このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


4日目(2006年2月7日) <増上寺・東京タワー>

<壁の穴>

 起床は午後1時。昨日カラオケでわめき散らしたので、若干喉が痛い。

 今日はいよいよ教祖が下関に帰る日。拘束(高速)バスの時間は東京駅6時ということなので、それまでの時間は観光することにしました。最終日は教祖の希望で東京タワーへ。

 まずは渋谷へ出て遅めの昼食。お勧めの店ということで、壁の穴へ。僕はしめじ・椎茸・茄子のスパゲッティ、教祖は「おじさんのアイドル」を注文。おじさんのアイドルはカイワレとにんにくが大量に入っているスパゲティです。ネーミングが面白い。ここのスパゲティは家庭的な味で、安心して食べられます。今のところ僕のベスト・オブ・スパゲティ。


<しめじ・椎茸・茄子スパゲティ1300円>

<増上寺>

 実は家を出たあたりから鼻がむずむずしだして、壁の穴では鼻水がとまらない状況になってしまいました。完全なる鼻炎です。このまま行動するのは辛いので、渋谷の薬局で鼻炎の薬と鼻うがい液を買って、その場で処置。

 むずむずした鼻を抱えたまま、今日の目的地である東京タワーへ。が、東京タワーの最寄り駅がわからなかったので、とりあえず近いと思われる浜松町へ。そしたら浜松町から東京タワーまでは結構距離があるらしい。時間もあるので歩くことに。

 東京タワーを目指して歩いていると、途中徳川家の菩提寺である増上寺に着きました。せっかくなので見物。


<増上寺の三門>
 
<増上寺と東京タワー>

<たくさんの子供地蔵>

<二代将軍秀忠の霊廟>

 増上寺は徳川家の菩提寺らしく、広く立派でした。戦前には敷地内に各将軍の霊廟があったものの、空襲でほとんど焼失してしまい、今残っているのは右上の写真の秀忠の霊廟のみだとか。家康と家光は日光に移動しておいてよかったですね。

 参拝途中でおじいさんが話しかけて来て、いろいろと見所を教えてくれました。おじいさんが「どこから来たの?」と聞いてきたので、僕はとっさに「東京です」と言ってしまった。。こういう場合僕は何て言えばいいんでしょうか?もう山口とは言えないしなぁ。かといって東京出身でもないしなぁ。

<東京タワー>

 増上寺を抜けると、いよいよ東京タワー。真下から見ると、やっぱり巨大です。


<東京タワーを真下から>
 
<タワーを支える脚>

 タワーに上ります。150mの一般展望台までで800円、250mの特別展望台まで行こうとするとその倍くらいかかる(はず)。今日は天気も悪いので一般展望台まで行くことにしました。

 「東京に住んでいると東京タワーに上らない」なんて言われますが、僕も上京後5年目にして初の東京タワーです。上京後は初なのですが、実は過去に一度だけ上ったことがあります。それは1989年、まだ小学生だった時。家族で東京観光に来た時。東京タワーははとバスツアーの中に組み込まれていたのでした。そのときはゴールデンウィークで、もの凄い人がいたのを今でも覚えています。そして展望台からの景色を見て、「東京ってすごいな」と思った記憶があります。つまり今日は17年ぶりに東京タワーに上ることになるのです。

 17年ぶりの展望室は、当時と比べ物にならないほど綺麗になっていました。17年というときの流れを感じさせます。が、綺麗になったとは言っても、もともとは昭和33年に建てられた建造物。根底にそこはかとなく残る古臭さはどうしても払拭できません。何と言うか、昭和の匂いがぷんぷん漂ってくるのです。こういう古臭さをずっと残してほしいもんです。

 初東京タワーだった教祖も、ようやく東京のシンボルを見ることができて満足している様子。。ちょっと天気が悪くて景色の面で残念だったけど、よかったよかった。


<東京タワー展望台>
 
<足元がガラス張り>

<レインボーブリッジとお台場>

<増上寺>

<教祖帰宅>

 バスの時間が近づいてきました。東京駅へ移動し、地下の大丸食品街で買い物をしたあと、バスの時間まで喫茶店で一息。このときは鼻炎の薬の影響で眠くて眠くて、教祖に申し訳なかった。

 6時10分、疑惑のふくふく号下関行きは教祖を乗せて出発。達者でな。


<疑惑のふくふく号>

 ということで、今回の教祖と巡る東京観光はこれでおしまい。4日間歩きっぱなし、食べっぱなし、飲みっぱなしの強行日程だったけど、楽しい時間を過ごすことができました。

 あと、教祖やそば君と話していると、気がつかないうちに方言に戻ってしまうんですね。そうそう、昔はこういうイントネーションで話してたよな、というのがわかって懐かしかった。逆に言えば、それだけ東京の言葉に染まりつつあるということなんでしょう。。これから、方言を大切にしていこうと思ったのでした。

 次は北京での再会を約束しつつ。

終わり

モドル

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