このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

川越旅行記  
2008年9月24日()  <喜多院、本丸御殿、時の鐘、蔵造りの街並み>


再び川越へ>

 肩凝りと眼精疲労のリハビリも兼ねて、埼玉の川越まで行ってぶらぶら散歩することに。川越は人口で言うと埼玉県第4の都市で繁華街も充実していますが、別名「小江戸」と呼ばれており、戦災を免れたために歴史的な街並みがよく残っている街でもあります。実は2年前にも一度川越に来ていますが、その時はものすごい雨にやられ、途中で散策をやめているので、今回はリベンジマッチといったところでしょうか。

 吉祥寺を正午ちょうどに出て、中央線で国分寺まで。国分寺で西武線に乗り換えですが、あの辺りの西武線は本当にごちゃごちゃと入り組んでいて、素人にはどの電車に乗ればいいのかがよく分かりません。なんで路線がこんな無計画っぽいことになっているのか。西武鉄道やりたい放題と言った感じです。よく分からないのでとりあえず東村山まで行って、そこから乗り換えて本川越まで。吉祥寺からはちょうど1時間で、埼玉県の割には思ったよりも近いです。


<複雑に入り組む西武線>

<西武鉄道の黄色い電車>

<仙波東照宮と喜多院>

 まずは本川越駅から歩いて仙波東照宮・喜多院へ。東照宮までの道すがら、「徳川のお弁当」という看板があって、あぁ徳川サマでも弁当を作って売る時代なのかと。東照宮があるだけに、このギャップが何ともいえず一人可笑しくなりました。世が世なら、最低でもお殿様クラスだったはずなのに。東照宮の境内はこぢんまりして静かな場所でしたが、東照宮自体は柵に囲まれていて立ち入り禁止状態。せっかく来たのに。。なので遠目に写真を一枚撮るだけになってしまいました。まあ、別にそんなに大きな場所じゃないからいいけど。


<徳川サマも弁当を作る時代>

<仙波東照宮入り口>

<東照宮>

<柵に囲まれた東照宮>

 続いて東照宮の隣にある喜多院へ。ここは様々な噂のある天海僧正が江戸初期に復興し、その後火災で建物の多くが焼失しますが、徳川家光の命で江戸城本丸御殿の建物の一部が移築されて再建されています。だから重要文化財が多く、中には「徳川家光生誕の間」や「春日局化粧の間」なんというのもあります。


<喜多院へやってきた>

<多宝塔>

<鐘楼門>

<慈眼堂>

<歴代住職の墓>

<歴代住職の墓>

 その家光生誕の間や春日局化粧の間が移築された客殿、書院へ。部屋の内部は写真撮影禁止だったので写真はありませんが、まあ見てみればこんなものか、という感じがしないでもありません。それでも400年の歴史を感じたのは、部屋が暗くて少々カビ臭く、色あせた感じがしたことです。カビ臭いのは手入れが行き届いていないだけかもしれませんが・・・。部屋内部の写真は禁止だったので、廊下や外の写真を載せておきます。

 喜多院境内には五百羅漢像もあって、なかなか壮観です。

<川越本丸御殿>


<本丸御殿>

<御殿の廊下>

<御殿の中庭>

<家臣会議中>

<小江戸巡回バス>

<川越市立博物館>

<蔵の街並み>


<時の鐘>

<眼にいいらしい>

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