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すぱくり人生 〜少年編


【史上最大のピンチ】

お腹が痛い・・・

最悪の響きである。知っている人は知っているように、僕はすぐに腹が痛くなる。油っぽいラーメンを食べると腹が痛くなり、寒い中で寝ても腹が痛くなる。ただ、これでも一時期に比べると、腹痛になる回数は大幅に減ったように思う。本当にひどかったのは中学、高校生の頃で、冗談抜きでほぼ毎日お腹が痛くなっていた。

なぜ腹が痛くなるのか。特によくお腹が痛くなったのが、テスト前や当たりそうな授業の前だったことを考えると、緊張が一番大きな原因になっていることは間違いない。一部では「過敏性大腸炎」ではないかと疑われたこともあったが、結局病院に行かなかったので真の原因は分からない。とにかく、腹が痛くなってしまったら最後、ひたすら耐え抜くしかないのだ。

腹が痛くなったらトイレに行けばいいじゃないか?と思う人もいるかもしれない。だが、しかし。男子は学校で大をしてはいけないのだ。いや、そりゃ排便なんて生理現象だからするのが当たり前だし、そもそもトイレには大用の便器があるのだから、建前上「する」のは何らおかしいことではない。ただ、思春期の多感な男子の場合、羞恥心が邪魔をしてしまう。じゃあなんでそんな羞恥心を持ってしまったのかというと、それは小学校時代の記憶がこびりついて離れないからじゃないだろうか。

今になって冷静に考えるとなぜなのか全く分からないが、小学生は「う○こ」を始め、排便方面の現象が大好きだ。一言「う○こ」と言えば笑い転げ、先生が朝の会の健康観察で「お腹が痛い人ー」と聞けば、そのあとに皆で「下痢気味のひとー」と合唱してゲラゲラ笑ったりする。もし休み時間にトイレに入って「う○こ」をしているのが見つかれば、次の時間からあだ名は「う○こマン」である。多分、その年が終わるくらいまでは、「う○こマン」と呼ばれてしまう。もう最悪としか言いようがない。(一応、僕は呼ばれたことがありません)

中学生になると大人になるのか、さすがにそんなことをいう奴もいなくなる。学校のトイレで大をし放題!でも、もしかしたらみんな心の中で、「あいつトレイでう○こしてるよ、クスクス・・・」と思ってほくそ笑んでいるんじゃないかと思い、やっぱりトイレに行けない。まあ今となっては単なる自意識過剰だったと断言できちゃうし、お前のことなんか誰も見てないっつーのと突っ込みたくもなるが、当時の僕にとっては本当に無理な話だった。

じゃあ本当にどうしようもないときはどうするか。それは授業中に行くのである。当時の僕は「何という逆転の発想!」と、一人大発明をしたような気でいたが、まあ授業中だと廊下やトイレに誰もいないし、敢えて授業中に行くことで、具合の悪さをアピールすることができる利点は大きい。単なるう○こは嘲笑の対象にしかならないが、具合の悪い腹痛は憐憫の対象になるわけだ。さらに先生という絶大な権力者を通してトイレに行くことは大きい。トイレで大をすることが、先生のお墨付きを得るからだ。だから授業中にトイレへ行く場合は、いかにも「僕、本当に具合が悪いんです・・・」という顔をしなければならない。僕は中学時代、この技(?)で幾度となくピンチを乗り越えてきた。

しかし、一度だけ、そんなピンチをも上回る「大ピンチ」に陥ったことがある。今思い出しても人生のピンチベスト3に入るんじゃないかというくらいの大ピンチだった。それは授業中という手段も、先生のお墨付きという手段も使えない、まさに地獄のような30分間だった。それは中学3年生のとき。修学旅行を1週間後に控えた、うららかな初春の頃の出来事である。ちなみにこの先、結構汚い方向に行くかもしれないので、食事中の方や、そういう方面の話が苦手な方はご遠慮ください(あ、今言っても遅いか。。)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その日は確か月曜日だったと思うが、6限の授業が終わって掃除をし、これから帰りの会が始まろうか、というときだった。一番後ろの窓側の席というベストポジションに座っていた僕は、窓から差し込んでくる柔らかな春の日差しにほんわかしながら、帰りの支度をしていた。今日もいい一日だったなぁ、放課後の部活も頑張るかぁと、ほんわか考えていた。何気ない、しかし幸せな日常のヒトコマである。

が、その何気ない日常の幸せは突然奪われた。

「は、腹がぁ・・・!!!」

急に腹が痛くなったのだ。あまりに突然のことで自分自身でもびっくりしたが、今はそうは言ってられない。とにかく、出せるものを出してしまいたい。

でも現状はそれを許してくれない。掃除が終わったばっかりで、廊下には人がいっぱいいる。その中をすり抜けてトイレに行くなんて、恥ずかしくてできやしない。しかも僕はこれから始まる帰りの会の司会をしなければいけないのだ。うちのクラスは朝の会を女子の学級委員が、帰りの会を男子の学級委員が司会進行していて、運悪く僕は学級委員だった。

ただ今回に限ってはそうもいってられない。正直なところ、立ったら危ない。そこで僕は女子の学級委員にお願いして、帰りの会の司会をやってもらうことにしたのである。

「ご、ごめん・・・、わるいんやげど、がえりのがいのじがい、がわっでもらえん・・・?」

声が出ないとはこのことで、自分でも声を出して驚いた。相方の女子学級委員は、その僕の様子を知ってか知らずか、「うん、いいよー」と二つ返事で快くOKしてくれた。これは本当にありがたい。

やがて帰りの会が始まり、議事進行は淡々と進んでいった。僕は下腹部に力を込め、半分席にうずくまった状態になった。もう、帰りの会の進行の声が聞こえるか聞こえないかくらい、意識が朦朧としてきた。できることなら、今すぐにトイレに行きたい。よし、ここは非常事態だからトイレに行っちゃえと心の中のすぱくりAが言えば、いや、ここで行ったら駄目だ、男じゃない、笑われてもいいのか?家まで待つんだ、とすぱくりBが言う。僕は脂汗を流しながら、心の中で闘っていた。

結局、すぱくりBの案が採用されることになった。家まで待つのである。今考えると気が狂っているとしか思えないが、それは中学生当時の僕が下した最善の判断だったのだろう。5限が体育で、放課後すぐ部活だったため、僕は幸いにもジャージを着ていた。普通の制服に比べるとベルトの締め付けがない分、助かっているのもある。そういうことも判断に影響を与えたのかもしれない。

やがて先生の話も終わり、帰りの挨拶。挨拶が終わると、友達への挨拶もそこそこに、僕は荷物を持って一目散に教室を飛び出した。普段ならしばらく教室で駄弁ってから帰るものだが、今日はそれどころじゃない。一刻一秒を争うのである。

急いで、しかし急ぎすぎると途中で万が一・・・ということもあるので、急ぎつつもゆっくりと下駄箱に向かう。下駄箱で靴を取り出した時点で、僕の腹痛は第四コーナーを回って直線に入ろうか、というところまで来た。これはもう、本当に急がないと大変なことになる!

学校から家までは、普段なら歩いて5分。走れば3分。目と鼻の先とは言わないけれど、かなり近いところに住んでいた。部活は僕がキャプテンだし、練習は全て先生から任されているので何とでもなる。とりあえず今は、一刻も早く家に帰らなければならない。それが僕の使命だ。

学校を出た僕だったが、いつもは5分という短い道が、果てしない道に見えてしまうから不思議だ。一刻も早く家に帰りたいが、早く歩けば大惨事になりかねない。もはや最大のジレンマだ。下腹部に力を込めて早歩きで歩を進めるその姿は、周りから見れば本当に滑稽なものに見えただろう。でも僕は必死なのだ。神様、助けてください・・・。

そうだ、こういうときは他のことを考えると少しは腹痛もまぎれるかもしれない、と思った。でも、もはやそれすらできない程に追い込まれている。第四コーナーを回って直線に入り、ラスト100mというところまで来ている。他のことを考えた瞬間、気が緩んでゲームオーバーになってしまうかもしれない。それは考えないようにしよう。

というような自問自答を繰り返し、あぁ、もう本当にダメ!となった頃、家が見えてきた。もはやいろんな意味で泣きそうである。しかしここで油断してはダメなのだ。僕の経験上、家が見えて安心した途端、反射的に便意が増してしまうことがよくある。そこで今回は、家が近付いても、「いやいや、まだ見えているけど遠いんだ」と言い聞かせ、さらに「僕、家が見えても腹痛くなったりしませんから」と自己暗示をかけるようにブツブツとつぶやいていた。もう何かが破綻している。

しかしこの作戦が功を奏したのか、家の前に着いたときには比較的冷静でいられた自分がいた。便意危機メーターも、第四コーナー回ってラスト直線50mくらいのところで止まったままだ。あとはこの玄関を開ければいい。うちの玄関は昼間いつも鍵がかかっていなかったので、サッと家に入ってトイレに一直線すればいいだけだ。もうこれは僕の勝ちだと思って間違いない。ははは、さまあ見ろ便意よ!

と、勝ちを確信して玄関のドアノブに手を伸ばした。想像するのはトイレで気持ちよくぶっ放している自分の姿である。ああ、もうこんなこと懲り懲りだ、でもよく頑張ったよ、自分。もうこれで終わりだよ。自分で自分を褒めながら、僕はドアノブを回した。しかし、である。

「鍵、かかってる・・・!!!!!」

何と、よりによって、その日に限って鍵がかかっていたのである。鍵がかかっているということは、母は出かけているということだ。なんで今日に限って・・・。僕は当時家の合いカギを持っておらず、留守にする時は裏庭の植木鉢の下に鍵を隠して出かけるのが家族の慣わしだった。ということは、僕は裏庭に鍵を取りに行かなきゃならんわけである。

さらに、一旦安心した後でどんでん返しが起こると、便意も倍返しで襲いかかってくる。ラストの直線50mのまま止まっていた便意危機メーターは、ディープインパクトの如きものすごい追い込みを見せ、一気にラスト10mのところくらいまで来てしまった。

もうこうなってしまっては、ゆっくり歩くとかどうとかいう問題ではない。うちは平屋の公団住宅で、棟の真ん中の家に住んでいたものだから、裏庭に回るにはぐるりと大回りしなければならない。距離的には往復で100mくらいあるので冷静になった方がよかったのかもしれないが、一気にラスト10mまで追い込まれた僕は思考がぶっ飛んでしまった。とにかく、今は走って鍵を手に入れなければ・・・。

そういうわけで一心不乱に裏庭に走り、鍵を手に入れてまた玄関へ。この時点で既に便意危機メーターはゴールしたようなしてないような状態だったが、それすら判断できない僕は、足をジタバタさせ、震える手で鍵穴に鍵を差し込んで玄関のドアを開けた。

トイレは玄関の隣だ。既に物体が穴からコンニチハと顔を覗かせてきている。でもここまで来たら気力だ。ゴールはそこなのだ。頑張れ、自分!トレイのドアを開け、ズボンを半分くらい下ろしたかどうかという、まさにその時だった。


「ああああああーーーーーーーー!!!!!!」
   


・・・この後のことは何も言いたくない。

(2008年10月)


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