このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

総武快速113系ラストラン

 

アーカイブズシリーズ・その2

1999年12月4日の改正で姿を消した総武快速・横須賀線の113系。1972年7月の東京地下駅開業以来、27年半にわたって君臨してきた主役が降板したのは、実に最終1本前の電車でした。
東京口の近郊型電車というとどうしても湘南電車にスポットが当たりがちですが、湘南色に比肩されるスカ色の元祖とも言える横須賀線、そして首都圏きっての重通勤路線である総武快速線の存在感もまた大きなものがあります。
既に2階建てグリーン車が全編成に組み込まれた湘南電車と違い、総武快速線のそれは一時期こそ2階建てが組み込まれた時期もありましたが、その最後の日まで走り続けたのはオリジナルのサロ110-1200番台2両組み込みと言う姿であり、この電車を持って、113系の「正調」15両編成の姿もまた消えたのです。
私自身、登場当時からのユーザーでもあり、あたりまえの存在だった113系が遂に消えるその列車に、惜別と感謝の念をこめて乗車しました。

(写真は「写ルンです」使用につき鮮明度などはご容赦。なおストロボ使用です)

津田沼に到着した2379F



99年12月4日午前0時20分過ぎ。27年間通いなれた総武快速線から113系が撤退しました。

当夜は113系最後の運用となった東京駅23:50始発の2379Fに乗車しました。この前運用の1879Fはこれも最後の「エアポート成田」。津田沼駅で見たところG車に「鉄」らしき顔も見受けられました。

1879Fを見たのは車両交換等の異変が無いことの確認でして、いったん帰宅してから23時過ぎの快速で東京に出ました。
上り最終となる2278Fへの乗車も考えたのですが、定期券所持とは言え折り返し乗車は顰蹙を買いそうなので先行しました。

既に113系用の乗車案内・目標がすべて撤去されているため、側壁の剥がされた跡を頼りに並んでいると、「こっちでしょ」とE217系用の乗車口に並ぼうとした人から声をかけられましたが、「3扉ですよ」と言うと通勤ユーザーゆえすぐに理解したようです。

23:37発の2275F千葉行きがぎゅう詰めで出た後、ホームに2379Fの案内が流れましたが、「3つドアで運転します。乗車位置が若干ずれますのでご注意下さい」という注意喚起の放送に加えて、

「今度の電車は、113系最後の電車になります」

という「お別れ放送」が何度か流れ、「永らくのご利用ありがとうございました」という挨拶まで入りました。
駅員も万感迫るものがあったのか、不慣れだったのか、挨拶は途中で妙な空白が空きましたが。
意外にも放送を聞いた通勤客の間から、113系の話題が聞こえてきたあたり、それぞれの想いと言うのがあったのでしょう。
「まだいたのか」という会話もありましたが...

23時41分、2278Fが地下4番線にゆっくりと到着しました。別にマークも装飾もなく、普段通りの姿で、これが見納め、乗り納めとは信じられない気分です。
数少ない乗客のかなりを「鉄」が占めていましたが、時間が時間だけに折り返す人はほとんどいませんでした。
かわりにホームでの活動は活発で、酔客で賑わう普段通りの車内とは好対照です。
551ぷらんにんぐさんをお見掛けしましたが、氏を始め駅頭見送りというケースが多かったようです。

23時50分、千葉方のホーム先頭では10人程度がカメラやビデオを構え、煌くストロボとホームの拍手の中を2379Fは最後の旅路に踏み出しました。
師走の金曜深夜とあって混雑が激しく、新日本橋や錦糸町で「発車時間過ぎております」という放送が流れました。
車内放送は別に特別なものはなく、成田車掌区の車掌さんはいつも通りの内容を淡々と放送してましたし、東京駅以外では各駅とも普段通りの放送でした。

新小岩や市川ではホーム先頭の「鉄」の方が5人くらいずつ最後の姿を送っていました。
通いなれた道の乗りなれた車両ですが、さすがに津田沼が近づき、これが最後だと思うと来るものがありました。

定刻0時19分に若干遅れて津田沼駅1番線に到着。もう上りはないのに10人以上がホームや先頭でカメラを構え、あとはマリ区に引き上げられるだけの編成を見守っています。
酔客を起こすのに手間取り、0時27分、15連の113系はマリ区へ去っていきました。

***
明けて改正当日。120km/h化という触れ込みの新ダイヤですが、津田沼から上りに乗車したところ、船橋を出て海神のカーブを過ぎたところでググッと加速。なるほどこれは違うと感心していると、下総中山あたりの緩勾配で減速するに任せているようです。市川を出ると恐ろしくのったりした走りで、これならたった1分の短縮だ、と妙に納得する「120km/h」でした。

前運用の1879Fエアポート成田(津田沼)津田沼到着直後の2379F




 

 

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