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東京見聞録  
2008年3月23日() <佐野ラーメン、東照宮、足尾銅山、明智平、華厳滝>


高速道路で北へ>

 前日は早めに寝たので、マルコフと共に7時起床。天気もいいことだし、前日話していた日光・足尾行きを決行することにしました。さくっと出かける準備をして、大学構内を抜けて山手通りの駐車場に向かい、例のマルコフのスカイラインクーペに乗って出発。まずは渋谷から首都高に乗って東北自動車道を目指しますが、首都高をほとんど走ったことがない僕にとって、首都高の走行は新鮮でした。普通の高速道路に比べると、首都高は道幅が少し狭くて、しかもカーブが多い。おまけに高層ビルの隙間を抜けていくから、何となく近未来的な感じも。何かこういうカーレースのゲーム(何とかリッジレーサーだっけ?)あったけど、あれって首都高をモチーフにしているんかな?朝は車が少ないので、スカイラインクーペのバトルシフトとやらを存分に使った高速走行を堪能させてもらいました。

 やがて東北自動車道に入り、日光を目指して北へ。入り組んだ首都高もいいですが、開放感のある東北道もまたいいです。ここでもスカイラインクーペの走行性能を十分に発揮しつつ、かつ覆面パトカーに気をつけながら、ビュンビュン飛ばすマルコフ。時速140kmて。お陰で到着予想時刻は当初の10時15分から9時45分へと、30分も縮まりました。

 途中、佐野SAで休憩。朝食を食べてなかったので、フードコートで小腹を満たすことに。佐野と言えばラーメンなので、朝から佐野ラーメンを食べてきました。こういうフードコートで食べるラーメンだからたかが知れているだろうと思いましたが、フードコートにしては結構おいしかったように思います。手打ち風の縮れ面が、すっきりとした醤油味のスープと絡んでするすると入ってきます。食感が抜群。腹も膨れて満足。


<佐野ラーメン(550円)>

<男体山が見えてきた>

 ラーメンを食べて満足して、再び東北道を北に走っていましたが、朝からのラーメンが堪えたのか、腹が痛くなってきました。ここにきてまた持病の突発性腹痛。最初は我慢して何とか凌いでいましたが、次第にもう無理!の状態になり、マルコフに頼んで次のPAまでぶっ飛ばしてもらうことに。こういうとき、走行性能の高いスカイラインクーペは助かります。アウトかセーフかというギリギリの段階で日光PAに到着。一目散にトイレに駆け込んで、事なきを得たのでした。ほんと、腹が弱いと困る。

<日光東照宮>

 高速を降りて日光東照宮へ。途中で休憩をとったので、当初カーナビが示していた10字20分に到着しました。2回目の日光東照宮。前回来たのは2005年3月の卒業旅行だから、3年振りかな?久々と言えば久々にやってきました。


<東照宮前の杉並木>

<東照宮入り口>

 この辺りは輪王寺・東照宮・二荒山神社がセットで世界遺産に指定されていて、建物同士も近いですが、今回はとりあえず東照宮を最初に見て、時間があれば他の二つも見て回ることにしました。なぜかというと、この辺は入場料がバカ高いから。東照宮だけで1300円もするし・・・。なぜこんなに高いのでしょうか。

 1300円払い、まずは有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿がある神厩舎へ。3年前も見ているけど、来るとなぜかまた写真を撮ってしまう悲しい性ではあります。本来この神厩舎には8つの猿の彫刻があり、これは猿の平和な一生の過ごし方を表しているのだそうです。三猿はその中でも幼少の頃のことを表しているそうで、「悪事を見ない・言わない・聞かない方がいい」ということらしいです。勉強になりました。


<三猿がある神厩舎>

<見ざる・言わざる・聞かざる>

 この三猿を眺めている頃からマルコフの鼻がおかしくなり始め、すぐにくしゃみを連発する自体になりました。花粉症持ちのマルコフ。東照宮は杉の木が多いのでそれに反応したようです。東照宮の杉の威力はものすごいようで、目を真っ赤に腫らして喉と鼻の奥の痛みを訴えています。花粉症ってそんなに辛いのね。

 マルコフは花粉症に苦しみつつも、東照宮のメインである陽明門と本殿へ。3年前の旅行記でも書きましたが、東照宮の建物は全てがあまりにも煌びやか過ぎて悪趣味に感じてしまいます。どこを見ても金ピカ。何となく中国や沖縄の宮殿の色の使い方にも似ている気もしますが、このように金や彫刻を多用するのは権力者の性なのでしょう。ここには日本的な詫び寂びを感じません。その点、外国人受けはいいようで、外国人観光客は声をあげて関心しきりでした。


<三神庫(重要文化財)>

<境内を眺める>

<陽明門(国宝)>

<廻廊(国宝)>

 陽明門をくぐり、唐門越しに本殿を眺めてから、有名な「眠り猫」へ。眠り猫は3年前に見逃していたので、今回が初めてです。国宝にも指定されていて、どんなに荘厳で立派なのだろうと思っていましたが、奥宮の入り口の門の上にぽつんと座していました。左甚五郎作のこの眠り猫、確かに素敵な彫刻ではありますが、美術全般に疎い僕は、これのどこに国宝になるほどの価値があるのかがいまいち分かりません。それよりも眠り猫の下に集まって、必死にデジカメや携帯を向けている人々(自分含む)に興味が湧きました。美術的素養がなくて残念。


<唐門と本殿(国宝)>

<眠り猫(国宝)>

 眠り猫を越えて、徳川家康が眠る奥宮へ。奥宮までは10分ほど長い石段を登らなければならず、結構疲れました。加えて杉林の中を行くので、花粉の量も半端じゃないです。最初はくしゃみを連発するマルコフを見て「かわいそうにねぇ」と憐れみのみを向けていた僕ですが、ここを歩く頃になって自分自身も鼻の奥が痛くなり、次第に目が開けられなくなってしまいました。これは正直辛い!くしゃみは出ないけど、鼻から喉の奥にかけてが地獄のように痛いです。花粉症ではないのに、まさかこんなになってしまうとは。マルコフに対していい気味だとほくそ笑んでいた罰に違いない。僕もひどくなったのを見て、「これは長州人であるうちらに対する家康の呪いだ!」と力説するマルコフ。そ、そうそう、確かに家康の罰に違いないよね。。

 花粉と石段で精神的・体力的にやられながらも、奥宮に到着。拝殿で参拝して、その奥にある御宝塔へ。ここは家康の亡骸が眠っているところです。当たり前だけど、2ヶ月前に訪れた静岡の久能山東照宮の墓所にそっくり。


<奥宮拝殿(重文)>

<家康が眠る御宝塔>

<せっせこ登りましょう>

<歴史ある狛犬>

 奥宮から降りる頃にはさらにひどい状態になっていて、一刻も早くこの花粉が飛び交う東照宮から去りたい気分でした。とりあえず本殿に入って見物し、祈祷殿でやっていた神前結婚式をちらっと見物。外国人からすると「これぞ日本の結婚式」と見えるようで、祈祷殿の周りには大勢の外国人観光客がカメラを片手に見物していました。その後は前回も見た金ピカの御神輿を見て、薬師堂で有名な鳴き龍を見物して(人多過ぎ!)、逃げるように駐車場へ。この花粉の中、輪王寺や二荒山神社は無理です。


<結婚式>

<この杉だから・・・>

 この日光の杉並木ですが、東照宮はこの杉並木に対してオーナー制度を取り入れて保護を推進しているそうです。日光杉並木は国の特別名名勝、特別天然記念物に指定されており、さらにはギネスにも紹介されているということで、大変価値のある杉並木だそうです。だからこそ、花粉もすごくて僕らは往生したわけですが。もしこの保護活動に興味があるかたは、東照宮のサイトの ここ をご覧ください。

 11時40分、逃げるようにして次の目的地、足尾へ。

<足尾 銅山の町>

 日光から足尾までは意外と近く、20km程度です。基本的には車の少ない山道ですが、前を行く車が法定速度を遵守していたので、スポーツカーと言われるスカイラインクーペに乗っていたマルコフは大分イライラしていたようで、10秒に1回くらい舌打ちをしていました。そして前の車にぴったりマーク。前の車も嫌だったのか、遂には道を譲ってくれましたが、譲ってもらったとたんにこれ見よがしに猛スピードで抜いていくマルコフ・・・。まあ、気持ちは分からんでもないが、あんまりそういうのはよくないと思うぞ。。

 30分程で群馬県との県境に位置する足尾に到着。旧足尾町は2006年に日光市と合併して、日光市の一部となったみたいですが、見るからに過疎化が進んでいる町であることが分かります。まずは「足尾銅山観光」という銅山観光施設がある場所に車を停めて、昼食をとるべく歩いて通洞駅付近へ。通洞駅はわたらせ渓谷鉄道の駅で、足尾の中では中心繁華街に近いということでしたが、中心繁華街とは言っても本当に静か。よく言えばのどか、悪く言えば活気がなくて寂れている。今日は本当に日曜日なのか?

 通洞駅はなかなか古い駅で、しばし駅構内を堪能させてもらいました。トロッコ列車に乗ってここに来るのも悪くはないかも。


<通洞駅>

<中心繁華街>

<足尾銅山観光付近の風景>

<風景その2>

 通洞駅を見物して、さてどこで昼食にしようかとなりましたが、僕は足尾名物が何であるのか、そもそも足尾名物があるのかを知りません。よく分からないので、駅前にある観光案内所で聞くことに。観光案内所に入ると、係りのおじさんが出てきてとても丁寧に足尾のことを教えてくれましたが、足尾名物というものはないということ。。しかも今の時期はまだ閉鎖している施設が多いので、是非今後また夏にお越しくださいとのこと。。うーん、何か本当に寂れている雰囲気・・・。

 足尾に名物はないということでしたが、観光案内所のおじさんが「地元の人からの人気が一番あって、特に中華そばがおいしい」という「若竹食堂」へ。中へ入ると、地元の人と思われる人達で席は結構埋まっていました。中には小学生と思しき4人組も。なかなか繁盛しているみたいで、これなら期待できます。調べてみると、この店は足尾銅山が稼動している頃から営業しており、当時は夕方になると工夫がやってきて、テーブルでコップ酒を飲みつつ食事をしていたそうです。歴史がある店なのですね。

 空いていた席に座り、中華そばを注文。値段は400円と、時が止まったような価格で嬉しくなります。中華そばは正統派の醤油味。味付けはかなり薄めだけど、きちんと出汁が取られています。こういう素朴なラーメンを食べるのは久しぶり。店の雰囲気と相まって、とてもおいしく食べられました。


<若竹食堂の中華そば>

<店内の雰囲気>

 店のテレビは春の甲子園をやっていて、ちょうど故郷の下関商業が戦っているところでした。下商が甲子園に出ていることもこのとき初めて知りましたが、相手の高校がどこの県なのか分からず、果たしてこれは応援してもよいのやら・・・。もし相手の高校が栃木代表とかだったら、それこそ下商を応援していたら非難轟々じゃないかと。しかしマルコフは結構大きな声で「よし」「あー、バカ」とか言っていて、ちょっと冷や汗が出ました。結局対戦相手は大阪代表と分かってほっとしたけど、甲子園のような都道府県対抗戦は外で見るもんじゃないですね。

 昼食後、いよいよ「足尾銅山観光」へ。環境政策を研究テーマとしている僕にとって、日本の近代公害の原点であるこの足尾はいつか訪れなければいけないと思っていた場所でした。しかし、その銅山周辺に広がるのは昭和的な観光施設のみ。これは大丈夫かいなと思いつつ、トロッコに乗って通洞坑と呼ばれる坑内へ。


<ゲートをくぐる>

<トロッコに乗って通洞坑内へ>

 通洞坑は3つあった坑道のうちの一つで、内部は縦・横が縦横無尽に繋がっています。そのうちのごく一部が、観光用に開放されていて、そこには足尾銅山での銅採掘の歴史がマネキンを使って示されています。細部までやけにリアルに再現されているのに驚きましたが、江戸時代から明治大正昭和にかけて、どのような方法で採掘が行われてきて、採掘方法がどのように進化してきたのかというのがよく分かりました。通洞抗内部にも未だに銅の化合物が表出している場所があって、ここは銅山だったのだと納得。


<奥に続く坑道>

<銅化合物が表出している>

<やけにリアルなマネキン>

<江戸時代の作業風景>

<戦前の作業風景>

<戦後の休憩風景>

 坑道のマネキン展示部分を越えると、展示室ような場所へ。ここでは足尾銅山観光のマスコットキャラクターである「源さん」なる人物による足尾銅山の解説ビデオがあり、公害のことも言っているかと見てみました。しかし流れたのは足尾銅山の概要と、銅がどのようにできるのか、ということのみ。それでも結構勉強にはなりました。足尾銅山の全ての坑道の長さを合わせると1000km以上になって東京博多間に匹敵すること、銅山は江戸時代前期に最盛期を迎え、幕末にはかなり衰退するものの、1877年に古河市兵衛が買い取ったことで徐々に回復し、最盛期には日本の銅産出量の4分の1を占めたことなど、足尾銅山の基礎を学ぶのならこのビデオで十分かと。ただその後の展示でも思ったことですが、やはり足尾銅山は鉱毒事件のことよりも、足尾銅山によって発展した街のこと、足尾銅山を発展させた古川市兵衛のことに重点を置いて説明されているようです。あとは銅採掘の技術的な面について。それはそれで面白いのだけど、負の側面が全く見えてこないのは、個人的には欲求不満でした。それは自分で勉強しろということなのかな。まあ、銅が採掘されていた備前盾山が未だにはげ山になっているという事実が、無言でしかも端的に鉱毒事件の酷さを表しているのだと理解しています。足尾銅山鉱毒事件については、珍しくウィキペディアの説明が詳しくてしかもクオリティが高かったので、そちらを見てもらえれば分かるかと思います。


<足尾産の銅>

<大きな電極板>

 通洞抗を出て、隣になる資料館のようなところへ。足尾銅山は寛永通宝が鋳造されていたこともあり、それで貨幣鋳造の仕組みが展示されていました。貨幣を鋳造する者は最初と最後に素っ裸で検査を受けなければいけなかったそうです。それは分かるけど、それを表したマネキンが妙にリアルで目のやり場に困ります。


<銭を鋳造する者は裸で>

<エキスパンダーのよう>

 全てを見終わるとお土産屋を通り抜けて終わりですが、このお土産屋が昭和の雰囲気丸出しでした。ちょっとだけ見ようと思ったら、しつこい客引きをされて買って買ってのオンパレード。こういうとき、僕は本当に冷徹なので試食しても買うことはありませんが。我ながら嫌な客だろうなぁと思います。

 足尾銅山観光を出て少し周りを散歩すると、廃墟を発見しました。「廃墟は男のロマン」と豪語するマルコフの目が輝いております。。どうやら鉱山に関係ある施設だということは分かりましたが、それ以上の詳しいことは分からず。ガラスも割れており、内部は本当にガラクタ置き場のようになっています。うーん、廃墟。


<廃墟>

<廃墟の中>

 これで念願だった足尾銅山の見物は終了。鉱毒事件そのものについての展示は少なかったけど、事件が起きていた場所に来ることが出来たことに意味があると思うようにします。あとは自分で勉強します。とにかく、百聞は一見にしかず。

<明智平と華厳の滝>

 足尾銅山を見終えた時点で2時半で、もう少し時間がありそうなので、再び日光に戻って華厳の滝を見に行くことにしました。日光に戻り、いろは坂をうねうねと登り、途中にある明智平で休憩。明智平から見える男体山が素晴らしいです。ここからロープウェーで明智平展望台に行き、中禅寺湖と華厳の滝を同時に眺めようとしましたが、ロープウェーは現在耐震工事中で休止らしい。残念。


<いろは坂を登る>

<明智平から男体山を望む>

 明智平では栃木地鶏の炭火焼を売っていて、香ばしくておいしそうな匂いが漂ってきます。昼はラーメンしか食べなかったし、小腹も空いたので1本購入。350円でした。マルコフは2本。店の人が「熱いので気をつけてください」と言ったとおり、焼きたてで肉汁が滴り落ちてきました。ジューシーで柔らかくて、満足な一品。


<地鶏と団子>

<結構大きい地鶏焼き>

 そして華厳の滝へ。お金を払ってエレベーターで降り、展望台へ。前回来たときは雪景色の中の豪快さに感動した覚えがありますが、雪が解け始めた今回も十分迫力を堪能できました。さすがに、日本三名瀑と呼ばれるだけのことはあります。水飛沫が気持ちいい。那智の滝、華厳の滝ともに2回以上見たことになるから、三つ目の袋田の滝を早く見てみたい。


<華厳の滝>

 その後、日光名物の湯葉を使った湯葉コロッケを食べて(今回はマルコフが1つで僕が2つ!)、一つのコロッケの大きさにびっくりし、夕暮れの中禅寺湖を眺めてぼんやりとしました。


<湯葉コロッケ>

<中禅寺湖>

 帰りもいろは坂を通るわけですが、ここでスカイラインクーペの性能を最大限に生かし、前の車を抜かしまくるマルコフ。。「バトルシフト」というものを使って、ドリフト走行さながらの爆走を披露してくれました。しかし、これは急発進急停止の緩急がつきすぎなので、はっきり言って酔います。果たしてこれは必要なのか?という気持ちも無きにしも非ず。。平穏主義の僕は、坂道もゆっくり下りましょうよという方針なので。まあ、マルコフ様の車に乗っているのだから口答えはできませんが。。

 帰りの東北道は事故の影響でめちゃくちゃ混雑していて、かなり時間がかかりましたが、7時過ぎに無事に東京に戻ってきました。またドライブに行きましょう。


旅行記トップにモドル

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