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2010春 青春18きっぷの旅 1  
2010年3月22()  <上越線(土合、越後湯沢)、只見線>


上越線 日本一のモグラ駅と日本酒とへぎそば> 

 2010年春は18きっぷを使って、日帰りもしくは一泊二日程度で行けるローカル線を旅しようと思い立ちました。今回はその一回目で、新潟の小出と福島の会津若松を結ぶ「只見線」に乗ろうと思います。鉄道ファンなら誰でも知っているという只見線。直通列車は一日三本しかなく、秘境線とも言われる超ローカル線です。この只見線の乗車をメインに、上越線の新潟・群馬の県境に位置し、「日本一のモグラ駅」と呼ばれる土合駅を訪れ、ついでに越後湯沢でへぎそばと食べる、というのが今回の日帰り旅行の目的になりました。

 前夜は始発電車に乗るべく、東中野にある後輩N君の家に泊まらせてもらい、4時過ぎに出発。東中野4時27分発中央線に乗り、高崎を目指して、新宿・池袋・赤羽と三回乗り換えました。新宿はまだ4時半だというのに、既にかなりの人が電車を待っています。


<出発地の東中野>

<五時前にもかかわらず人が多い新宿>

<池袋で埼京線に乗り換え>

<赤羽で夜が明けてきた>

 赤羽で高崎線に乗り換えれば、あとは高崎まで一直線。東側からは朝日が差し込んできて、西側には富士山が見えるという早朝ならではの車窓が堪能できたのはよかったですが、いかんせん車内が寒くて仕方がありません。ここのところ暖かかったので比較的薄着だったのと、電車の暖房がほとんど効いていないのが相まって、寒さで震えが止まりませんでした。少し風邪を引いていたので、余計に酷くなったら困るなぁと、がくがく震えながら高崎到着を待ちました。そして6時55分に高崎に到着。高崎では乗り換え時間が15分程度あったので、有名な立ち食いラーメンを食べて温まりたいと思いましたが、ラーメンは出汁を取る関係で9時からしか出せないということで、残念ながら諦めました。是非とも次こそは。

 高崎駅で今回行動を共にするHY君と合流。今回は一人旅ではなく二人旅です。土合駅や只見線は興味があるものの、何となく一人では行き辛くずっと躊躇していました。どうも一人で行くと、鉄道マニア認定されるような気がするとか、むなしさを感じるのではないかとか。そこで日本で一番大きな鉄道会社勤務で、勤めて出してから鉄道にも興味が出てきたという学科同期のHY君を誘って一緒に行くことにしました。今回の上越線や只見線は、HY君の勤める日本で一番大きな鉄道会社の路線なので(ここまで書くとバレバレだけど)、僕も勉強しながら乗ることができます。


<高崎に到着>

<高崎で上越線水上行きに乗車>

 7時10分発の水上行きに乗り、一路水上へ。高崎を出てしばらくするとのどかな田園風景が広がり、右手に赤城山が見えます。さらに進むと徐々に雪景色になり、8時13分に終点の水上に到着。


<進行方向右手に赤城山が見える>

<水上駅に到着>

 水上で長岡行きに乗り換え。上越線の中、高崎−水上間と越後湯沢−長岡間は列車の本数もそこそこ多いですが、その間の水上−越後湯沢間は一日5,6本程度とかなり少なくなります。群馬と新潟で越境する人が少ないということでしょうか。今回乗る水上8時24分発の電車は、長岡行きの始発です。始発が8時台というのもなかなかの遅さではあります。

 水上から二駅の土合駅で途中下車。最初の目的地です。連休中ということもあって、僕ら以外にも何人かが降り立ちました。思った以上に観光地化しているようです。土合駅の下りホームは、新清水トンネル中に作られたもの。地下トンネルホームは思ったよりも広くゆとりがあります。ただ、ここに一人で降り立ったとしたら若干怖いものがあります。


<土合駅に到着>

<土合駅>

<意外と広い土合駅の地下ホーム>

<地上への階段へ>

 次の下り電車は1時間半後なので、それまでは土合駅をじっくり見物できます。一通りホームを観察していよいよ地上の改札口に向かうことにしました。階段は338メートル、462段。ご丁寧に、一段ごとに段数が記されています。上を見れば、かなたに地上の光。あそこまで行くのかと考えると少し気が重くなりますが、せっかく来たのでゆっくりと上りだしました。


<地上への階段>

<改札までは10分かかる>

 階段の高低差があまりないので、最初は比較的楽でした。それでも100段を越えた頃から段々と息が切れだし、200段の頃にはちょっとこれはきついという感じになります。そんな人のために、階段途中にベンチが設けられており、きつい人は休めるようです。そもそもこの駅は谷川岳登山者が多く使うそうなので、ここでへばっていたら登山なんかできそうにありませんが。休憩用のベンチにはお世話になることなく、無事462段の階段を上りきって地上に到着しました。


<ようやく200段>

<途中に休憩用のベンチがある>

<ようやく終わりが見えてきた>

<登りきったところで下を眺める>

 と思ったら改札まではもう少しあるようで、「改札までは143m、階段2箇所で24段です。がんばって下さい。」という表示がありました。462段を上ってきたので最早24段の階段などどうってことないですが、それよりも最後の「がんばって下さい」が赤点で強調されているのが何となく馬鹿にされているようでイラっとします。強調されんでも頑張ります。


<改札まではもう少しある>

<赤の点々が何となくイラっとさせる>

<ブロックの通路を抜け>

<あと17m>

<ようやく改札が見えた>

<無人の改札に到着>

 無人の改札を通り、ようやく地上の土合駅舎に到着しました。土合駅は無人ですが、駅構内はかなり広く、かつてはかなりの賑わいを見せていたのかもしれません。左下の写真の通り、テントを張るスペースも十分にあり、別に待合室もあります。シャッターやカーテンが下りている向こうは元々駅長室だった場所のようです。ウィキペディアによると一日の乗客数は17人だそうなので、それにしては不釣合いな駅舎の大きさです。駅舎内にはらくがき禁止のらくがき帳や、鉄道マニアと思われる少年の作った土合駅舎マップが張られていたりと、なかなかシュールです。


<新潟と群馬の県境、土合駅>

<日本一のモグラ駅>

<かなり広い駅の中>

<らくがき禁止のらくがき帳>

 土合駅から外に出てみると、そこは山に囲まれた一面の雪の世界。この辺りの雪は本当にさらさらとしていて、東京で降るようなじめじめとした雪とは全く違います。空気もきれいだし、思わず食べてみたくなります。


<さっき通ってきたトンネル>

<さっき通ってきたトンネル>

 土合駅の下りは地下ホームですが、水上・高崎方面の上りホームは地上にあります。これは最初単線で作られたものが、後に複線にするにあたって新清水トンネルを掘ることになったため、上りが地上で下りが地下という、いびつな構造になったそうです。上りホームは雪に埋もれており、こっちもこっちで秘境感が漂っています。


<土合駅上りホーム>

<土合駅上り>

 ということで、土合駅を満喫し、再び10分かけて地下ホームへと降りました。最初は土合駅で1時間半近く時間を潰せるかどうか心配でしたが、思った以上に満喫できて1時間半もあっという間でした。一度来てみたかったところなので、思う存分に満喫できて満足です。再び長岡行きの電車に乗り、次の目的地である越後湯沢へ。川端康成の『雪国』で有名な一文、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」のトンネルは、この上越線の清水トンネルを指すそうです。現在では下り線は新清水トンネルが使われているため、川端康成が実際に乗車した時とは異なるそうですが、それでも新清水トンネルを抜けると雪の量がすごいことになっていました。本当にトンネルを抜けるとそこは雪国だった。


<国境の長いトンネルを抜けると雪国であった>

<越後湯沢駅に到着>

 10時21分に越後湯沢駅に到着。新幹線駅であり、スキー客も多く、さすがににぎわっています。越後湯沢では2時間程度時間を取っているので、昼食を取ったり駅構内を散策したりする予定にしていました。越後湯沢にある駅ビルcocolo湯沢には、日本酒をテーマにしたアミューズメント施設である「ぽんしゅ館」があり、試飲をできたり日本酒風呂に入ったりできます。今回は日本酒風呂に入る時間はありませんでしたが、酒を飲む時間はあったので、早速試飲コーナーへ直行しました。500円で5種類の日本酒が飲めるようです。

 全部で96種類もあるのでどれを飲もうか迷った末、「八海山」「湊屋藤助」「さむらい」「久保田」「天領盃」の5種類を飲んでみました。八海山、久保田はさすがに有名だけあって飲みやすくすっきりとした味わい。個人的には湊屋藤助が香り豊かで気に入りました。一番驚いたのは、「さむらい」で、他の日本酒が皆日本酒度一桁なのに対し、さむらいだけは+60と群を抜いて高く、アルコール度数も46度あります。一口飲んだときの喉がやられる感じはすごい。世の中にはいろいろな日本酒があるもんです。お陰で午前中から少しいい気分になりました。


<ぽんしゅ館 利き酒コーナー「越の宝」>

<500円で5種類の地酒が飲める>

<日本酒に合う塩も食べ放題>

<めちゃくちゃ辛口だった日本酒>

 越後湯沢での大きな目的は、昼食にへぎそばを食べることで、評判の高かった 「中野屋」 へ。休日はかなり混むそうなので、開店の11時とほぼ同時に行きました。へぎそばは、つなぎに布海苔を使った、新潟魚沼地方発祥の蕎麦です。二人でへぎそば4人前と舞茸の天ぷら、天ぷら盛り合わせを注文。へぎそばは布海苔を使っているだけあって、つるつるとした食感と弾力があります。さっぱりしているので、二人で4人前でもつるっとなくなってしまいました。舞茸のてんぷらもおいしかった。食べ終わる頃には待ち客も出てきており、早めに来て正解でした。


<中野屋>

<へぎそば>

<舞茸の天ぷら>

<天ぷら盛り合わせ>

 再び越後湯沢駅のぽんしゅ館に戻り、もうひとつの名物である「爆弾おにぎり」を買うことに。魚沼といえば何と言っても米どころであり、そのコシヒカリを使った一個一合のおにぎりを作ってくれるそうです。出来立てを食べたらそりゃおいしいことでしょうが、さすがにへぎそばを2人前食べたばかりで胃に余裕がないため、おやつとして持ち帰り用に買いました。中の具はかなりの種類から選べるようだったので、最近この地域の新名物として売り出しているらしい「もち豚角煮」を。出来立てを握ってくれるので10分ほどかかりました。


<ぽんしゅ館の酔っ払い人形>

<コシヒカリの爆弾おにぎり>

 越後湯沢で飲食を堪能して、再び電車の旅へ。12時18分の電車に乗り、只見線との乗り換え駅である小出まで。車窓には雪景色が広がります。上越線は2006年末の北陸旅行のときにも通っているはずですが、あのときは前夜に徹夜で酒を飲んでいたため、高崎から長岡までずっと寝ていて記憶がありません。なので今回が実質初めてのようなものです。上越線の景色がこれだけ良いとは知りませんでした。あのときもきちんと起きておけば。


<越後湯沢−小出間の車窓>

<雪と山>

 1時1分、只見線との乗り換え駅である小出駅に到着。

 

<奥会津を行く只見線>

 小出駅からは今日のメインイベントである只見線へ。新潟県の小出から終点である福島県の会津若松まで4時間かかります。18きっぷの期間は観光客で相当混むということだったので、早めに列車まで行って席を確保し、何枚か写真を撮りました。僕だけではなく、ほとんどの人が写真を撮っています。さすがに日本一ローカルな観光路線。このギャップが何とも言えません。家族連れからテッチャン一人旅まで、いろんな観光客がいます。住民の足というよりは、観光客のために存在している路線というのも珍しい。二両編成の列車は、ボックス席が全て埋まる程度の乗車率で小出を出発しました。


<只見線の新潟方面の終点、小出駅>

<出発を待つ列車>

<ボックス席が埋まるくらいの混雑>

<越後湯沢で買ったヨーグルトを飲む>

 小出を出てからしばらくは街の中をとことこ進んでいきます。列車の速度は遅く、写真を撮るのにはありがたいですが、これじゃあ走破に4時間かかっても仕方がない。やがて自然が豊かになっていき、新潟県と福島県の県境近くでは渓流も見られるようになります。県境の六十里越トンネルを越えると、田子倉湖に面した福島県の田子倉駅。しかしこの田子倉駅は、近くが雪に埋もれてしまって身動きできなくなるため、冬季は完全閉鎖されてしまいます。そういうわけで今回も田子倉駅には停車することなく通り過ぎていきました。


<まだ町の中>

<川を渡り、段々と山の中へ>

<渓流>

<田子倉湖>

 田子倉駅の次が線名の元になっている只見駅。ここで少し停車時間があったので、気分転換もかねて外に出てみました。列車内は暖房が効きすぎていて暑く、外のひんやりとした空気が気持ちいい。この辺りは奥会津と呼ばれる中山間地域で、現在参加しているプロジェクトにも深い関係がありそうなので、できれば一度じっくり訪れてみたいものです。ただ、列車が一日3往復となるとなあ・・・。それがかなりのネックになります。


<只見駅で少し停車>

<只見駅>

 只見から先、列車は山と川に囲まれた中を進んでいきます。かなり良い景色です。ただ、民家は本当にぽつぽつと数えるしかなく、たまに訪れるならいいけど、自分がここで生活していくとなると果たしてできるかどうか・・・。そういう研究に絡んでいるせいか、最近はどうもそっち方面ばかりに気が行ってしまいます。

 小出を出発してから約2時間、会津川口駅で列車行き違いのため10分程度の停車。ここでも気分転換に外へ出て、写真を撮ったり景色を眺めたりしました。さすがに4時間の乗車は辛いので、こうやってたまに気分転換の時間があると助かります。会津川口駅のすぐそばを川が流れており、なかなか絵になる風景です。


<会津川口駅に停車中の列車>

<列車行き違い>

 会津川口を出てから後は長時間の停車もなく、後はひたすら終点の会津若松に向かうのみ。少し腹も減ったので、越後湯沢で買っておいた爆弾おにぎりを食べてみました。その大きさもさることながら、中身の具も豪快。しかし味はコシヒカリだけあっておいしく、具がなくてもぱくぱくと食べられるくらいです。さすが、魚沼のコシヒカリ。ただ、1合はさすがに多く、半分食べた時点で満腹になってしまいました。残りは持ち帰って食べること。それにしてもこれで600円というのは本当に安い。おいしいご飯を腹いっぱい食べられるというのは幸せなことです。


<爆弾おにぎり>

<中身のもち豚角煮>

 終点の会津若松に近づくにつれ、雪の量も少なくなっていきます。一面の水田や畑が広がるようになり、5時18分に終点の会津若松に到着。4時間列車に乗りっぱなしでさすがに疲れはしましたが、次々と移り変わる只見線の車窓に助けられました。雪あり山あり川あり渓流あり、最後には一面の耕作地ありで、変化に富む只見線の車窓は一見の価値ありです。一日3本しかないローカル線なのにこれだけの人気がある理由が分かる気がします。ただし、一人だったら退屈して辛かったかも。今回はHY君がいて、ずっと二人で話をしていたから飽きることも寝ることもなく乗り通せましたが、一人だったら果たしてどうなっていたか。実際一人旅のテッチャン風の人は途中で結構寝ていたし。


<会津若松が近づいてきた>

<雪が全くない>

<会津若松に到着>

<お疲れ様でした。>

 会津若松では50分ほど電車の待ち時間があります。50分では観光はできそうにないので、駅構内にある「一會庵」でお茶を飲みつつ休憩することに。お茶と言いながら、地酒と会津郷土料理のおつまみセットを注文してしまう悲しい性。鰊の山椒炊きと棒鱈は分かりましたが、真ん中のサラダのようなものの正体は不明です。郷土料理なのかな?この頃には只見線の長時間乗車と列車の寒暖の激しさで体調が急激に悪くなってしまい、鼻水が止まらなくなり始めていたため、酒やつまみの味が良く分からなくなってきていたのが残念です。


<会津若松駅改札>

<地酒と会津名物セット>

<会津若松駅>

<白虎隊の像>

 後はひたすら帰るだけ。実はここからが一番辛かったりもします。まずは会津若松から郡山までですが、電車は何と満席。ほとんどの人が郡山まで乗り通したので、結局座ることができませんでした。会津若松と郡山は結構離れていて、1時間半近くかかります。さすがに体調が悪くなって行くなか、1時間半の立ちっぱなしは辛かった。


<郡山行き>

<人が多くて座れない>

 郡山駅で、新幹線で帰るHY君とお別れ。かなりだるかったので、別料金を払ってもいいから僕も新幹線で帰ろうかという考えが一瞬頭の中をよぎりましたが、料金を検索して我に返りました。2時間早く家に着くけど、7400円はさすがにもったいない。ということで、当初の予定通り、おとなしく在来線をとことこ乗り継いで東京に戻ることに。さっきの郡山までの列車で座れなかったことが懲りたので、黒磯行きの電車には座れるようにと20分前から並んでおきました。というか、郡山駅の列車の接続は本当に悪いです。乗り換えるのに30分とか40分はざら。意図的にそういうふうにしているとしか思えません。


<黒磯行き19:41に乗車>

<座るために早めに並んで待つ>

 早くから並んでいたお陰で、黒磯行きでは無事席を確保できました。しかし寒い中20分も並んでいたので、体調はいよいよおかしくなり、鼻水が止まらなくなって頭がぼーっとしてくるほどに。仕方なく鼻炎の薬を飲んだら、副作用の眠気が襲ってきて、帰りはほとんど寝てすごしました。寝て過ごしたので結果的には時間ワープしたような気になってよかったのかもしれません。

 日付が変わった0時11分に吉祥寺に到着し、家に帰り着いたのが0時30分過ぎ。有意義な日帰り旅行でしたが、さすがに疲れました。体調がよかったらもう少し純粋に楽しめたかもしれないのが残念です。只見線は紅葉の季節も美しいそうなので、今度は体調を万全にして、いずれまた訪れたいと思います。

今回の電車移動
東中野4:27(中央線)新宿4:32
新宿4:45(山手線)池袋4:54
池袋5:02(埼京線)赤羽5:10
赤羽5:23(高崎線)高崎6:55
高崎7:10(上越線)水上8:13
水上8:24(上越線)土合8:33
土合9:56(上越線)越後湯沢10:21
越後湯沢12:18(上越線)小出13:01
小出13:17(只見線)会津若松17:18
会津若松18:05(磐越西線)郡山19:19
郡山19:41(東北本線)黒磯20:42
黒磯20:50(東北本線)宇都宮21:41
宇都宮21:47(東北本線)赤羽23:27
赤羽23:36(埼京線)新宿23:51
新宿23:53(中央線)吉祥寺0:11

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