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東京見聞録  
2007年9月8日()  <横川(アプトの道、峠の釜飯)、小諸(懐古園)、野辺山(国立天文台、JR最高地点)>


横川 アプトの道遊歩道と峠の釜飯>

 夏の帰省で使った青春18きっぷが1回分余っていたので、それを消化すべく日帰り旅行に出かけました。いろいろ考えて決定したルートは次の通りです。9月8日はちょうど台風一過で、東京は33度まで上がるということだったので、避暑を兼ねて計画を立ててみました。

 上野→(高崎線)→高崎
 高崎→(信越本線)→横川
 横川→(JRバス)→軽井沢
 軽井沢→(しなの鉄道)→小諸
 小諸→(小海線)→小海→野辺山→小淵沢
 小淵沢→(中央本線)→新宿

 途中バスと私鉄が入ってしまいますが、ここは長野新幹線開通以前は信越本線だった区間。このルートを思いついたとき、僕は何て素晴らしいルートを思いついたんだと一人悦に浸っていましたが、後から調べてみるとこのルートは18きっぷ旅行の本とかには定番ルートとして出てくるらしいorz みんな考えることは一緒なのね。

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 青春18きっぷみたいな乗り放題きっぷを使うとなると、貧乏症な性格が災いしてかどうしても始発で出かけてしまいます。今回も渋谷4時36分始発の山手線に乗って上野まで。土曜日の早朝ということもあって、始発なのに山手線はかなり混雑していました。そして電車が酒臭い。勘弁。

 上野で5時13分発の高崎線高崎行きに乗り換え。ここから高崎までは鈍行で約2時間です。高崎線はロングシートの上に椅子が固いので、長時間乗っていると結構疲れます。やっぱり通勤通学用の電車だからかな。近距離で利用する人が多かったから仕方がないのだろうけども。

 高崎に6時54分に到着し、ここで信越本線の終点横川行きに乗り変え。さっきまでのロングシート電車と打って変わって、ボックスシートの風情ある電車でした。これに乗って終点の横川までは約30分。電車は段々と山の中に入って行き、たまに川が並走します。川は昨日の台風9号の影響か濁流です。そして7時29分、最初の目的地である横川に到着。朝早いこともあって、僕以外にに横川まで来たのは10人程度でした。横川駅はそのイメージからもっと大きなところだと思っていたけれど、駅舎も駅前も想像したより遥かに小ぢんまりとしている感じです。


<横川駅>

<寸断された信越本線>

 横川では信越本線の廃線跡が「アプトの道遊歩道」として整備され、重要文化財である通称めがね橋までの4.7キロが遊歩道になっています。今日はまずそこを歩いて、廃線跡で往時の信越本線に思いを馳せようかと。

 以下説明口調の文章を書くのはあまり好きではないですが、一応書いておきます。信越本線は高崎から横川、軽井沢、長野を経て直江津に向かうJRの幹線でした。その中でも横川—軽井沢間は、10キロという短い距離にも関わらず、途中の碓氷峠を越えなければならず、66パーミル(1km進む間に66m上がる)というJR一の急勾配を誇っていました。そのため一般の電車では走行できず、専門の機関車を使って移動していました。横川では機関車の付け替えで長時間停車するので、その間に人々は駅弁を買い求めます。そこで流行ったのが「おぎのやの峠の釜飯」でした。

 しかし1997年の長野新幹線開通によって、平行在来線である軽井沢—篠ノ井間は民間の「しなの鉄道」に払い下げれます。さらに横川—軽井沢間に至っては輸送能力の限界と維持費の高騰、利用者減が見込まれるということで、民営化されることすらなく廃止されてしまいました。その廃線跡を利用したのが「アプトの道遊歩道」ということになります、ちなみにアプトというのは、明治から昭和中期にかけて「アプト式」で運行されていたことに因むそうですが、アプト式の詳しいことはよく分かりません。

 駅前の鉄道文化むらにある古い車両を眺めながら、早速アプトの道遊歩道へ。ところが、入り口のところに「災害のため、峠の湯から先は通行止め」みたいなことが書いてあります。峠の湯より先が、明治時代の遺跡がたくさん残っているところなのに。。。まあまだ今日は朝早いし、もしかしたら昨日の台風の注意書きのままなのかもと思ってアプトの道へ。


<古い車両と横川の山>

<横川‐軽井沢間で使われていた機関車>

 廃線跡のうち一本は遊歩道として整備されていて、もう一本は整備されてトロッコ列車が走っているそうです。朝早いこともあって、遊歩道には僕以外誰も歩いていません。遠くで地元の人が犬の散歩をしているのが見えた程度です。


<遊歩道を歩く>

<高速道路を見上げる>

 2kmくらい歩くと、重要文化財に指定されている丸山変電所に到着しました。急勾配を登るには電力が必要なので、昔はここで電力を供給していたそうです。


<丸山変電所>

 さらにもう少し歩いて、峠の湯という温泉施設に辿り着きました。新線跡はここで行き止まり。トロッコもここが終点。


<新線跡はここで終了>

<草に覆われるレール>

 これからは明治時代に建設された旧線跡を歩いてめがね橋を目指すことになります。が、道の続きには「災害のためこれより先通行止め」というバリケードが設置されていました。やっぱりまだ朝早いから、昨日のやつを撤去してないのね。でも一応聞いてみるか・・・と、峠の湯の駐車場で掃除をしていた職員のおじさんに聞いてみました。すると、どうやら昨日の台風で山が崩れてしまい、本当に通れなくなってしまったらしいということが分かりました。近くを走る国道18号線も同じく通行止めになってしまったそうです。おじさんは「わざわざ来ていただいたのに、本当にすみませんね」と恐縮しきりでしたが、山が崩れたのなら仕方がない。でもここから先がメインイベントなのになあ。残念です。

 温泉にでも入ろうかと思いましたが、峠の湯は10時開店なのでそれもできません。仕方なので駐車場からめがね橋方面の写真だけ撮って、来た道をとぼとぼ帰りました。途中トロッコ列車に出会ったのはよかったけど、予定が大幅に狂ってしまった。


<峠の湯駐車場から碓氷峠方面>

<廃線跡を走るトロッコ>

 大幅に時間が余ってしまったので、急遽駅近くにある碓氷関所跡を見物。中山道の要所で、入り鉄砲に出女を厳しく取り締まった場所だそうです。


<碓氷関所東門>

<本来の位置は少し駅寄り>

 関所跡を見たら本当にやることがなくなってしまったので、予定を早めて今日の朝食を。横川と言えばおぎのやの峠の釜飯抜きには語れないので、駅前の本店で早速食べて来ました。まだ9時前ということもあって、客は他に誰もいません。もちろん峠の釜飯(900円)を注文。釜飯は出来立てで暖かく、味も思った以上にしっかりしていて驚きました。正直駅弁だから、となめてたけど、本当に丁寧に作りこまれていておいしいです。あと付け合せのわさび漬けが特においしかった。残念なのはこれを店で食べているということくらいです。電車の中で碓氷峠の景色を見ながら食べたら、そりゃもっとおいしいだろうなぁ。


<おぎのや本店>

<峠の釜飯>

 釜飯を食べ終えてもまだ9時10分。予定していた軽井沢行きのバスは10時発です。静かな駅前をぶらぶらして時間を潰すか・・・と思っていたところ、9時10分着の電車が到着したらしく、大量の客が降りてきました。ざっと見たところ50人くらい。これで一気に駅前はにぎやかになりました。ほとんどの客は何処へ行くでもなく、おぎのやの峠の釜飯を買ってテントで食べていたりします。これはもしかして、みんな10時の軽井沢行きのバスに乗るのでは・・・?と疑念が湧いた僕は、バスまで40分以上もあるけどバス停へ。すると既に7,8人の人が並んでいたので、万が一を考えて僕も並ぶことに。

 やがて9時45分くらいになり、列はどんどん長くなっていきました。46分着の電車も到着して、さらに増えるバス乗車希望者。あまりの列の長さにびっくりして、バスが来る直前にざっと列の人数を確認したところ、その数何と110人!!明らかにバスのキャパシティを越えてます。そしてバスが到着し、その座席数を確認してみると40席。僕は前から10番目なので悠々と窓際の席を陣取ることができましたが、座れるのは先頭40人まで、その後20人は立って乗車、そして残った50人は何と「申し訳ないけれど次のバスを待ってください」とのこと。次のバスは1時間後の11時です。一斉に上がる文句の声。バスに乗れなかった人には申し訳ないですが、60人を詰めてバスは横川を出発しました。


<バス停前。以前は信越本線だった>

<待機するバスとバスを待つ人々>

 もしアプトの道が通行止めではなかったら、横川駅まで戻ってくるのは10時直前だったはずで、僕もそのつもりで計画を立てていました。でも今日の様子だと多分バスには乗れなかったでしょう。このバスに乗れないと予定が大幅に狂ってしまうので、アプトの道が通行止めでよかったのかもしれません。人生万事塞翁が馬ですね。しかし、こういう事態が予想されるんだったらJRバスも臨時便を出せばいいのに。炎天下の中1時間待たせるのはひどいと思うぞ。

<小諸 懐古園>

 バスはバイパスを通って碓氷峠をうねうねと登り、35分で軽井沢駅に到着。群馬県から長野県に入りました。横川の標高が387m、碓氷峠が960m、軽井沢が939mなので、一気に600mも登ったことになるそうです。ずっと急な坂道だったので、鉄道で登ろうとしたらそりゃ大変だったろうと思います。

 軽井沢は今回観光しません。やっぱり軽井沢って避暑地であり別荘地でありスキー場であるから、僕には全く関係ない場所のような気もするし。もし将来金持ちになって、軽井沢に別荘を建てたりなんかしたら来ることにします。それかスキー初心者の僕を軽井沢までスキーに連れてって、手取り足取りスキーを教えてくれるという人がいれば。宜しく。


<現軽井沢駅>

<旧軽井沢駅>

 軽井沢からは旧信越本線の「しなの鉄道」に乗って、小諸藩の城下町、小諸へ向かいます。ここは18きっぷが使えないので、料金470円を払って乗らなければいけません。最近は新幹線ができるたびに平行在来線が民営化されるから、18きっぷ使用者にとっては本当に辛い状況になりつつあります。今後も増えるみたいだし。何だかね。

 10時58分発の電車に乗って、小諸に着いたのが11時21分。ちなみにしなの鉄道は前日の台風9号の影響で朝からずっと運転を見合わせていたようで、この10時58分の電車から運行再開になったとのことでした。運がよかった。

 小諸では駅近くにある懐古園へ。小諸城跡です。公園内には動物園やら遊園地やら藤村記念館やら徴古館やら美術館らや郷土博物館やら様々な施設があります。これらの観覧券がセットになった入場券が500円で売っていたので、それを買って園内散策へと出かけました。まずは重要文化財の三之門をくぐり、本丸跡や天守閣跡を見学。当時のものは三之門と市街地の大手門、あとは石垣くらいしか残ってないみたいなので当時の様子はよくわかりませんが、結構小ぢんまりとした城だったように思います。 


<三之門(重要文化財)>

<懐古園内>

<本丸跡は神社に>

<信玄の軍師、山本勘助が愛用した鏡石>

<樹齢500年の欅と藤村記念館>

<天守閣跡 そんなに高くない>

 見晴台から見た千曲川の景色が素晴らしかったので、大き目の写真を一枚。昨日の台風の影響で、濁流となってました。


<蛇行する千曲川>

 一通り園内を見て、それから各施設の見物へ。まずは市立郷土博物館。まあ、予想通りというか、昭和50年代の香りがする場所でした。もっと分かりやすく言うと、古本の匂いがします。最近都道府県・政令指定都市の博物館を見るのが趣味になっていますが、それは展示物や内容が優れているからです。これが中小市町村の市立博物館になると一気にしょぼくなるので残念です。ということで、展示物は流し見程度にして、屋上からの風景を堪能してきました。浅間山とその他の山々が綺麗に見えます。


<浅間山を始めとする山々 一番右が浅間山>

 次は藤村記念館。フジムラって一体誰だ・・・?と思って入ってみると、そこは小ぢんまりとした島崎藤村の記念館でした。フジムラじゃなくてトウソンなのね。藤村は小諸で先生をしていたということで、かなり縁が深いそうです。しかし僕は中学生のときだったか、『破戒』を読もうとしてあまりの暗さに途中で投げ出したことがあり、それ以来島崎藤村には触れてないので、ちょっと及び腰になってしまいます。小諸時代に作った『千曲川のスケッチ』という写生文が有名らしいです。

 最後に徴古館。本丸跡にある神社が運営している展示館で、これも小ぢんまりとしています。せっかくだから郷土博物館、藤村記念館、徴古館の三つを統合して、新しく博物館を建てればいいのに。小さくて古い展示館を三つ分散させるよりも。一つにまとめてしまった方が見栄えすると思うんだけど。あと、近くに寅さん記念館があったけど、なぜ小諸に記念館があるのかは分かりません。

 懐古園の後は北国街道にある本陣、本陣主屋などなどを見物。しかし見物できるはずの本陣主屋はなぜか休館中。さらに重要文化財の大手門に行ってみるも、ここは大規模修理中で外観すら拝むことができませんでした。


<本陣主屋>

<北国街道>

<旧本陣>

<脇本陣>

 本当は小諸で「小諸蕎麦」を食べようと、いくつかの店をピックアップしてきたのですが、朝食べた釜飯がまだ腹に残っていて、全く腹が減りませんでした。無理して食べても体調壊すだけなので、ここは残念だけど我慢して次に進むことにしました。残念。「草笛」のくるみそば、食べたかった。

<小海線 小海と野辺山>

 小諸からはJRの小海線に乗り、小海と野辺山へ行きます。小諸と中央線の小淵沢を結ぶ全長87kmの小海線、JRの路線の中でも一番標高が高いところを通る線として有名です。でも駅をよく見てみると、一番標高が高いところを通るにも関わらず「海瀬」「小海」「海尻」と、海が付く駅名が多くあります。これはなぜでしょうか?知っている人がいたら教えてください。

 12時56分小諸発の電車に乗って、小海線の名前の元となった小海駅へ。電車は大河ドラマの風林火山とタイアップしているらしく、でかでかとシールが貼り付けられています。僕は最近大河ドラマを見てないのでよく分からないのが残念です。。

 周辺の高校生やサッカー部の中学生を乗せた電車はとことこと進んで行き、1時57分に小海駅に到着。小海駅の標高は865.1mだそうです。小諸が600m前後だったから、1時間で250mくらい登ったのか。


<小海線電車>

<小海駅前>

<小海駅ホーム

<小海駅>

 小海戦の元になった小海駅なので、駅前になにかあるだろうと思っていたら、全く何もありませんでした。駅に併設されているのはスーパーマーケットと病院。ここはどうやら観光というよりは地元密着の駅のようです。小諸では全く腹が減っていたなかったのに、ここに来て腹が減ってしまいました。しかし、目ぼしい店はありません。スーパーで何か買うかと思っても、東京でも買えそうなものばかり。そこでスーパーの中にあった 「高原のパン屋さん」 でカレーパンと5個入りのクマ笹パンを購入。クマ笹パンは明日の朝食にするとして、カレーパンだけ食べてしまいました。甘くておいしい。

 その後は何とか時間を潰して、2時46分発の小淵沢行きに乗車。しかし、この小諸からやってきた電車は超満員で、座ることができませんでした。やっぱり野辺山・清里という避暑地に行く人が多い上に、部活帰りの高校生がたくさん。やっぱり休日に避暑地に行くもんじゃないですね。僕みたいに時間がある人間は、わざわざ休日に来ないで平日に来るべきだった。。

 電車はどんどんと山を登っていき、3時24分に野辺山駅に到着。野辺山駅はJRの駅の中で一番標高が高く、その高さは1345.67mです。さすがに1000mを超える高地、電車を降りた瞬間から空気がひんやりとしています。気温は100mで0.6度下がるので、東京の気温が33度とすると野辺山は25度前後ということか。。しかしそんなことはどうでもよくて、個人的にはついに念願の野辺山にやってきたという気持ちで感無量です。


<野辺山駅ホーム>

<野辺山駅 標高1,345.67m>

 何で念願の野辺山かということについて、ちょっと昔話をさせてください。

 1990年、僕が小学校4年生の時の話です。当時の担任はイノウエ先生という、今の僕と同じくらいの歳の女の先生でした。このイノウエ先生はかなり厳しく、宿題を忘れたり忘れ物をしたりした子にはビンタをするのは当然で、給食を残すのも厳禁。普通はどんなに厳しい先生でも、コッペパンを食べらなかったらビニールに入れて持って帰ることくらい許してくれたもんですが、イノウエ先生はそれすらも許してくれませんでした。もちろん給食を完食するまで昼休みはお預け。今だったら間違いなく体罰になるわけで、30前でよくあれほど厳しくできたなぁと思います。

 もちろんただ厳しいではなく、生徒のことを真面目に考えてくれていた先生でもあったので、授業は面白かった記憶があります。いわゆる「アツい」先生です。アツい故に、たまに感情が入りすぎて授業中に泣き出すことがありました。例えば国語の時間、有名な「ごんぎつね」の授業でのこと。ごんぎつねの最後、ごんは鉄砲で撃たれて死ぬわけですが、最後の一文が「ごんからは細い紫色の煙が立ち上っていました」とか何とかそういう感じの文章でした。それを読んだイノウエ先生は、「この文は何を意味しとるか分かる?」と僕らに聞きます。僕らが誰も答えられないと、「これはね、ごんの命を表しとるんよ。煙はは今にも消え行きそうなごんの命。どうして誰も分からんの?」と言い、わんわんと泣き出してしまったのでした。10歳の僕は、それは解釈の問題で、個人の解釈を全員に押し付けるのは間違いだ!と思っていましたが、感極まった先生にはもちろん言うこともできず、そのままチャイムがなって恐怖の給食に突入したのでした。それほどアツい先生だったのです。

 そんなイノウエ先生の授業。その中でも一番記憶に残っているのが社会科の授業で、どういう単元だったかは忘れてしまいましたが、なぜか野辺山の高原キャベツについて、2ヶ月以上勉強していたような記憶があります。理由は学校が始まる前の春休みに、先生が個人的に野辺山に遊びに行ったからということが大きく、授業中も幾度となく「先生が行った野辺山というところは・・・」という振りが入ってました。そして教材として出てくるポスターや写真の数々。

 極めつけは参観日の授業で、先生はおもむろに八ヶ岳の高原レタスのポスターを取り出しました。そのポスターには「太陽に一番近いレタス」という文句が書かれていたのですが、太陽の部分が紙で隠されていて、さてここには一体何という言葉が入るでしょう?ということで、これを当てさせるのに45分の授業を丸々費やしたのでした。今考えると授業参観をそのネタで引っ張る度胸が凄いと思いますが、小学校4年生の僕達にはなかなか当てることができず、宇宙だの空だの近い回答は出てくるものの、太陽という正解は最後まで出てきませんでした。正解を発表するときの嬉しそうな先生の顔ったらありゃしなかったことが、まるで昨日のように思い出されます。

 こういうことがあり、この2ヶ月で僕は妙に野辺山と高原レタスに詳しくなり、いつかは八ヶ岳や野辺山に行ってみたいと思ったのでした。思えば僕の日本全国いろいろと見て回りたいという思いの原点は、この野辺山の授業、ひいてはイノウエ先生の影響かもしれません。夏休みに先生に出した暑中見舞いの返事も、「今は諏訪湖に来ています。諏訪湖は何県でしょう?」という旅行魂を掻き立てる内容だったのを覚えています。小学校の頃の教育というのは大事ですね。

 ということで前置きが非常に長くなりましたが、あれから17年、僕はようやく念願の野辺山に降り立つことができました。イノウエ先生、見てますか?

 まずは1時間500円のレンタサイクルを借りて、 国立野辺山天文台 へ。道の傍らには高原レタスの畑が広がっていて、あぁこれが太陽に一番近いレタスか、と感動いたしました。

 国立野辺山天文台はある程度一般に開放されていて、その巨大な45mミリ波望遠鏡を真下から眺めることができます。下から見ると非常に巨大です。しかしこの巨大さにも関わらず、正確な電波をキャッチするために、パラポラの表面はほとんど凸凹がないらしい。


<並ぶ望遠鏡>

<一番大きい45m波望遠鏡>

<もともとは東京大学のものだった>

<望遠鏡の表面を歩く時の靴>

 この野辺山天文台は宇宙観測の中でも太陽観測に力を入れているらしく、太陽を観測するための小さな望遠鏡がいくつも設置されています。広い敷地に望遠鏡が立ち並ぶ風景はなかなか奇妙です。


<太陽を観測するためのたくさんの電波望遠鏡>

 僕の小学生のときの夢は宇宙物理学者になることだったので、実際に本物の天文台を見物することができてよかったです。あと15年来るのが早かったら、もしかしたらそっちの道に進んでいたかもしれません。

 天文台の次は自転車を漕いでJR最高地点へ。山の天気は変わりやすく、さっきまで晴れていた天気は急に曇りだしました。八ヶ岳も雲に隠れ、今にも雨が降り出しそうなので少し急いでペダルを漕いでみたけど、ずっと緩やかな上り坂なのできついです。最高地点に向かってるから上りなのは当たり前なのだけど。


<花と遠くに八ヶ岳(曇って見えない)>

<最高地点へ向かう>

 そしてようやくJR最標高地点に到着。その高さ1375m。来てしまえばこんなものかという感じもしますが、僕は端だの岬だの最高だの最低だのが好きなので、これも一つの達成ポイントとして来てよかったと思います。


<JR最高標高地点>

<線路で言うと多分この辺り>

 本当はこの後、隣の清里駅まで自転車で行って、高原ソフトクリームでも食べようかと思っていましたが、清里はあまりに人が多くてしかもカップルだらけだろうということと、雨が降るかもということと、自転車を一生懸命漕ぎ過ぎて足が痙攣を起こしそうなほど痛くなってしまったことなどなど、様々な事情から清里行きは諦めて、野辺山駅に戻りました。サイクリングはちょうど1時間。1時間だったけど、念願の野辺山に来ることができてよかった。今度は夏の暑い日に、泊りがけで来てみたいものです。

 4時54分発の電車に乗って終点の小淵沢へ。しかし野辺山の次の清里も、休みだからか人が多すぎです。2両編成の小海線は瞬く間に満員になり、小淵沢までの30分はずっと立ってなければいけませんでした。土日はせめて3両編成にしてくれるとありがたいです。あと、こういう避暑地や高原に一人で来ていると何だか寂しい人間に思われそうです。確かに寂しいけど。。

 5時27分に山梨県の小淵沢に到着。小淵沢と言えば丸政の駅弁が有名なので、乗り換えの時間を利用して買おうとしました。しかし既に売り切れ。土曜日だから仕方がないか。とりあえず中央本線に乗って甲府まで行き、甲府で乗り換え時間を利用して駅弁屋を覗いてみると「元気甲斐」という高級駅弁はなかったものの、「高原野菜とカツの弁当」という丸政のもう一つの名物駅弁があったのですかさず買ってきました。僕が買ったのが最後の1個だったらしく、次に来たおじさんが「えー、もうないの!」と言ってたときには悪い気もしたけど、まあこればっかりは早いもの勝ちなので。

 甲府から中央線で新宿まで出て、そこから山手線で渋谷へ。9時過ぎに渋谷に到着し、家に帰り着いてから早速高原野菜とカツの弁当で遅めの夕食にしました。駅弁では珍しく生野菜を使っていて、シャキシャキ感が結構あります。カツはチキンカツで、これも豚カツよりさっぱりしていておいしい。おいしく頂きました。今日は朝も夜も駅弁だったけど、両者ともにレベルの高い駅弁だったので文句ありません。次の日の朝に食べたクマ笹パンも笹の味がしてきておいしかった!


<高原野菜とカツの弁当>

<クマ笹パン>

 ということで1日かけて18きっぷでぐるりしてきました。もし18きっぷを使わなかったとしたら、交通費は7500円くらいになっていたので、今回はそこそこ安上がりというところでしょうか。また暇を見つけてぶらりと旅に出たいものです。

 <今回の収支>
  交通費:2300円(18きっぷ)+500円(JRバス)+470円(しなの鉄道)=3270円
  食費:900円(峠の釜飯)+520円(高原のパン屋さん)+850円(高原野菜とカツの弁当)=2270円
  観光費:500円(レンタサイクル)+500円(懐古園入園料)=1000円
  計:6540円 


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