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東京見聞録 靖国神社編
2005年11月15日

 11月15日、黒田清子さん(旧紀宮様)の結婚式当日、一人靖国神社へ行ってきました。

 最初に断っておきますが、僕は別に国粋主義者でも極右でもありません。。太平洋戦争を賛美するわけでも、反対に「あの戦争は日本が全面的に悪かった」なんて自虐的に考えたりすることもありません。ではなぜ急に靖国神社へ行こうと思い立ったのか・・・実はいくつかの伏線があって、その一つは湾岸太郎君の存在。彼は今年の終戦記念日に靖国神社へ行ったらしく、それを聞いて少しばかり興味が湧いたのです。

 そして二つ目の伏線が、前日の都政ゼミ後の食事での、先輩の「この前友達と靖国神社へ行ってきた」という発言。これを聞いた瞬間、僕はなぜか「行くしかないっ!」と思ったのでした。戦没者の英霊にお参りするという感覚ではなく、観光として行ってみようかという軽い気持ちで、です。あとやっぱり何だかんだ話題になっているし。行ったこともないのに、いわゆる「靖国問題」についての議論に参加するのはどうかと思ったので、まぁ一回行ってみようか、と。

 そんなわけで、話題沸騰、賛否両論の靖国神社へ行ってきました。

 あともう一つ断っておくと、「A級戦犯を分祀するべきか否か」とか、「首相は参拝すべきか否か」とかいった、外交や歴史認識の点で問題になっているいわゆる「靖国問題」について、ここでは自分の考えを述べるのは極力やめようと思います。最初は書こうかと思ったけど、現段階ではそれは難しすぎる。世間一般に流布している今までの議論を辿り、自分の頭の中で整理がつけば、いつか書くかもしれません。そういうことをせずに、感情論だけで論じてしまうことは本当に危険だと思うから。

 つまり今回の靖国訪問は、そういった一連の「靖国問題」を考える最初のステップにする、ということです。恥ずかしながら右も左もわかっていないので、今回の訪問をきっかけに少しばかり問題考えてみよう、とそういうつもりです。だから「靖国参拝」ではなく、あくまで「靖国訪問」と記述します。

 では、本題へ移ります。。 

<靖国神社到着>

 吉祥寺から直通の地下鉄東西線に乗り25分、九段下駅で下車。思えば九段下で下りるのは、日本武道館で行われた入学式以来、4年半振りです。当時は九段下に靖国神社があるなんて全く知りませんでした。

 九段下駅から緩やかな坂を上ると、靖国神社の第一鳥居が見えてきます。 第一鳥居は大正8年、日本一の大鳥居として誕生したもので、その後長年の風雨によって昭和18年に撤去、昭和49年に再建されて現在に至ります。その高さ25m。 

 その第一鳥居とくぐると、第二鳥居までは100m近い直線になっています。その途中にあるのが、大村益次郎の銅像。高校で日本史をやった人なら大村益次郎は有名だと思いますが、この人は近代日本陸軍の創設者にして靖国神社の創建に深く関わっている人です。      


<第一鳥居(大鳥居)>

<第一鳥居から第二鳥居への道>

 大村益次郎の銅像を見上げて先に進むと、道路を挟んで第二鳥居が見えてきます。


<第二鳥居と神門>

<神門>

<神門扉の菊の御紋>

<境内>

<靖国神社参拝>

 神門をくぐると、いよいよメインの拝殿。

 拝殿の前にある第三鳥居に下にはメディア関係者に対する看板があって、「メディア関係者は取材を行う場合、ここから先は許可を取ってください。ビデオカメラや写真を撮る場合、人物が特定されないようにしてください、云々・・・」と書かれていたのでした。ここに来るまでは「思ったより普通の神社だ」と思っていたのだけど、この看板を見て「やっぱりここはちょっと違う神社だな」と思ったのでした。報道写真では靖国参拝する人物の顔を出しちゃいけないのね。

 第三鳥居をくぐると、目の前には拝殿。おぉ、これがテレビでよく見るあれか。。天皇家の御紋である菊をあしらった幕が垂れ下がっています。そして側には常に警備員が(もしかしたら本物の警察官だったかも)。普通の神社だったら拝殿の前に警備員はいないでしょう。少なくとも地元や京都の北野天満宮なんかはそうだった。ここら辺が靖国神社独特です。


<第三鳥居>

<拝殿>

 一応神社なので、ポケットから賽銭をだして拝んできました。何だかひよってしまって、正式な作法である「二礼・二拍手・一礼」はしなかったけれども。。自分の中でどことなく割り切れない気持ちがあったんでしょうね。ちなみに周りの参拝者を見ると、真剣に二礼二拍手一礼を敢行していらっしゃる方が多数。軽い気持ちで来てしまった自分は、何となく威圧感を受けたのでした。しかもカップルが多かったけど、茶髪の兄ちゃん姉ちゃんが真剣な表情で二礼二拍手一礼してることに軽いカルチャーショックを覚えたのでした。

 あ、ポケットから賽銭を出して、二礼二拍手一礼をしない、というのは、今回の小泉首相の参拝方法を真似たものです。できるだけ軽〜い感じでね。今年小泉さんは拝殿で上のような形で参拝したけれど、これまで「内閣総理大臣」として参拝したときは、拝殿の奥の「本殿」まで出向いて正式参拝しているそうで。。本殿にも行ってみたかったけど、お金がかかりそうなのでやめておきました。ということで最初の目的を終え、境内をぶらり。

 実は来るまで知らなかったのですが、拝殿の近くには「鎮霊社」という小さな社があって、そこには世界各国全ての戦死者と戦争関連で亡くなった人の霊が祀られているそうなのです。これはびっくり。ヒトラーやムッソリーニ、項羽の魂なんてもの祀られているのかね?

<遊就館>

 第二の目的は構内にある「遊就館」という博物館を見学すること。湾岸太郎君によると、「特攻隊の遺書は泣ける」ということだったので、少しばかり楽しみにしていました。あとは「靖国らしさ」が一番わかるかな、と。拝殿に向かって拝むだけじゃ何もわからないですからね。靖国神社の考え方がそこかしこに散りばめられているはずなので、その辺も見てみようと、500円払って見物してきました。


<遊就館>

 ちなみに遊就館がどういうところかというのは、僕が云々言うよりも、パンフレットの説明文を引用するのがよいと思われますので、ここに引用します。

 明治十五年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿は変えながらも、一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。
 近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界的に視れば、皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。
 十万点に及ぶ収蔵品の中から、英霊のご遺書、ご遺品、歴史を語り継ぐ貴重な史資料を展示する遊就館からは、英霊のまごころ、そして近代日本の真姿が浮かびあがります。

 肝心の展示内容ですが、神武天皇からの日本の歴史を戦いを中心に振り返っています。江戸時代が終わるころまでの展示は、いたって普通の博物館といった感じ。がらっと雰囲気が変わるのは明治に入って、日清戦争が始まる辺りから。この辺りからはビデオも加え、かなり詳細に展示されています。恐らく日本で一番詳しい博物館でしょうね。大正天皇が携えていた刀とか、昭和天皇が戦時中に着ていた軍服とか、軍事マニアにはたまらない展示もあったりして、なるほどこれは面白い(いや、僕は軍事マニアではないけど。。)

 で、いよいよ展示は問題の太平洋戦争の部分に入るのですが、遊就館では一貫して「大東亜戦争」という名称が使われていました。これには何か意図があるのでしょうけど、残念ながら僕にはわかりません。。

 その大東亜戦争の部分の展示ですが、凄いね。女子挺身隊による血染め日章旗があったり、トラ・トラ・トラの電文があったり、結構見ごたえがあります。そして太郎君お勧めの遺書のコーナー。何千人という兵士の遺影と共に展示されていて、自由に読めるようになっています。

 その内容ですが・・・太郎君が涙するのもよくわかる。僕よりも年下の、下手したら未成年の特攻隊員達が、自分の確実な死を前にしてしたためた文章には、鬼気迫るものがあります。お国のためを思っている遺書、何となく戦争に訝しさを感じている遺書、残してきた妻子を思う遺書・・・。これは凄いね。ボキャブラリーが貧相で申し訳ないけれど、凄いとしか言いようがない。泣かなかったけど泣ける展示です。自分がもしこの立場だったらどうだったろう・・・と思わざるを得ません。

 ちなみに僕がある意味一番泣けたのは、「お母様には東京で酒を女を覚えろと言われましたが、酒は少々やったものの、結局女は知らないまま死ぬことになりそうです。でも満足しています。お国のために死ねるなら本望です。」という内容の遺書です。ちょっと面白いけどね。これは可哀想じゃないか・・・。本当に満足していたのか?と聞けるもんなら聞きたい。

 あとこのコーナーには祀られている人々の名簿があって、年配のご婦人がその名簿を見ながら涙を拭いているのが印象的でした。その姿を見て、世間では戦争は必要悪だなんていう人もいるけれど、やっぱり絶対悪だよな、と。。以前からそうは思っていたけれど、この場面で改めて確信したのでした。

 結局この遺書のコーナーで30分以上居座ってしまい、気がついたら入館してから2時間も経っていました。この博物館はちょっと思想がかってはいるものの、展示内容が本当に豊富なので一回は見てみる価値アリです。まさか2時間もかかるとは思わなかった。。


<展示されている零戦>

 この博物館を「思想的だ」ということはできるかもしれませんが、僕にはそこまで思想的に感じなかった。ていうか思想って出ても当たり前だよな、とも思います。「客観的」なんて存在するわけないし。ここはそういう意味では思想を抑えていると思いますよ。(何となく滲み出てきているものもあったけど。)

 韓国に行ったとき、「西大門刑務所」という、日本が植民地時代に建てた刑務所跡に行ったけど、そこにあった博物館なんかに比べたらまだまだおとなしいです。西大門刑務所の展示を見たときは日本人であることを全否定されているような気がして、見学した後に気分が悪くなったから。「にっくき日帝が」なんて表現がいたるところの展示に書かれていたら、さすがに参る。

<お土産を買う>

 さて、帰り道。参道にある売店で折角だから何かお土産を買おう、と思い、品々を物色。「」というプリントの鉢巻があったけど、これはいくらなんでも危険すぎる。靖国らしくて、なおかつ消費できるもの・・・ということで選んだのが、靖国落雁


<靖国落雁 600円>

<落雁の中身>

 ちなみにこの日はノリノミヤサマの結婚しきだったので、ノリノミヤサマ御成婚記念のお菓子も売られていました。何故靖国で・・・?とは思ったけど。。そしてそれを取材に来ていた日本テレビ。見たことある男性アナウンサーが寒そうに立ってたなぁ。御成婚記念のお菓子は売れ行きがよかったらしく、日本テレビのクルーは売り切れたところをカメラに収めて撤退していきました。

 あと屋台で「靖国ラーメン」なんてのを売っていてかなり気になったのだけど、腹が減ってなかったので断念。どんなラーメンなんだろう?ナルトが菊の形をしてたりして。。

 帰りは折角なので北の丸公園によって、武道館を眺めてきました。


<日本武道館>

<一体ここはどこなのか?>

 靖国神社に行ったし、これからちょっと靖国関連の本でも読んでお勉強しますかね。自分の中で整理がついたら、何か書くかもしれません。整理ついてなくても聞かれたら話すかもしれませんので、何か聞きたいことがあったらオフラインで聞いてください。

モドル

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