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知床調査 1  
2009年8月3日(月)  <東京→女満別→知床、小清水原生花園>


東京→女満別> 

 H橋のプロジェクトで、北海道の知床へ。7月の熊本に続く、現地調査第二弾です。今回は5泊6日と、社会科学系の国内調査にしてはそこそこ長い期間です。しかも知床の観光ハイシーズンとバッティングしています。疲れそうだよなあと思い、いつもより多めの荷物を準備していると、いつもの如く徹夜になってしまいました。風邪がまだ完全に回復していないのでめちゃくちゃ辛い。。羽田集合は11時40分でしたが、院生はその前に緊急打ち合わせが必要になったということで少し早目の11時集合。そう、当たり前だけど遊びに行く訳じゃないのよね。重い荷物を持って井の頭・山手・京急と乗り継ぎ、11時前に羽田空港に到着しました。

 今回乗るのは女満別行きJAL1189便。久々のJAL便です。手続きのため搭乗半券は回収されるので、その前にマイルをためておこうとマイルレコーダーでいろいろ試しましたが、どうやってもマイルをためることができず・・・。今回は団体扱いなので、搭乗券に個人氏名が書かれてないことが原因のようですが、マイルを溜められないなんて残念です。まあそもそも、経費でマイルをためるというのが間違ってますが。


<女満別へ>
 
<久々のJAL便>

 定刻12時40分に離陸。国内線の飛行機にはもう何度も乗っていますが、東京から北へ向かう便は初めてでした。なので北へ向かう飛行機の風景はどんなものかと楽しみにしていましたが、団体だと窓際の席は先生方など偉い人から埋まるわけで、院生の僕は風景も何も見えない真ん中の席でした。まあ仕方がない。隣になった留学生のMさんといろいろと話し、昼食用に買ったおにぎりを食べ、コーヒーをお替りし、調査の予習をしていると、すぐに着陸の時間になりました。一人で乗るより誰かと一緒に乗っていると時間が経つのが早いです。

 2時30分、女満別空港に到着。すぐに貸切バスに乗り、知床へ向けて出発しました。今回の調査団は計14名で、運転手つき中型バスを6日チャーターして動き回るそうです。日本の北は函館までしか行ったことがない僕にとって、最北到達記録を更新しました。函館は文化的にも自然的にも少し本州の香りがするので、今回が実質初北海道のような感じです。嗚呼、北海道。思えば遠くへ来たもんだ。北海道は曇っていましたが、車窓に広がる農場の景色が「これぞ北海道」という広がりを持つもので、こういう風景を初めて見た僕は静かに感動しました。地平線が見えるんですねえ。


<北海道にやってきた>

 女満別空港から調査の拠点となる斜里町ウトロ地区までは約2時間半。途中網走の 小清水原生花園 に寄り、休憩を兼ねて散策しました。


<小清水原生花園>
 
<観光案内所かと思ったらJRの駅だった>

 小清水原生花園はオホーツク海に面し、陸側は濤沸湖が迫っている長細い砂丘だそうです。原生花園というくらいなので花の名所らしく、確かに数種類の花が咲いていました。しかし残念なことに僕は植物に興味がないので、どんな植物が咲いているのか分かりません。なので景色を堪能するのみ。オホーツク海を挟んで、遠く知床半島が見えます。今日はあそこまで行くわけね。ちなみに気温は20度。東京は30度だったので、一気に涼しい場所に来ました。   


<原生花園とオホーツク海>
 
<知床半島が見える>

<濤沸湖>

<原生花園駅に汽車停車中>

 売店を見ると珍しいジェラートを売っていたので、これは食べたいなぁと思いましたが、今回はあくまで調査で来ています。そういう行為はいけないのだと言い聞かせ、ぐっと我慢してバスに戻ると、△↓さんを初め結構な人がジェラート買ってる・・・。なんだ、いいのかよとちょっと拍子抜けしました。ということで、僕も便乗して珍しいジェラートを。トマトとアスパラのジェラートです。アスパラはアスパラの味がしてほんのり甘いですが、トマトは酸味が強くてまさにトマトという感じでした。でもおいしい。これだからご当地アイスは止められない。


<まっすぐと延びる線路>
 
<トマトとアスパラのジェラート>

 小清水原生花園を出てバスは今回の主要フィールドである斜里町内へ。知床半島は北側が斜里町、南側が羅臼町に分かれていて、知床観光はほぼ北側の斜里町が主になっています。世界遺産指定範囲の入り口に当たる、斜里町ウトロ地区が知床観光の拠点を担っており、僕達の宿泊拠点もウトロです。斜里町の中心とウトロは若干離れていて、車で40〜50分というところです。

 斜里町内にはオホーツク圏最長を誇るという直線道路があり、運転手さんによるとその長さは約28km。終点にあたる小高い場所から眺めてみると、地平線に向かってまっすぐな道路が延びているのが分かります。まっすぐな道路がどこまでも続いていくという風景は、僕が想像していた北海道の雄大な景色の一つです。日本の中では北海道はスケールが違うなぁ。


<約28km続く斜里直線道路>

 その後バスはオホーツク海を左に走り、夕方5時15分にウトロ地区の温泉ホテルに到着。

<知床観光の拠点 斜里町ウトロ地区>

 ウトロは温泉街でもあり、何件かの大型ホテルの他にもかなりの数の民宿があります。今回は調査なので安い民宿かと思っていましたが、温泉付きのホテルに泊まるというので楽しみにしていました。ホテルの名前は 「ホテル知床」 。事前にネットで調べたところ、かなりの規模のホテルで、食事も美味しそうなのでした。大体「ホテル知床」と名乗るのだから、この地区でも一番の老舗に違いありません。名前の付け方が「東京大学」みたいなもんです。ホテルに入ると、噂に違わず大規模なホテルでした。まあ、ホームページで見たよりはかなり古い感じを受けましたが、この時期にこのランクのホテルに泊まれるだけでもありがたい。


<ホテル知床>

<ホテル内にネイチャーコンシェルジュも>

<熊のチーコ2才(享年)です>

<オシンコシンの滝のモチーフ>

 先生方は一人部屋ですが、僕ら学生は4人部屋。しかしこの4人部屋もかなり広く、ベッド×2に8畳和室と、修学旅行だったら10人以上泊まれる感じの部屋でした。こんな広くて快適な部屋に泊めていただけるなんてありがたい。一旦休憩したあとは6時半から夕食。ホームページを見る限り、僕はてっきり大食堂でバイキング形式の夕食だと思っていましたが、僕達の夕食は別の広間で個別に、ということでした。広間にはいるとそこには慰安旅行の宴会みたいな配置の料理が並べられており、これはもう今日だけの行動を見ていると完全に慰安旅行じゃないか。

 皆さん揃われたところでビールで乾杯し、道産牛肉の焼肉や海産物・地物野菜の鍋を堪能するという豪華な夕食になりました。温泉ホテル独特の量の多さにもびっくりしつつ、ご飯とみそ汁まで完食。いやあ、贅沢過ぎる。しかし、夕食の中ではこの日が一番シンプルなものになるとは、この時点で気付くはずもなく・・・。


<いわゆる宴会的な>
 
<本日の夕食>

<北海道牛の焼肉>

<海産野菜鍋>

 食後、僕らの部屋で数人で打ち合わせをし、それが終わって10時頃から飲むことに。先生方も集まってきて、僕らの部屋の和室で飲み会となりました。せっかく知床に来たのだから、地ビールを飲もうということで、流氷ドラフト、ハマナスドラフト、知床ドラフトの変わり種3種。色が青・赤・緑と若干グロテスクですが、味はいけます。緑の知床ドラフトは、緑らしく若干カテキンの味がしました。


<流氷ドラフト>
 
<ハマナスドラフト>

<知床ドラフト>

 最初は和やかな雰囲気で進んでいましたが、M2のY君の修論の話になったところで一気に先生達の矛先がY君に。卍先生と△↓さんにいろいろ突っ込まれてY君も大変だったろうと思いますが、逆に言えば先生達にそれだけいろいろ言ってもらえることは羨ましく思います。特に僕のところのようだと。そういう意味で、ここのゼミは羨ましい。よい修論を書いてください。Y君の修論執筆の引き合いとして、卍先生から「すぱくり君はどんな修論を書いたの?」と一瞬矛先が向いたのは怖かったですが、まあそれがちょっとお役に立てば。

 11時半にお開きになり、引き続き学生だけで反省会をした後、1時前に温泉へ。大浴場と露天風呂のどちらもかなり広く、なんと贅沢なことかと思いつつ体を休め、2時前にベッドで眠りにつきました。


モドル

                                         

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