このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

すぱくり人生 〜幼少編


【謎の特殊能力】

人は幼少期、主に数的、感覚的なものに対して、とてつもない能力を発揮することがあるという。そしてその能力は、物心がつく4,5歳前後にはなくなってしまうらしいのだ。

そんなアホな、と思ったあなた、是非とも僕の幼少期の話を聞いて欲しい。

幼少期の僕は、数に異様な好奇心を注ぐ子供だった。母親の持っている本を手にとっては、一ページ一ページにクレヨンでそのページ番号を書いていったのだ。対象になった本のページ数はバラバラで、多いものは200ページ以上のものもあったが、2時間以上もかけてせっせこせっせこ、子供特有の大きな文字で、数で各ページを満たして行った。毎日そんなことをしていた記憶があるが、今考えるとよくもまあ飽きなかったもんだ、と自分でも思う。

と、ここまでは記憶がある話。だが実際に驚くべき話は、ここから。

なんと当時の僕は、「△年□月○日が〜曜日だ!」と一瞬にして答えられたというのである。

例を出してみよう。例えば母親が「2004年6月22日は何曜日?」と当時3歳にも満たない僕に聞くとする。すると僕は間髪入れずに「火曜日!」と答えるというわけだ。

実際に僕にはそんな記憶は全くないが、当時の話をすると両親はもちろん、伯母までが、「あの時はすごかったねぇ〜」と、昔を懐かしむような反応をする。

実は一回だけ、そのような質問をされた記憶がある。でも、全くわからなくて、でたらめに答えたら見事に間違っていた、という記憶だ。それ以来その類の質問はされたことがない。きっと両親も何かが違う、と思ってあきらめたのだろう。

しかし、なぜ当時の記憶が存在しない幼少期の僕に、そんな芸当ができたのであろうか?記憶を形成することができるようになってから、能力がなくなってしまったことを考えると、幼少期の特殊能力は記憶や言語の習得と密接に関係あるのかもしれない。

もし、あの能力が絶えることなく今もあったなら、僕はどうなっていただろか。きっと違う人生を歩んでいたに違いない。もしかしたら天才一直線だったかもしれないし、もしかしたら社会に適応できない人間になっていたかもしれない。

幼少期の能力というものは、謎めいたものである。

(2004年6月)


モドル

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