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続・小室への道
〜新京成バス拾遺その6
引き続き小室線の話です。
船橋駅から小室駅までの長丁場にあるバス停に関する思い出話をして見ましょう。。
※2006年11月5日 分校入口バス停について補筆
小室への道、船07系統のバス停も変わりました。
起点の「船橋駅北口」、ここでさえ「船橋駅」だった時代もあったのです。行先幕に系統番号が出た時に「北口」が消え、放送でも「船橋駅」だったのが、いつの間にか戻っています。
かつては南口を発着して大神宮坂上経由で東町方面に向かう系統があったので、区別する意味で名乗っており、一部のバス停には南口系統がなくなった後、相当あとまで「船橋駅北口」「船橋駅南口」と残っていました。
さて「天沼」の次が「夏見坂下」。かつては「青少年ホーム前」でしたが分社時に改称。しかしこの名称、実は新京成バスが最初に鎌ヶ谷大仏までの路線として走った時の名称で、思いっきりの先祖帰りです。
その先、夏見台団地やコープ野村までの系統には県道から外れた「夏見」経由の便がありますが、ここもかつては「夏見営団」でした。営団と言うと営団地下鉄(現東京メトロ)の専売特許のような感がありますが、実は官民出資の特殊法人一般を指す普通名詞。ここも夏見にある住宅営団の住宅と言う意味でした。というわけで、「夏見北」もかつては「営団北口」でした。
「夏見台団地」を過ぎると左手にあったのが日糧パンの工場。今は集合住宅となって「エステート夏見」ですが、かつてはそのまんま「日糧パン前」でした。こういう細かい改称がされている割に、南から「二軒家」、「七軒家」、「三軒家」のいかにも田園地帯という停留所名は不変です。
鎌ヶ谷方面に向かう道と別れるのが「市立体育館」。運動公園の南にある体育館に因んでいますが、かつてはこの分岐で金杉町に向かうということで「金杉入口」でした。
そして海老川が県道の背後に回りこみ、源流である御滝不動尊へ向かう谷筋と交差するアップダウンを経て「金杉坂上」で再び台地に出て、「金杉町」で船取線と交差すると「金杉会館」。ここはかつては「高根小学校入口」。入口にしてはえらく離れており、「高根小学校前」が全然違うところを走る今はなき高根線にあっただけに、違和感がありました。
続いては「金杉市民の森」ですが、ここは「日本精密冶金前」でした。同社は現在は三菱マテリアル系のMMCハードマテリアルで、「三菱金属直系」の看板を出していた事業所がありました。
「金杉中央」で金杉台団地行きを分け、高根線が合流すると「桜ヶ丘」。ここは乗降が多かったです。「御滝中学校前」から「御滝不動」「二和小学校」を経て「二和火の見下」までの経路変更は
別項
の通り。かつては別ルートで「不動尊前」「稲荷前」と続いていました。
ここで向きを変えると小室までは一本道です。
「二和町」「二和町入口」と続きますが、電車は三咲、二和の順に駅がありますが、バスは、というか町割りは二和が西側で、三咲が東側。三咲小学校が二和向台駅裏にあるのもそのせいですが、さすがに「三咲小学校入口」は「二和向台駅入口」に改称されています。
「三咲駅」を過ぎると「中組入口」、そして「中組倉庫」と並んでいました。「中組倉庫」は「三咲東郵便局」に改称されましたが、バス停2つ分に亘る「中組」とはなんでしょうか。字によっては上中下の組に分かれていたケースもあるやに聞いており、ここもそんなひとつでしょうか。
「三咲三叉路」で鎌ヶ谷大仏への道を分け、その先で古和釜方面の道を分けます。県道57号と鍵の手に交差する区間ですが、習02系統とは小室方面に直進する系統は交差しながら乗り換え停留所がありません。
畑や林、そして思い出したように旧家がある沿道、「三咲神社前」「須賀神社」はかつて歩くのが好きな祖父に連れられて初詣に来させられた神社。歩きつかれて足が棒になるので子供ごころに嫌でした。
このあたりまで来ると町名も三咲町、神保町、豊富町とおおくくりになっていたため、バス停も何とかランドマークを探して付けていた感じ。「三咲神社前」と「須賀神社」の間には「御堂前」、「須賀神社」の先には「酒屋前」とありましたが、「酒屋前」は「養護学校入口」に改称されています。
「神保新田」を過ぎ、「豊富農協前」への往復を控えた交差点にあったのが「二十三夜塔前」。いよいよ豊富、はるばる来たという感傷になる頃に現れるこのバス停はいわくありげで雰囲気をさらに盛り上げてくれました。
十字路脇の二十三夜の月待ち講の碑にちなんだバス停ですが、今の名は「県民の森」。豊富農協前に入っていた時代には、交差点の南北にある同名の停留所にそれぞれ停まっていました。
その先の「豊富中学校」は「ワンパク王国」を経て「アンデルセン公園」となりましたが、船橋北部の観光スポットに船07が入らないと言うのも不親切です。かつては「豊富農協前」を経て、県道61号線と交差する「睦出張所前」まで伸びており、1970年代後半、ツーマン専用車のD201なんかの字幕一覧にはまだ残っていました。(「桑納役場出張所前」などの時代もあったが、字幕一覧では「睦出張所前」だったように記憶しています)
「豊富農協前」にある豊富支所はかつての豊富村役場。ここを過ぎるといよいよ最終コースです。二度目の「県民の森」を過ぎると「さざめざく」。笹のように細い谷あいを意味するそうですが、道路は少し下ってる程度で谷あいのイメージはありません。
かつてはなかった「東京学館」ですが、考えてみるとここ30年程度で停留所の改称は多数ありますが、路線延長以外で追加になったのは実はここだけです。
「堂谷津台」は字名としては「どやつだい」と読んだようですが、バス停は「どうやつだい」だったような気が。ここも「モリタ船橋工場前」になっています。次の「日新舗道」は集落も事業所もない最北の地だった頃、唯一事業所があったわけですが、経営不振で長田組土木に吸収されており、今は東電の特高圧変電所にちなんだ「変電所」と改称されましたが、ちょっとぶっきらぼうです。
さあいよいよ小室の地です。行き着いた先にいきなり現れるのが4車線の国道16号線。基本的に新道としてまっすぐ引かれた国道ですが、市内では当時、旧市街でもほとんどない4車線の一般道路が最北の地にあったというのも船橋の面白さでした。
その交差点手前にあるのが「小室交差点」ですが、かつてはなんと「分校入口」でした。その「分校」はどこにあったのでしょうか...
(2006年11月5日補遺:豊富小学校がかつて1960年代まで小野田、神保新田、古和釜に分校を開設しており、このうち小野田の分校がこの付近にあり、バス開設時には分校がまだあったため、このバス停名になったと思われる)
いまはR16に入り、ハイランド経由ですが、かつてはそのままR16を交差していました。すぐに「小野田入口」。「おのだ」ではなく「このだ」です。県道沿いは神保町、大神保町、豊富町とおおくくりな町域ですが、東側に鈴身町、小野田町、車方町と小さめの町が並んでいます。ちなみに鈴身町はかつては「行々林」(おどろばやし)と言ってましたが、今ではちばレインボーバスの神崎線の「行々林入口」に残るのみです。
小室線の旅も終わりが近いです。R464が4車線になるまではそのまま下って「八幡下」、かつての「小室」終点です。そして「小室駅」に着くと長い旅も終わります。
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