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山陽山陰調査 1 
2009年8月24日(月) 一日目   <宮島(厳島神社、あなご飯)、広島(お好み焼き、平和記念公園)、三次>


広島・宮島を巡る>

 松本を夕方5時51分に出てから約5時間、夜10時42分に広島に到着しました。名古屋での新幹線乗り換えもありましたが、さすがに5時間は疲れます。しかし1997年春以来、12年振りの広島。テンションは上がります。先に広島入りしている国立の皆さんに合流すべく、路面電車に乗って銀山町のホテルへ向かいました。ホテル着は11時。


<久々の広島>

<路面電車に乗ってホテルへ>

 先に広島入りしていた国立の皆さんは既にホテルの部屋で飲んでいたので、そこに合流。皆さんは今日宮島へ行っていたそうで、余ったうえののあなご飯を食べさせてもらいました。これは冷えてもうまい!ということで、明日は早起きして宮島に行こうと決意し、飲みは日付が変わった24日午前0時頃お開きに。しかし僕はせっかく広島に来たからお好み焼きを食べておきたいと、一人夜の街へ繰り出しました。地図を見つつ、深夜営業しているお好み焼き屋を求めて繁華街八丁堀の方へ。夜中とはいえ100万都市広島。なかなか治安も悪そうです。怖い怖い。


<広島>

<お好み村発見>

 昔来た時には発見できなかったお好み村の看板を発見しましたが、今回行きたいのはお好み村の店舗ではない店。「元祖へんくつや」という店です。本当は他にも行きたい店があったけど、日曜深夜に開いているのはここくらいしかありませんでした。まあへんくつや自体も創業1947年という老舗なので、全然問題ないです。 

 さすがに深夜1時を過ぎていたの他に客はおらず、カウンターは僕一人。しかし後から数人入ってきました。オーソドックスな「そば肉玉入り」(750円)を注文し、目の前で店員さんにちゃっちゃと調理してもらいました。お好み焼きは食べるだけでなく、作る過程を目の前で見ることができるのが大きく思います。立ち上る煙とソースの匂い。一種のパフォーマンスが食欲を増進させてくれます。極めてシンプルでオーソドックスな一品でしたが、夜食としてはちょうどよかった。 


<広島のお好み焼き>

<元祖へんくつや>

 2時頃ホテルに戻り、疲れもあってすぐに就寝。しかし翌日は少し無理して6時半に起き、シャワーを浴びて一人出かけました。行き先は宮島。JRを使うと30分くらいで行けますが、旅情を味わおうと市電でトコトコ向かうことにしました。ホテル最寄りの銀山町から宮島口までは約1時間。しかし、平日なのでサラリーマンや学生が多く、最初のうちは旅情を味わうどころではありませんでした。

 やがて広島市街を抜けると、それまで道路上を走っていたのが途中から専用軌道に変わります。そこからは学生も少なくなり、瀬戸内海も見えでまさに旅情。いいねえ。差し込む朝日にうつらうつらしながら、8時15分に終点宮島口に到着。 


<朝の銀山町>

<宮島口に到着>

<広電宮島口>

<宮島口ホーム>

 宮島口からはフェリーに乗り換えて宮島まで。宮島口から宮島まではJRと広島電鉄グループの二社のフェリーが出ており、今回はちょうど時間のよかった広島電鉄グループの方に乗りました。宮島までは10分。フェリーの中のテレビでとくだねの小室哲哉逮捕のニュースを見ていると、あっという間に宮島に到着。 


<フェリーに乗る>

<宮島が見えてきた>

 12年振りの久々の宮島に降り立つと、そこには昔と変わらずたくさんの鹿がいます。宮島の鹿は凶暴で、観光客が持っている紙袋を食い破ったりしてくるので注意が必要だと身構えていましたが、まだ朝早かったからなのか、暑いからなのか、鹿もお疲れの御様子です。近付いてもびくともしません。知床の鹿牧場で見たおどおどした鹿とは全く違って、堂々としています。 


<日本三景碑と鹿>

<シカもまだ眠い時間>

 動かない鹿達を横目に、歩いて厳島神社へ。段々と大鳥居が大きくなってきます。 


<歩いて厳島神社へ>

<大鳥居が見えてきた>

 そして厳島神社に到着し、観光客よろしく大鳥居を撮影。ちょうど満潮の時間だったようで、大鳥居に近付くことはできませんでしたが、海の中に立つ鳥居はやはり神秘的です。小さい頃、初めてこの姿を見た時、世の中には不思議なものがあるもんだと思ったことを思い出しました。小さい頃、父親に連れてきたもらった記憶が鮮明に蘇ります。 


<大鳥居>

<厳島神社全景>

 厳島神社の境内に入って、回廊を散策。普段なら人でごった返す場所ですが、まだ朝早いこともあってほとんど人がおらず、ゆっくり落ち着いて見物することができました。個人的には右下の写真の、本殿から見える大鳥居の構図が好みです。

 続いて厳島神社隣にある千畳閣へ。ここも一応厳島神社の境内という位置付けになるそうです。千畳閣は豊臣秀吉が戦没者の慰霊のために建てようとしたもので、秀吉が途中で亡くなってしまったので工事が中止され、天井や側面の板がないままの状態になっているもの。中に入ってみようと思ったら、お金を取られるそうだったので、お金のかからない軒下を通るだけにとどめておきました。 


<千畳閣>

<軒下を通るのはタダ>

 軒下を通り抜けると五重塔前に出て、そこからは宮島の街を見下ろせます。そこから坂を下ると、宮島の裏通りに出たので、ふらふらと散策しました。表通りは土産屋が多く活気もありますが、裏通りはしっとりとした感じの街並みが続きます。昔泊まったペンションみやじまというところのキャッチフレーズが、「裏通りも宮島です」とか何かそういう感じだったと記憶していますが、まさにそんな感じの、味のある通りでした。こういう通りがあるとは知らなかったなあ。 


<宮島の街を見下ろす>

<宮島の裏通り>

 本当なら名物の焼き牡蠣やもみじまんじゅうを食べたかったところですが、朝早いこともあってまだ店が開いていません。旅行をしていて困るのがこれで、朝早いと人が少なくのんびり落ち着いて散策できる代わりに、店が開いてないので名物が食べられません。逆に昼だと店は開いてますが、人が多くて落ち着いて散策できる雰囲気ではなくなります。このジレンマが大きい。だから朝早くからやっている店は本当に重宝します。今回は開いてなかったので残念。

 最後に宮島フェリーターミナルの近くにある小高い丘に登って、宮島の街を眺めて終わりにしました。 


<細い路地を上り>

<厳島神社方面を眺める>

 9時50分のフェリーに乗って宮島を後にし、再び宮島口へ。遅めの朝食を取りに、JR宮島口駅前にある、あなごめしの 「うえの」 へ。宮島口と言えばうえののあなご飯というくらい、その筋では有名な駅弁です。高校生の頃、友達と宮島に来た時も食べたかったけど、1500円という値段に手が出ず退散した記憶があります。高校生にとって昼食に1500円の出費は相当なもの。あれから10年以上経ち、僕も曲がりなりにも大人になりました。1500円くらいなら何とか出せます。今回は駅弁ではなく、店で温かいあなご飯を食べることにしました。朝10時から営業しているので助かります。日昼時だと1時間待ちは当たり前だそうですが、今回は開店直後だったのですんなりと店に入れました。

 あなごめし(1470円)を注文。昨日の夜少し食べさせてもらった、冷えたあなご飯もおいしかったですが、温かいあなご飯はさらにおいしいです。穴子がほくほく。脂の乗り具合と身の閉まり具合が抜群でした。穴子は旬が夏だそうなので、ちょうどよい時期の穴子に当たりました。下に敷き詰められているご飯もおいしかった。各地でいろいろなものを食べてきましたが、トップクラスの満足度です。いや、よかった。   


<念願のあなご飯を食べる>

<あなごめしのうえの>

 念願のあなご飯に満足して、再び市電に乗って広島市内へ。  


<途中まで専用路線>

<広島市内は路面電車に>

 11時半頃広島市街に到着し、再び国立の皆さんと合流。先に昼食をということで、広島の老舗ラーメン屋である、「上海総本店」へ行きました。1時間ちょっと前にあなご飯食べたばかりですが。。最近では「広島ラーメン」というカテゴリーもあるようで、ささっぱりした豚骨醤油がベースのようです。上海総本店は屋台から始まった店で、特に上海とは関係もないらしい。

 僕は中華そば(600円)を注文。店にはおでんもあり、地元のラーメン屋を思い出します。広島山口辺りのラーメン屋は、一緒におでんを置いている店が結構あり、ラーメンが出てくるまでおでんを食べながら待っていたものです。東京ではそういうのがないので忘れていましたが、ここのおでんを見て昔のことをはっと思い出しました。ラーメン自体はあっさりした豚骨醤油で、麺は柔らかめ。そしてスープは少し甘めです。やっぱり昔地元で食べていたようなラーメンで、個人的には懐かしい味です。やっぱり広島と山口は近いものがあるようです。下関は完全に福岡文化圏で、広島は遠くの都会といった感じでほとんど意識することはほとんどありませんが、ラーメンの影響は受けているみたいです。 


<老舗の上海総本店>

<年季が入ったメニュー>

<中華そば>

<おでん各種>

 食後は再び市電に乗り、今度は皆で原爆ドームへ。


<紙屋町東>

<八丁堀>

 原爆ドームに来るのも多分12年振りだと思いますが、かなり記憶が薄れているので、ああこんなんだったかなぁという感じ。囲いがあって近付けないようになっていのは、当時からそうだったのかどうかという記憶がありません。瓦礫がそのままだということは、多分当時から近付けないようになっていたとは思いますが。   


<原爆ドーム>

<ドーム内部>

<元安川を挟んで>

 原爆ドームから歩いて、爆心地や禎子の像、記念碑など。爆心地には当時島外科という立派な病院があったそうですが、今もその島外科があることに驚きました。禎子の像はしょっちゅう寄贈された千羽鶴が燃やされていたためか、いつのまにか千羽鶴が燃えないように囲いが出来ています。実家が広島から近いこともあって、小学生の頃彼女をモチーフにした「千羽づる」という映画を見たことを思い出します。


<爆心地 島外科>

<おどろおどろしい字>

<禎子の像>

<向こうに原爆ドームが見える>

<あの日もこんな空だったのだろうか>

<平和記念資料館>

 続いて平和記念資料館へ。ここは何度か訪れたことがありますが、久しぶりに行くとかなり展示内容が変わっていたような気がします。夏休みということもあって、小さな子から部活の試合で来ている高校生、外国人など、かなり多くの見物客がいました。しかし何だろう、昔見た時は事実は事実として捉えたものの感情的には全く何も感じなかったのに、今見ると泣きそうになります。それは単に歳をとって涙もろくなったからではなく、歳を重ねることで他人の人生の内面をもっと知ることができるようになったから。世の中一人一人の生活があり、家族がある。そういった幸せな時間を、一瞬にして奪われることに対するやり切れなさや無念さを、少しずつ分かるようになったからだと思います。

 山口県に住んでいると、小学校の修学旅行は広島平和学習になるのが常ですが、どういうわけか僕らの小学校の修学旅行は熊本・大分でした。3つ下の妹の学年から広島になったそうですが、当時はまだそんなに「平和学習」が叫ばれてなかった時代だと思います。最近の平和学習ブームもいいですが、歳を重ねて大人になってから来るとまた一味違うように感じました。


<外国人も多い資料館>

<8時15分で止まった時計>

<当時の付近の様子>

<人がいたであろう影ができている>

<資料館から見た平和記念公園全景>

 この後は広島城にも行きたかったところですが、時間がないので断念して、明日からの調査地である三次へ向かうことにしました。広島駅4時発の快速「みよしライナー」に乗って、終点の三次まで。「快速三次ライナー」という名前が付いているので、結構素敵な電車かと思っていたら、実家の山陰本線を走っているのと同じ、黄色い古びた気動車で少々がっかりです。


<広島駅>

<快速みよしライナーに乗って三次へ>

<中国地方の中心に位置する街 三次>

 5時19分、終点三次駅に到着。三次は広島県北部、中国山地の麓に位置する人口6万弱の街です。。   


<三次駅に到着>

<ここから先はレールバスになる>

 駅から歩いて今夜の宿泊場所である三次グランドホテルへ。チェックインした後、先生方とも合流して若干の打ち合わせをしてから全員で夕食へ。  


<三次グランドホテルのシングルルーム>

<三次の夕暮れ>

 今夜は飲むことになるだろうと、事前に三次の飲食店を下調べしてみましたが、街の規模もあってかなかなか店が見つかりません。そんな中、 「うさぎ」 という居酒屋が群を抜いて評価が高く、ヤフーグルメで星5つ付いていました。さすがにそこまで高いと信憑性も疑いたくなりますが、雰囲気も料理もよさそうなので行くことになりました。

 結果として、ここは酒も料理もかなりおいしかった。地元の食材に拘った料理で、卍先生にもご満足いただけたようです。よかったよかった。地方にもすごい店があるもんです。地野菜の盛り合わせはシンプルだけど、野菜が甘くて本当によかったなあ。   


<冷酒>

<地野菜盛り合わせ>

<タコと大根の煮物>

<レバ刺し>

<野菜天ぷら>

<お茶漬け>

 10時頃ホテルに戻り、明日から本格的な調査なので早目の睡眠。  


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