このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
通勤特急の最後
アーカイブズシリーズ・その1
1998年11月18日、京急羽田空港駅開業に伴うダイヤ改正で「通勤特急」はその幕を下ろしました。
1970年代中盤から苦しい経営環境に喘いできた京成電鉄の中興の祖とも言える「通勤特急」が登場したのは1985年10月19日のダイヤ改正。これまでの特急より停車駅を5つ減らし、船橋逸走に対する切り札として登場した「通勤特急」は、京成の歴史に残る名列車となりました。
流れる直線を配した独自の種別サイン、種別選定装置の「7」は、特急の「6」の上位であり、事実、車内などに掲示される停車駅案内でも無料列車の最上位にランクされてました。
この「通勤特急」の運行最終日となった1998年11月17日、宝町から京成津田沼までの乗車の記録です。
在りし日の通勤特急(三田にて)
11月18日0時59分に佐倉駅に到着した列車を最後に、京成の「通勤特急」は13年間の歴史に幕を下ろしました。で昨夜、通勤特急に乗車して帰宅しました。
退社後京橋方面に用があったので、宝町駅を利用しました。
構内の表示は翌日からの改正ダイヤのものに既に置き換わり、上から紙を貼って隠している状態でした。
ここは「エアポート快特・特急」の通過駅なので、ホームの柱には「通過電車にご注意」という警告表示が掲げられています。
羽田空港行きが発着する南行きの改札口には、羽田空港へ ダイレクトアクセスを謳う横断幕が掲げられていますが、北行きに「成田空港へ」がないのは、既に乗り入れて7年半とはいえ残念です。
ちなみに、浅草線乗り換え各駅での接続各線を挙げて、羽田空港へ誘うポスターとならんで、新宿線のポスターがありましたが、東日本橋では「エアポート快特・特急」で 羽田空港へという案内で、成田空港はというと、本八幡乗り換えを推奨しており、我が意を得たり、という気分です。
電車入線時の構内放送を聞こうとしたのに、南行き電車発着の轟音にかき消されて聞こえないまま、21:27の通特東成田行きに乗りました。
前回の20時台とはうってかわった盛況で、結論からいうと 都営線内、青砥、八幡、船橋と詰め込み続けて、津田沼で 接続の各停成田空港行きにまとまった乗り継ぎ客を降ろしても吊革が塞がっている状況でした。
赤電系列の車内は既に停車駅案内が取り外され、駅のLED表示とアナウンスを除けば「通勤特急」は既に過去のものでした。
「エアポート快特・特急」通過駅はたいてい次駅が停車駅なので、ホーム端部に「(飛行機マーク)次駅停車」の注意表示があります。
そして押上から京成線。今日が見納めなのか「7」の種別表示灯が脇に流れて発車。
形通りの車内放送の後、「あす18日、京急線羽田空港駅開業に伴いダイヤ改正を行います」と改正告知放送が入りました。
「通勤特急の名称変更」ということで、「御利用の電車は明日から「特急」に名称が変更になりますのでご注意ください」と、「通勤特急」が今日で最後であることを告げていました。
なお、この放送は船橋発車後にも流れました。
青信号と「7」に見守られて通過駅が流れていきました。
そして京成津田沼に22:07到着。
信号機下の種別表示の解説板はまだ「7:通勤特急」でしたが、一夜にして変るのでしょうか。
出発信号機が青に変わり、「7」の灯かりが点ると発車時刻。 ゆっくりとポイントを渡り、「//通勤特急 Commuter Express//」のテールサインが闇に溶け、「通勤特急」は東成田への帰らぬ旅路につきました。
まさか24年の時を経て、もう一度「通勤特急」を送る日が来るとは思いませんでした。
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