要駅に設置工事中.出町柳,八瀬で確認済.

● 2004.1月中旬より基本的に叡電全車でワンマン運転開始.きららを含め先頭車のみでの扉扱いとなりました.800形には700形同様の「ワンマンカー」板を取付けています.600形はまだ修学院に留置中で目立った動きなし.
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参考資料
運輸省鉄道局「鉄道要覧」

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