このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


  沿線風景    ■廃墟ゾーン■


歴史的経緯

 戦前には現在とは別のルートでロープウェイ(空中鋼索線)が存在していました。現在の比叡駅のやや先にあった高祖谷駅から,延暦寺釈迦堂付近と結ばれていましたが戦争中に廃止。昭和31年のロープウェイ再興では,ドライブウェーと接続する山頂の展望台へとルートが変更されたため,旧ルートは忘却の彼方に消えています。



  

 問題のロープウェー駅は,昭和初期当時の地図ではケーブル終点から尾根筋にやや先。現代の地形図にはこの道は出ていません。

 ゴンドラを見上げつつ,現在のロープウェー比叡駅の横のやや獣道化している道を進みます。平坦ですが完全な山道です。

  高祖谷駅墟

 しばらく進むと,最近伐採された谷に到達します。下に怪しいコンクリートの土台が点在,地図上の方角からもここが旧空中鋼索線高祖谷駅の跡でしょう。

 土台形状から見て,この位置に建造物があったと推測されます。駅舎はごく最近まで残存したらしく,伐採との関連で撤去されたのでしょうか。

 後日談
 旧駅舎址はこれではなく,もっと先にあったことが判明
 機会があったら再踏査したいものです ;2005.5

2002-6

 

 同,近接。

 道寄り(左)に四角い区画,右に柱の土台と思われる遺構。その先は急斜面の谷。

2003-11

 

 その奥のコンクリート製物体。機械室でしょうか。斜面から突出した箱型の区画に窓状の穴が3箇所,手前に一段高い平坦な土台。隅に丸い穿穴あり。

2003-11

 

 上写真の平坦部取付部にあった石積みと階段。
 確かに人の往来を意識して造られたものと判断されます。

 この先にやや広い,コンクリの平坦な土台があり,これが発着ホームかと思われますが,遺構が横に広がりすぎて私には未だ全体像が理解できません。

2003-11

  釈迦堂駅墟

 終点だった釈迦堂駅の跡遠望。静かな高祖谷と違い,比叡山ドライブウェイ開通で大幅に山の道が変わってしまっています。ここに至る道自体は地図にはないもののしっかりしています。

 こちらも最近激しく伐採されたようで一面切り開かれています。向こうの峰が現在のロープウェー終点で四明嶽展望台のあるあたり。
2003-11

 
 接近してみます。伐採時の影響か,瓦礫の山のようになっていますが,これこそ釈迦堂駅の廃墟に間違いありますまい。かつては駅前であり,何本か戦前の標柱が建っています。駅横に建つのが横川大師堂への道標。当時は延暦寺内参詣も山歩きだったのですね。今は構造的にドライブウェイ利用が前提なので,徒歩延暦寺訪問はかなり不便です。

2003-11

 

 壁のようにそそり立つ遺構。 

 その奥が蔦の生い茂った瓦礫の山。

2003-11

 

 下から見上げてみます。

 手前のコンクリ土台が発着ホームでしょうか。そうすると壁の向こうに巻揚制御関係の設備があったことになります。

2003-11

 

 上写真を遠望。

 現在ある道に対して直角方向に向いています。

2002-6

 

 道との交叉部分のアップ。

 これがホーム部分でしょうか。それらしい石畳が残っています。やや幅が狭すぎる気もしますが。

2003-11

 

 壁部分のアップ。

 中央に1つ,左右に1つづつ窓状に穴が開けられ,金具跡が残ります。現在のロープウェー山頂駅構造も同様の形態をとり,中央穴が窓,左右小穴がワイヤー支持柱先端の陥入孔であるので,ここが空中鋼索線終端部と考えてほぼ問題なさそうです。

2003-11

 
 参考・現在のロープ線比叡駅を前方より遠望。

 当然ながら断崖に切り立った形状をしています。時代と規模差があるので旧線とはかなり違いますが基本構造は分かります。

 ワイヤの支柱は旧線も現行線も途中1本のみ。

2003-11


 Copyright © 2003 SSS, All Rights Reserved. 叡電頁 ▲HOME

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください