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東京見聞録  
2007年1月20日()  <水戸(偕楽園、弘道館)、石岡(餅つき)> 


茨城へ行く>

 西表島のさとうきび刈りで知り合い、去年から茨城県の石岡市で農家を始めたシバさんから「餅つきをやるから来ないか」との誘いを受けました。北陸旅行で使った18切符が1回分余っていることもあって、じゃあ餅つきに行くついでに、もう少し足を延ばして水戸にでも行ってみるかと、水戸・石岡へ行くことに決定。餅つきは11時からということなので、水戸にはその前に行かなければならないけど、一度水戸には行ってみたかったこともあって決行しました。

 ということで乗るのは始発の山手線。朝3時40分に家を出て、とことこ歩いて渋谷へ向かい、途中吉野家でかなり早い朝食をとりました。道玄坂上の吉野家には他に客は誰もおらず、豚丼を頼んだけど肝心の豚肉が少ない。。「ネギダク」ならぬ「ニクスク」だ、これは。ちょっとテンションが下がります。

 渋谷駅に着いて、始発の4時38分までまだ時間があったので、朝の駅をうろうろしてみました。土曜早朝ということもあって、センター街に一番近いハチ公改札は始発にもかかわらず結構な人がいたけれど、玉川改札とか中央改札なんかは人っ子一人いません。普段は人で溢れ返る場所だと思うとかなりの違和感です。普段の光景を見慣れているから、誰もいないのが本当に不思議。


<夜中のスクランブル交差点>

<玉川改札前>

<中央改札口>

<中央改札と玉川改札を結ぶ階段>

 4時38分の山手線始発に乗って、常磐線との乗り換え駅である日暮里へ。この始発は北陸旅行へ行くときも利用した電車ですが、今回は土曜日の始発ということもあって、前とは比べ物にならない混雑でした。始発なのに電車は満席で、日暮里までの30分はずっと立たざるを得なかった。せっかく寝ようと思ってたのに・・・。

 日暮里で始発の常磐線に乗り換え。ここから水戸までは直通で約2時間。ちなみに常磐線での日暮里、石岡、水戸の位置関係はざっと以下のような感じです。東京から見ると水戸のほうが石岡より遠くに位置します。

     (上野)=日暮里=====(柏)===(我孫子)=====(土浦)===石岡======水戸

 電車はロングシートで人も少なかったけど、電車内がものすごく寒いです。普通郊外の電車に乗ったら席や足元のヒーターが熱くて低温火傷しそうになることもしばしばですが、今回はそのヒーターが全く効いていません。省エネか何か知らんけど、このせいで足元は本当に寒い。上半身は厚着してマフラーをすればいいけど、足元は薄い靴下一枚なので本当に冷えます。あまりに冷えすぎて、寝ようにも寝られなかった。ようやく水戸に着いたときには既に足の感覚がなくなってしまっていて、もしこのまま電車に乗っていたら間違いなく凍傷にかかっていたことでしょうよ。水戸で降りたときには体もガクガクと震えていたもの。しかも水戸の7時は渋谷の4時よりも寒い!

 7時9分にようやく水戸に着いて、予定ではすぐバス乗り換えて偕楽園を目指すつもりでした。しかしあまりにも体が冷え切って涙まで出てきたので、どこかで暖をとらなければ死ぬ死ぬ!と思い、駅ビルのエクセルシオールに入ってキャラメルマキアートで暖をとりました。あぁ、生き返るとはまさにこのこと。ようやく落ち着いて周りを見ると、参考書を必死になって読んでいる受験生が結構いました。そういえば今日はセンター試験か。頑張ってね。


<水戸駅>

<黄門様と助さん格さん>

<水戸を歩く 偕楽園と弘道館>

 エクセルシオールでようやく暖かくなったので、バスターミナルからバスに乗ってまずは偕楽園へ。バスターミナルにはセンター試験会場へと向かう受験生がわんさかいました。彼らと一緒になると混雑して嫌だなぁと思っていたら、偕楽園へ向かうバスは全く違ったようで、人も少なくて快適。8時前に偕楽園に到着。

 偕楽園は兼六園・後楽園と違って無料で開放されているので、この点が非常に有難い。当然こんな朝早くから来ている観光客なんておらず、広い園内には僕以外に一組の老夫婦しかいませんでした。あとは庭園を整備している庭師の方々が多数。でも僕はこういう静かな庭園の方が好きです。落ち着いた雰囲気が何ともいえません。

 さて、偕楽園は梅が有名らしく、事前にホームページを確認してみたところ、10本くらいはもう咲いているということでした。ということは何とか梅の花を見られるかと思ったら、行ってびっくり大量の梅の木。まるで梅の木の海のよう。後で調べたらどうやら3000本もあるみたいで、この中から10本を探しだすのは至難の業です。偕楽園を甘く見ていたね。何はともあれ写真をどうぞ。


<まだ梅はほとんど咲いていない>

<偕楽園から千波湖を眺める>

 この前の兼六園と比べると、庭園というよりは公園という感じの園内でしたが、無料開放で庶民的であることを考えれば、肩肘張らないこのくらいの庭園がいいのかもしれません。兼六園は見るのに心構えがいるような感じだけど、偕楽園は気軽にぶらっと立ち寄ることのできる感じです。ちなみに無料開放の歴史は創設者である徳川斉昭公の「庶民も楽しめる庭園を」と言う考えに由来しているらしいです。ありがとう、斉昭公。

 ちなみに梅の花が既に咲いている10本の木のうちの一つを見つけることができました。ピンクのきれいな花が咲いています。つぼみのものも結構あったから、もう少ししたら咲き乱れるのでしょう。2月20日から3月一杯までは「梅祭り」が開かれているようなので、また3月辺りにでも来てみたいと思います。今回は朝早すぎで好文亭という建物にも入ることが出来なかったし、いずれまた近いうちに。

 偕楽園を一通り見た後は、偕楽園そばにある常盤神社にお参り。光圀公と斉昭公という水戸藩の二大ヒーローを祭っている神社です。偕楽園入り口に「偕楽園に入る前に黄門様にお参りしましょう」とか、神社内にある「義烈館」という歴史博物館案内看板には「水戸のすごいものあります」と書いてあったり、何かを必死にアピールしています。必死にアピールされてちょっと興味が湧いたものの、まだ義烈館は開いていませんでした。朝早すぎるからな。


<常盤神社>

<茨城の地酒各種>

 再びバスに乗って水戸駅方面へ向かい、次は弘道館へ。ここも9時の入場と同時に入ったので、見物客は皆無でした。弘道館はほぼそのままの形で残されていて、藩主が座って武道の試験を見る部屋であったり、大政奉還後の徳川慶喜が蟄居していた部屋であったりが現存します。藩校は藩校なんだろうけど、一見すると普通の屋敷のように見えなくもありません。

 藩校・弘道館も偕楽園と同じく斉昭公が創設したそうで、徳川斉昭という人は藩政に大きな影響を与えた人物なのだと思い知らされます。ざっと見た感じ、水戸は将軍になった慶喜よりも光圀と斉昭の方が人気が高いようです。慶喜は江戸から逃げたりして、どうも腰抜けのイメージが強いからなぁ。


<表玄関>

<庭>

<廊下>

<中庭>

<藩主が座って庭での武道を眺めた部屋>

<その武道の試技が行われた庭>

<大政奉還後の徳川慶喜が蟄居した部屋>

<徳川慶喜の荷物箱>

 弘道館のあとは、水戸城跡を散策。とは言っても当時を偲ばせるものは城門くらいしかありません。何せ水戸城はきちんとした石垣を積まなかったみたいだし、旧城内は既に高校が立ち並ぶ場所になっています。唯一の遺構である城門を探して歩いてみたもの、その城門は高校の敷地の中にあったので、入るのを躊躇ってしまいました。正門に「高校関係者と城門見物者以外の立ち入りを禁止します」と書いてはいたけど、何だかねぇ。入りづらいじゃない。


<昔の堀は今線路>

<旧城内は高校の敷地>

 あとは歩いて水戸駅へ。途中には光圀公が生まれた「水戸黄門神社」がありました。あと水戸駅前で待っているタクシーは、みんな黒い。茨城県のタクシーっていうのがみんなこうなのか?東京のタクシーがほとんど緑だったことも、上京した当時は驚いたけれど。


<水戸光圀が生まれた場所らしい>

<黒いタクシーが多い水戸駅前>

 9時56分の電車に乗って石岡へ。3時間程度の滞在でちょっとせわしない感じになってしまいましたが、目ぼしいところは見物できたのでよかったかと。でも名物を食べてないな・・・。

<石岡で餅つき>

 10時28分に石岡駅に着いて、すぐにバスに乗り換え。10時半発の柿岡車庫行きに乗って30分、終点の柿岡車庫へ。バスの乗客は最初5人くらいいましたが、途中からは誰もいなくなり、残りの20分間は僕だけでした。果たして採算は取れるのでしょうか。終点の柿岡車庫からは筑波山がよく見えます。


<終点柿岡車庫から筑波山を望む>

 柿岡車庫までシバさんが迎えに来てくれて、車でシバ家へ。シバ家へ着くと懐かしの人々が既に最初の餅をつき始めているところでした。去年も来たときはもっと狭くて古い家だったのが、今年は広くて立派な家に引っ越していました。というのもシバさんは最近結婚されたのです。おめでとうございます。。去年の家はそれこそ銭形金太郎のロケでも来そうな感じだったけど、今の家は農家っぽい広々した家で、のんびりできる感じです。そういえばこの旅行記を書いている時点で、まだ去年の餅つきの旅行記書いてないですね。すみません。

 庭で皆で協力しながら餅つき。去年もやって思ったのは、餅つきって意外と体力がいるということです。特につく前のこねる作業は地道で大変疲れます。でもしっかりとこねないと、出来上がりがよくないらしい。あと鉄と同じで、餅も熱いうちにつかないとだめみたいです。

 そうやってつきあがった出来立ての餅を食べると、うまいんだこれが。きな粉もおいしいけど、シバ家自家製のキムチやたくあんと一緒に食べると尚おいしい。あとオリオンビールや泡盛と一緒に食べるとより一層おいしい。特に寒い日だったので、泡盛のお湯割りなんか飲むとたまりません。


<こねましょう>

<鳥も見つめる中>

<つきたての餅>

<食べる準備万端>

<自家製のキムチや漬物と共に>

<汁ものもうまい>

 12時以降になると続々と他の参加者もやってきて、一気ににぎやかになりました。ただその後から来た人の多くが2005年のきび刈り参加者で、40人もいるときの学生達だったから、顔は微かに覚えていても名前が全く思い出せません。ごめんなさいね。

 結局3時頃まで餅つきをやって、その後は家の中のこたつで酒を飲みながら話をしつつ、うどんを作って皆で食べて過ごしました。大勢でこたつを囲むというのはいいものです。思えば西表島で共にさとうきび刈りをしたメンバーが、再び茨城で集まるというのも何か変な感じです。でもきび刈りが終わってもこうやって再び集まることができるのは嬉しいことでもあります。また来年も集まりましょう。

<再び水戸へ 新名物ねばり丼を食べる>

 6時にシバ家を後にして、バスに乗って石岡駅へ。本当ならここでそのまま東京に帰るつもりだったけど、僕は何をとち狂ったか、東京行きとは反対の、水戸行きの電車に乗り込みました。朝せっかく水戸に行ったのに、水戸名物を食べてなかったのでね。18切符があることだし、もう一度水戸へ行くことにしたのです。

 7時過ぎに水戸に着いた僕は、「水戸黄門ラーメン」を食べるか「ねばり丼」を食べるかで悩みました。水戸といえば黄門様で、ラーメンを最初に食したのが黄門様というのはラーメンマニアにとっては有名な話。最近では黄門様が食べた当時のラーメンを再現して出す店が何軒かあります。もう一つ、水戸の名物として忘れてはいけないのが納豆。僕は納豆はそんなに好きではないけれども、水戸の納豆は他の納豆と違うかもしれません。最近では納豆やその他粘る食材を使った「ねばり丼」というものを、水戸の新名物にしようとしているそうです。。

 どっちにしようか悩んだ僕は、駅から近くにあるほうに行くことにしました。朝早くから行動していて餅つきで体力を消費し、しかも酒を飲んでいたので、もうかなり疲れてしまっていて歩く気力もありません。できることならあまり歩きたくない。ということで調べた結果、駅ビルの6階に「ねばり丼」を出す店があるというので、ねばり丼に軍配が上がりました。ラーメンは好きだけどまた今度。。

 駅ビル6階にある「北のしまだ」へ。ここは北海道料理を重点的に出す居酒屋みたいですが、お構い無しに入りました。メニューの中で一つ浮いている感もあるねばり丼。一人で居酒屋に入って浮いている感がある自分に似ていて、親近感を感じます。酒も頼まずねばり丼のみを注文しました。中身は納豆の他に山芋、オクラ、メカブといったネバネバ食材から、まぐろ、いか、イクラといった海の幸なんかが入っていて、思ったよりも結構豪華、そして食べてみるとなかなかおいしい。特に納豆は味がしっかりとしていて、スーパーで売っている安い納豆とは違うような気がしないこともありません。さすがに水戸です。ただ裏を返せば、それだったら納豆とご飯だけで食べてみたかったというのも真実で、実はあまりごちゃ混ぜにしないほうがいいんじゃないかとも思いました。この辺難しいね。驚くほどおいしいわけじゃないけど、まあおいしい。でもこれなら家でも作れそうな気がしないでもないです。


<水戸の新名物 ねばり丼>

<ねばり丼>

 無事ねばり丼を食べて、後は家に帰るだけ。帰りの電車は足元のヒーターが効き過ぎていて、低温火傷じゃなくて普通の火傷を起こしそうになりました。行きはあれだけ寒かったといくのに。。JRの皆様、中庸でお願いします。

 11時過ぎに駒場の自宅に到着。楽しかったけど疲れた一日だった。無理はするもんじゃないですね。


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