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東京見聞録  
2007年12月17日(月) <笠間(笠間稲荷神社、笠間城跡)、那珂湊(茨城交通、三浜丼)、石岡八郷町>


<笠間 笠間稲荷神社と笠間城跡

 西表島の民宿オーナー、ゆずるさんが東京に来ていて、茨城で農業を営んでいるシバさん(さとうきび刈りの元バイトさん)のところへ遊びに行かないか、という誘いを受けました。月曜日ではありますが、シバさんはつい先日お子さんが誕生したこともあり、またゆずるさんとお会いするのも久しぶりということもあって行くことに。集合は茨城県の石岡駅に1時半。この距離なら青春18きっぷが使えるので安く行くことができます。

 しかし、青春18きっぷを使うのなら朝早く出発しないと勿体無い。このいつもの貧乏症により、シバさん家に行く前に、1人ぶらぶらすることにしました。もちろん出発はいつもの渋谷駅4時38分発の山手線始発。我ながらいつもよくやるよなぁと思います。

 4時38分の山手線に乗り、日暮里で常磐線に乗り換え、石岡の3駅先にある友部駅へ。ここから水戸線に乗り換えて2駅の笠間が今日の最初の目的地です。6時58分着。東京は4時でもそこそこ暖かかったので、夜が明けた茨城はもっと暖かいだろうと思っていましたが、めちゃくちゃ寒いです。冬の茨城は寒いところだというのをすっかり忘れていました・・・。年初めに水戸であれほどの寒さを経験したのを忘れてた。朝の笠間の澄んだ空気は素晴らしいですが、それよりも寒くてたまりません。


<夜が明けた笠間駅前>

<カエルの焼物>

 笠間は焼き物が有名なので、駅にもカエルの焼き物が置かれています。このカエルを見つつ、この寒い中駅を出て歩き始めるべきか、電車に乗って撤退するか考えましたが、「せっかく来たんだから寒くてもいかないと」と思い、意を決して出発。カエルの置物も行けよ」と言っていたような気がします。。

 最初の目的地、笠間稲荷神社までは駅からまっすぐに伸びた道を2キロほど行ったところにあります。がやはりめちゃくちゃ寒いです。耳は痛いし鼻は出るし、手は悴む。霜は降りているし、水たまりは凍っています。後からわかったことですが、この日の笠間の最低気温はマイナス4.5度だったらしく、東京の初冬スタイルで来ていた僕は全く対応できませんでした。氷点下のときは手袋が必要ですね。ということで、かなり涙目になりながら20分ほど歩いて笠間稲荷神社へ。

 笠間稲荷神社は1350年の歴史を誇り、日本三大稲荷に数えられることもあるという由緒正しき神社だそうです。「日本三大稲荷」とは京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷の二つは決定のようですが、三つ目の椅子を笠間稲荷と佐賀の祐徳稲荷が争っているそうで、現段階では笠間のほうが若干有利だとか。まあ日本三大○○というのは、上位二つが決まっていて、三つ目は各地で争っていることが多いので何とも言えませんが。

 朝早いので他に参拝客がいるわけでも参道の店が開いているわけでもなく、一人静かにお参りしてきました。


<笠間稲荷神社に到着>

<お稲荷様>

<本殿(重要文化財)>

<霜が降りている>

 笠間稲荷には「胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)」という別名があるらしく、その名の通りくるみが名物だそうです。参道に胡桃稲荷を売っている店が多いそうで、それを楽しみにしていましたが、当然朝早いので店が開いているわけでもなく。。胡桃稲荷は次回のお楽しみに。

 笠間稲荷からは少し山道を歩いて笠間城跡と目指すことに。途中、「大石邸跡」があります。ここは忠臣蔵でおなじみの大石内蔵助の祖父、笠間藩家老の大石良欽の邸宅跡だそうです。浅野家は最初笠間藩に入り、20年後に赤穂藩に転封、その後討ち入り事件が起こったということで、笠間と赤穂家がこんなところで繋がっていたとは知りませんでした。


<大石家跡>

<笠間城跡を目指す>

 その後も坂道を登っていき、笠間城跡方面へ。寒い上に木が多い茂っているので日差しも遮られ、余計に寒さが肌にしみます。しかも坂道だから疲れる。こんな朝っぱらから僕は一体何をしているのだろうか・・・という思いもなきにしも非ずです。30分近く歩いて、ようやく標高183mの笠間城跡公園に到着しました。


<伝説がある大きな石>

<笠間城跡>

 笠間城跡公園には見晴らしのよい場所があり、そこから見る笠間の町と筑波山はなかなかのものです。景色を眺めているとちょうど8時になったようで、遠く小学校のチャイムと構内放送が聞こえてきました。寒い中ここまでくるのはきつかったけど、この景色を見ることができたからいいか。さらに少し登ると天守跡があり、そこには佐志能神社が立っています。ここに城があった名残は石垣だけというのが、兵度もが夢の跡といった感じで良いです。ここは山城だから実際攻めにくかったことでしょう。


<笠間の町と筑波山を眺める>

<天守跡にある佐志能神社>

<石垣が残る>

 帰りは下りの道をひたすら歩くだけですが、最近歩きすぎて膝を痛めている僕は登りよりも下りが辛かったりします。さらに寒い日は膝へのダメージが大きくなるので、今回は朝8時過ぎにして膝が痛くなってきました。これはもう根本的に治療してもらわないとだめかもなぁと思い、足を庇いつつ山を降りていきました。しかし、周りの風景は日本の田舎という感じで落ち着きます。空気も綺麗。段々と気温が上昇していったのも助かりました。

 山を下り、「芸術の森公園」という、恐らく笠間市が力を入れているであろう大きな公園を歩いて抜けました。笠間は陶芸の町なので、この芸術の森公演でも陶芸が出来たり触れ合ったりすることが出来るそうですが、朝早いためにもちろんそんなことはできるはずもなく、ただ素通りするだけです。まあ、僕は陶芸にはあまり興味がないので、昼間来ていたとしても立ち寄ったかは疑問ですが。


<霜が降りた畑>

<芸術の森公園を歩く>

 さらに「陶の小道」と呼ばれる、笠間焼の窯元がずらりと並ぶ道を抜けて笠間駅へ。足は痛くなりましたが、2時間歩いて朝からいい散歩になりました。9時16分の電車に乗って水戸へ。

<茨城交通と那珂湊>

 9時43分に水戸駅に着いて、電車を乗り換え、1駅先の勝田駅へ。次の目的地は港町である那珂湊です。そして那珂湊でおいしい海鮮丼を食べること!勝田駅から茨城交通という私鉄に乗り換え、4駅先の那珂湊へ。茨城交通は噂には聞いていましたが、なかなかのローカル線で、僕の中では千葉の銚子電鉄に匹敵します。しかしなぜ千葉や茨城にはこういった古いローカル線の私鉄が多いのでしょうか?

 1両編成の茨城交通のディーゼルカーに乗り、一路那珂湊へ。1両編成・ディーゼルの割には精一杯のスピードを出すので結構揺れます。電車内(厳密には電車じゃないけど)の床は木の板で、かなり年季が入っている模様です。床が木の板というと、僕が幼稚園の頃の地元のバスを思い出すよ。

 15分程度で那珂湊駅に到着。那珂湊駅舎はかなり年季が入っていて、いかにも「木造の昔ながらの駅」という感じでした。風情があります。開業90周年を祝う張り紙も、手作りで味があります。しかし至るところにある「未来へ走れ おらが湊線」の幟。やっぱり茨城交通も廃線の危機なのか。茨城ではつい最近鹿島鉄道が廃止になったっていうし、銚子電鉄も経営難だというから、私鉄の経営は厳しいのかも。


<茨城交通の電車>

<車内>

<開業90周年 古い駅舎>

<那珂湊駅>

<那珂湊駅ホーム>

<那珂湊駅>

 那珂湊駅から10分ほど歩いて海方面に向かい、「那珂湊おさかな市場」へ。平日の朝早いこともあって人はまばらでしたが、土日は人でごった返すほど賑わうそうです。確かにめちゃくちゃ規模がでかい。失礼だけど、この田舎の町にこれだけの規模の市場があるとは思いませんでした。

 一人暮らしの身にとって、市場での買い物には特に興味がなく、興味があるのは食べることのみ。ということで、時間はまだ早いですが、市場内にある 「東光庵」 へ。いつもなら大混雑のようですが、時間も時間なので客は僕一人でした。この店の名物である「三浜(さんぴん)丼」(1900円)を大盛り(+100円)で注文。結構高いですが、食べることだけには躊躇したくないので頼んでしまいました。つけられていたテレビでやっていた水戸黄門を見つつ、カウンターの中を見ながら静かに待っていると、ご飯に大量の魚介類が載せられていくのが見えてきました。これはすごいことになりそう。

 そして三浜丼が到着。ものすごいボリューム!何だこれは。何がどう載っているのかが分かりません。具は写真に写っているものだけではなく、表面をめくるとその下にもイクラだのメカブだのが載せられていて、そのボリュームには驚くばかりです。一応覚えているものだけでも羅列すると、うに・しめ鯖・白魚・甘海老・煮海老・カニ・タコ・イカ・サーモン・マグロ・メカブ・イクラ・ホタテ・・・などなどいろいろ。トッピングはその日によって変わるようですが、最低でも14種類は入っているらしいです。


<三浜丼>

<東光庵>

 大盛りにしたご飯の量も多くて、食べきるのに相当苦労しました。贅沢でおいしいんだけど、量の関係から最後のほうは結構拷問みたいになってしまいました。何とか食べきったけど本当に腹一杯。でもおいしかった。こじゃれた海鮮丼ではなくて、いかにも量で勝負の大味な漁師料理という感じで、人によって評価は分かれると思いますが、1900円でこれはかなりお得だと思います。ちなみに三浜丼という名前の由来は、この辺りの三つの浜(那珂湊・大洗・平磯)から来ているらしいです。

 食後は腹ごなしを兼ねつつ、那珂湊駅までゆっくり歩いていき、再び茨城交通にのって勝田駅へ。

<畑で取れた野菜で夕食>

 勝田から常磐線に載って水戸に戻り、駅前をぶらついて時間を潰したあと1時の電車に乗って石岡へ。1時23分に石岡に到着して、東京方面からやってくるゆずるさんを待ちつつ時間を過ごし、2時前に無事合流。シバさんが迎えに来てくれるということで、迎えを待っている間、ゆずるさんはワンカップ大関を飲みつつ待っておられました。僕にも進められましたが、朝から動き回っているので、ここで飲んでしまうと寝てしまうかもしれんと思い、ここはぐっと我慢。

 やがてシバさんが迎えに来てくれて、僕はシバさんの車に、ゆずるさんは同じくシバさんの家に遊びに来たAさんの車に乗ってシバ家へ。シバ家に着くと、オクサマと生まれたばかりのお子様がお出迎えしてくれました。うーん、噂には聞いていたけどかわいい女の子だ。

 夕食まで時間があるということで、シバさんの畑を案内してもらいました。


<シバさんの畑>

<シバさんの畑>

 夕食は畑で取れた、取れたての野菜たちを使った様々な料理。鍋やカボチャサラダなどなど頂きましたが、特に絶品だったのがふかした里芋とジャガイモの素揚げでした。これは両者ともほとんど手を加えてないものですが、本当に新鮮なものは手を加えないでも十分おいしいということが分かる一品です。ふかした里芋は塩や味噌をつけて、ジャガイモはそのままで。ビールや泡盛にめちゃくちゃ合います。おいしかった。


<ふかし里芋>

<じゃがいもの素揚げ>

 ゆずるさんも泊まるということで、本当は泊まりたいところですが、次の日にどうしてもやることがあるので、申し訳ないけれど9時前に帰ることに。オクサマが車で駅まで送ってくださいました。本当にありがとうございます。帰りの電車ではぐっすり寝て、11時前に帰宅。午前中は寒くてどうなるかと思いましたが、午後は素敵な家庭を垣間見ることができて、ゆずるさんにも会えて、素敵な1日でした。


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