このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

東葉快速デビュー(その1)

 

アーカイブズシリーズ・その3

1999年12月4日の改正で朝夕2本ずつ登場した東葉高速の新種別「東葉快速」。
これまで線内各駅停車だったものを北習志野、八千代緑ヶ丘のみの停車として5分短縮を謳い文句にしたこの改正での目玉所品です。
この改正は「東葉快速」のインパクトも強いのですが、ラッシュ時の大増発、そして終電の大幅繰り下げ(大手町発0時10分)と、開業当初の過疎ダイヤからのユーザーとしては隔世の感を禁じえない、まさに掛け値なしの「大改正」でした。
改正後初の平日となった12月6日朝、「東葉快速」の2番列車に、当時の地元北習志野から乗車してみました。

東葉快速(中野にて)



「お待たせ致しました。4番線に東葉快速中野行きが参ります」
「当駅を出ますと西船橋に停まります」

北習志野駅7時48分、ホームの3番線側のほうまで伸びた乗客の列に案内放送が流れました。
ホームの案内表示に「7:50 東快 中野」の文字。「東快」は通快と同じ赤色で英文は「Toyo-Rapid」でした。
まもなく1090を先頭にした東葉1091F使用の「東葉快速」中野行きが、助士席側に指導運転手が添乗し堂々の入線。
注目の種別表示は白地に赤文字、英文は「Toyo Rap.」です。

既に北習志野到着時点で車内は吊革も一杯で、その合間にも人が立つという混雑。ドアが閉まって改めて見るとドア付近も含めてぎっしり埋まった状態です。注目の快速運転ですが、中線の通過線化が見送られた飯山満は分岐もあってかなり徐行して通過。東海神も地下駅のため減速。芝山団地を控えた飯山満には次の各停を待つ人が多く、朝の貴重な直通快速を失った最大の被害者といえます。
一転して東海神はいつもながら待ち人は少なく、やがて体感的には心持ち速かったという程度で西船橋に着きました。

駅の放送は「快速中野行き」と改まり、さらに多くの乗客を詰め込んで発車。浦安ではドアが閉まらなくなるほど詰め込んでおり、ラッシュの程度としては京成、JRルートに比べるとかなりハードです。
結局大手町には6分遅れの8:37着では、折角の「5分短縮」も相殺されてしまったようです。

***
東葉線内の案内は妙典開業対応になっており、妙典の文字にシールを貼って隠していますが、東西線内は逆に、妙典開業までは紙製の暫定版時刻表で凌ぐ構えのようで、案内の「一部時刻変更」という態度同様、東葉にとっては乾坤一擲の改正が霞んでしまっています。

ただ、すでに妙典開業ダイヤは確定しているようで、西船橋駅掲示の時刻表で、東葉線の一部列車の時刻が紙貼りになっています。また東葉線の冊子版時刻表が1月末まで発行されないことも、妙典対応なのでしょう。

東葉線内の駅時刻表ですが、従来の、赤字=快速、赤字に点=通快にくわえ、東葉快速は緑地に枠囲いとなっていたので字幕もと期待したのですが、白地に赤字はインパクトに欠けるようです。

あと、東行き電車は従来快速表示のまま直通していましたが、北習志野7:39発の「快速」東葉勝田台行き(05系LED車)は「快速」表示をしてませんでした。
#駅の案内(LEDと壁貼り)は快速表示のまま。放送は従来から「各駅停車」でしたが、今回車側表示に変更があった模様です。
※注:これはこの列車だけのようで、下り(東行き)の車側表示は結局従前の通り。


以上、朝の「東葉快速」レポートでした。



 

 

習志野原今昔物語に戻る  


習志野原の交通局に戻る  

 

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください