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すぱくり人生 〜少年編


【習い事の効果】

僕は下関という地方都市で育った。

東京圏や関西圏とは違って、うちの地元では、小学校の頃から塾に行って中学受験に備える、という動きはあまり見られない。山口県は進学校と呼ばれる私立の中学や高校があるわけじゃないから、ほとんどの子供が公立の中学に進学する。もちろん、山口では飽き足りない人は、福岡や関西、さらには東京の有名私立中学を受験するけれども。

だからというわけではないが、塾に行くかわりに習い事をしている子が多かった、と思う。地域のサッカーのチームに入っていたりだとか、町内会のソフトボールチームで汗を流していたりだとか、絵を習っていたりだとか、吹奏楽にいそしむ子がいたりだとか。

かくいう僕もご多分にもれず、そろばん、ピアノ、習字、水泳と結構多くの習い事をしていた。自分からやりたいと思って始めたのか、親が勝手に申し込んだのかは記憶にないが、毎週「かったるいよー」とか「面倒くさいからもうやめたいよー」なんて愚痴をこぼしつつ出かけていた記憶がある。週4日も習い事をしていると、友達と遊ぶ時間もないし、テレビも見れないのである。遊びたい小学生の盛り、これは結構きつかった。

このように当時はかなり習い事を邪魔者扱いしていた。ところが今となって考えると、その習い事がかなりの効果を生み出しているように思える。その効果を、ここではそろばんとピアノを例にとって見てみたいと思う。

まずそろばんである。漢字で書くと「算盤」。そろばんは幼稚園の年少から始めて、中学2年まで10年間続けた。毎週木・金の週2回で1回2時間、家の近所の集会所に通い続けた。今考えると、幼稚園の子供にとってはすんごい量である。当時はほんと面倒で、何度もやめたいと思っていた。それでも何とか自分を騙し騙し通い続け、中学2年でやめるときには珠算初段、暗算3段にまでなっていた。10級からこつこつと階段を上り、段位をいただけるまでになったのである。

さて、そのそろばんを続けたことの効果だが、まず何と言っても暗算のスピードの速さだろう。普通頭の中で計算するとき、みなさんはどうしているだろうか。僕は「そろばんをやっていなかった人」の計算の方法が分からない。なぜなら計算しようとすると、そろばんでの計算方法が勝手に頭の中に浮かんでしまうからだ。そろばんをやっていると次のようなやりかたで頭の中で計算する、いや、計算してしまうのである。

ある数字を言われる、あるいは見る 
→瞬間に頭の中にそろばんが浮かび上がり、頭の中の指がその数字を勝手にはじいてしまう
→次の数字を見る
→また勝手に頭の中で勝手に足されたり引かれたりする
→・・・ 
 
だから僕の中では意識的に計算する、ということはない。買い物に行って、レジで「138円、546円、299円・・・」と商品の値段を読み上げられると、頭の中のそろばんが無意識のうちに勝手に計算してしまっているのである。いいんだか悪いんだか。ただし、6桁の計算になると頭の中のそろばんがついていけないらしく、計算できなくなる。3段の僕の能力ではどうやら5桁が限界のようだ。

もう一つ、そろばんの効果としてあげられるのは集中力とかもしれない。小さいころから週二時間、みっちりと集中するのだから、鍛えられるのは当然だろう。実際、そろばんを弾いている最中、脳内にはα波があふれているという報告もあるらしい。ただし、集中力の欠片もない現在の僕を見てみると、果たして集中力が養われたのかどうなのか・・・。あと手を動かすことで右脳を鍛えられるというが、右脳が鍛えられてたら絵がものすごく上手くなっているはずである(ご存じの通り、僕は絵がものすごく下手です)。やはりそろばんで身に着いたのは暗算のスピードだけのようだ。
 
次にピアノである。ピアノで身に着いたのは「絶対音感」だ。ピアノも幼稚園の年少から始めたが、続けたのは小学校5年まで。ただ、それでも一通りの絶対音感は身についてしまうのが恐ろしいところ。絶対音感と言えば、「何気ない日常の音が音階で聞こえる」というものだが、確かにテレビCMの音楽が音階で聞こえたり、踏み切りの音も音階で聞こえてたりしてしまう。ちなみに京王線の踏切は「ソ」と「ファ♯」、小田急線は「シ♭」と「レ」・・・だったかな?忘れてしまったが、とりあえず私鉄は会社によって踏み切りの音が全然違うし、同じ会社の踏み切りでもまれに音が違うということも分かるには分かる。

しかし一言に絶対音感といっても、その能力の幅にはかなりの広がりがある。そんな中で見れば、僕の絶対音階はそこまで大したものではない。世の中には車の騒音やドライヤーの音まで音階で聞こえる人がいるというし、挙句の果てにはわずか1ヘルツの音の差までわかる人がいるという。そういう人は音が合ってないと気分が悪くなって大変だろうなぁとは思うけれど。

結局のところ、にわか絶対音感で得していることはカラオケのキーの上げ下げくらいと、曲の耳コピくらいだろう。最近は全然やってないが、昔は曲を作ったりするのが好きだったので、曲作りの練習のためにとFFやドラクエの曲を耳コピしてパソコンに打ち込んでは、一人満足してパソコンの前でニヤニヤしていたのだった。今考えると恥ずかしいったらありゃしない。

とまぁ習い事の効果を見てきたわけだが、書きながら実際のところ効果と言えるかどうかは怪しい気もしてきた。だって完全に脳内そろばんやにわか絶対音感に支配されているのだから。除こうとしても除くことができない以上、それは良い効果とは言えないかもしれない。さらにそろばんやピアノから離れて久しい近頃は、その能力も中途半端になってしまったことをひしひしと感じる。暗算の計算間違いや音の聞き取り間違いの多いこと多いこと。うーん、やっぱり効果じゃなくて、むしろ逆効果な気がしてきたぞ・・・。

ただ、僕に子供ができたら、そろばんと音楽はやらせたいと思う。暗算は身につけると楽だからね。

(2004年6月)


モドル

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