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マイタウンライナーの衝撃と現状
ニッチ戦略からの転換期を迎えた平和交通


千葉県の新興バス会社、平和交通により運転を開始した「マイタウンライナー」。
これまで深夜急行バスと城西国際大学の高速スクールバス、その送り込みの早朝特急バスで高速バス事業を地味に営んでいた会社が、突如近郊高速バスの運行に乗り出したのです。

京成バスによる「マイタウン・ダイレクト」の展開とも言える路線ですが、その実態はどうなのか。そして先発の「マイタウン・ダイレクト」とはどう違うのか。その実態を見てみました。

ちはら台で発車を待つ


写真は2010年1月、2月、5月、7月撮影


●平和交通の勃興
千葉県京葉地区の新興バス会社、平和交通が元気です。
稲毛地区の特定の住宅地輸送専業だったものが、都賀地区への進出、さらには深夜急行バスへの参入、定着を足がかりに、幕張ベイタウンに進出するなどその営業エリアを広げてきています。

もともとタクシー、観光バス事業の西岬(にしざき)観光がその原点で、1975年頃に幸町地区のバス空白地帯の住宅地におけるジャンボタクシーによる輸送を目的とした団地交通、さらに稲毛地区で同様のサービスを目的とした平和交通を立ち上げ、3社の事業を並行的に営んでいたものが、2008年6月に旅客事業(株)という統括会社を設立し、翌年の「ビィー・トランセグループ」というCI戦略により、一気に存在感を増しています。

特にバス事業に関して京成グループが席巻している千葉県京葉地区において、独自の存在感を増しており、最近では創業以来の住宅地輸送も大型バスによる一般路線バスですし(1986年に路線バス免許を取得)、そうした地域密着型の実績を買われて千葉市のコミュニティバスの運行事業者になっています。

●「マイタウンライナー」への道
良くも悪くも地域密着だった小規模な会社がこのような近郊高速バスに打って出たのは、何も唐突な話ではなく、長い前史があります。

会社概要によると、1990年、平和交通が自ら提言した全国初のアイデアを元に、東京駅と若松台団地を結ぶ「深夜急行バス」の運行を開始したとあります。

これが前史の始まりとなるわけですが、深夜急行バス自体は、タクシーがなかなか捕まらないと言ったバブルの落とし子として昭和末期に運転を開始しており、1989年頃には「ミッドナイトアロー」の統一愛称で近郊各方面にそれぞれの方面の事業者各社により設定されていました。

実際私も1990年より早い時期に、京成の深夜急行バスに新橋から船橋まで乗車した経験があり(バスは佐倉行き)、1990年が全国初ということはありません。
サービスレベルにしても、系列のタクシー会社との連携は一般的に見られた形態であり、「全国初のアイデア」とは何か、気になるところです。

その後、1992年に西岬観光で城西国際大学の送迎スクールバスを運行開始しており、これが東京駅発着の高速スクールバス、そしてその送り込みの早朝特急バスにつながっています。

そして2006年に西岬観光が蘇我−ちはら台のジャンボタクシーによるナイトシャトルの運転によりちはら台地区に地歩を築き、2007年に団地交通が千葉−大網の深夜急行バスを運転開始するとともに、「マイタウンライナー」の愛称をつけた時点で、その前史が完成したといえます。

深夜急行バスがメイン?のバス停(数寄屋橋)


●日中高速バスのデビュー
2009年11月17日に突然リリースされた、12月1日から平和交通が日中高速バスとして、銀座・東京からちはら台、大網間を運行するという情報は衝撃的でした。

京成の「マイタウン・ダイレクト」バスほどの衝撃は無かったものの、新興バス会社である平和交通による本格高速バスの運行というのは、その区間もさることながら、意外感あふれるものでした。

ただ、平和交通自体は前述の通り、深夜急行バスで都心−千葉県下の高速バス運行の場数は踏んでいるわけで、まあ知名度の低さがその驚きに拍車を掛けていたことは否めません。

ターゲットとなったエリアは、京成の「マイタウン・ダイレクト」ほど近くはなく、アクアライン経由の高速バスや北総方面への高速バスのような遠くではない、という微妙な距離。
住宅街、ニュータウンではありますが、都心ターゲットだけでなく、千葉市内への通勤や、京葉工業地帯への通勤も相当数ありそうなエリアです。

ここも何気に渋滞ポイントの赤井交差点(赤井寮付近)

運行体系は、ちはら台線が毎日運転で日中も含め平日5.5往復、土休日5往復。京成千原線の学園前、おゆみ野、ちはら台周辺の住宅地がターゲット。
大網線は平日のみ運転で朝の東京行き、夜の大網行きの1本ずつで、土気・あすみが丘がターゲット。
両路線とも東金道大宮ICを出たところに設けられた大宮町BTを経由し、ここをP&R拠点とする戦略も見えます。

また朝の東京行きは首都高湾岸線から晴海線に入り、晴海通りから数寄屋橋に到り、銀座・数寄屋橋バス停を経て東京駅へ向かい、それ以外は湾岸線から深川線経由で呉服橋ランプに到り、東京駅→数寄屋橋に回ります。
一方の下り便は、数寄屋橋から東京駅に到った後、深夜急行バスと同様、昭和通り→永代通りを経て、箱崎ランプから深川線に入るコースと、なかなか一筋縄ではいきません。

東京駅に到着した朝のちはら台線


●「マイタウンライナー」に試乗する
路線自体への興味よりも利用実態への興味が大きく、交通論的にも開業日近辺の特異な状況を見ても意味が無いので、開業から時間をおいて何回か利用したり、東京駅頭で様子を見てみたりしました。

結論から言うと大網線はかなり苦戦している印象。ちはら台線はホームライナー的利用が一定数付いたという感じです。路線の性格上「マイタウン・ダイレクト」との比較にどうしてもなりますが、開業から半年以上経過した段階で見ると、朝夕は30人台の利用が定着して、便によっては満員、さらには日中も便によっては賑わう「マイタウン・ダイレクト」に対して、「マイタウンライナー」の利用はかなり少ないわけで、時間が経過してのこの現状はちょっと厳しいものを感じます。

ちばきたライナーの休日夕方前


【大網線】
下り便について、2月に数寄屋橋から試乗した際も、その後6月頃に実見した際も、5人未満という状況。特徴的なのは東京駅からの利用が無く、数寄屋橋からの利用のみということ。ちはら台線でもそこまで顕著ではないが、数寄屋橋の利用が多く、都心部での目的地に応じた利用が付いたという感じです。

発車を待つ大網行き(数寄屋橋)

試乗時は私以外の全員が大宮町BTで降りてしまい、大網へ向かう意味がありませんでした。
私自身も土気で降りたのですが、あすみが丘でどのくらい利用があるか、と意気込んでいたのが完全に肩透かしでした。

大網は京成・小湊が「3番乗り場」から出している大網、白子/茂原線のほうが速くて本数もあるので期待してませんでしたが、都心志向がありそうな住宅街のあすみが丘の利用が皆無だったのは驚きでした。6月の実見でも乗客数に大差はないため、大宮町BT以降まで乗車があっても需要を云々するレベルではないというのが現実と見ます。

また、上り便は未見ですが、あまり期待できないです。

大宮町バスターミナル全景


【ちはら台線】
1月に日中の上り便。2月と7月に朝の上り便、2月には夜の下り便も試しています。
日中の上り便が10人程度、朝の上り便が10人程度、夜の下り便は2月が数人、6月の実見では20人超とやや定着が伺える規模でしたが、日によっては10人台であり、大網線ほどじゃないですが、ちょっと厳しい数字です。

ちはら台で発車を待つ東京駅行き(後方)

大宮町BTの利用実態がいまいち掴みづらいです。P&Rとしての利用は少なく、キスアンドライドでの利用がメインと見ました。
おゆみ野地区までの利用が多く、ちはら台地区の利用は少ないようですが、これはちはら台地区がまだ分譲中ということも大きいですし、ロードサイド型店舗の展開を見ると、市原市に属するちはら台地区はクルマ生活志向が強いようで、これが利用格差につながっているのかという推測もできます。

ちはら台の住宅地を行く


【競合交通機関の様子】
大網線に関しては、上記の京成・小湊バスも決して利用が多くは無いのですが、一定の乗客数は確保しており、定着振りがうかがえます。
一方、試乗時に土気駅で見た感じとしては、外房線に接続する千葉中央バスへの乗り継ぎは案外と少なく感じ、あすみが丘の「実態」がよくわかりません。
とはいえ「マイタウンライナー」の「利用実態」とは比較にならないわけで、需要が全く取り込めていない感じはなぜでしょうか。

少なく見えるがそれなりにいる土気駅での乗り継ぎ


ちはら台線に関しては、鎌取へ向かう一般路線バスに集中、という感じも受けませんでした。
払暁のちはら台駅はキスアンドライドの利用者が多く、千原線は結構乗っていますが、京成千葉での段落ちが顕著。鎌取に出ずに京成経由で千葉から都心という流動にも見えず、千葉市内がターゲットの層が多いのでは。

キスアンドライドの比率が高い払暁のちはら台


【定時性はどうか】
上り便は千葉東JCTがやはりネック。ここの合流と貝塚、穴川へかけてのサグによる渋滞次第で所要時間がいくらでも変わってきます。

その他、朝の3便(ちはら台線2便、大網線1便)は箱崎の渋滞を避ける目的か、晴海線豊洲ランプ経由になりますが、晴海通りの渋滞という伏兵があるわけで、勝どき駅付近から勝鬨橋を通り築地市場までは恒常的、状況によっては三原橋付近まで滞ります。
箱崎、呉服橋経由でやってくる京成系の高速バスの様子を見ると、設定時間に余裕があるとはいえ概ね定時到着もしくは早着であり、時間が読めるという意味では呉服橋経由のほうが良いようです。

ネックはやはり千葉東JCT(京葉道から続く渋滞)


●「マイタウンライナー」はどこへ向かうのか
ちはら台線はまだまだとは言いながらも定着の様子が見えてきました。一方で大網線はかなり厳しいといわざるを得ません。通勤輸送に特化していますが、1日1本ではつぶしが利かず、ライナー的利用といっても快速のグリーン車や「わかしお」利用の速達性、快適性とどう差別化を図るのかが見えません。

深夜急行バスが定着しているのに、「マイタウンライナー」は使われない。この差はどこから出てきたのかを分析しないと今後の展望が開けません。

このあたりは、終電を逃したという特殊事情下において、タクシーという非日常的な交通機関との比較で選択される深夜急行バスへの志向があるからといって、それを一般化して高速バスに需要があるということは、あらためて鉄道などの「日常的な」交通機関との間で本数や所要時間、区間の設定等を比較検討をしない限り成立しなかったということでしょう。

また、「マイタウンライナー」の決して順調とはいえない状況は、後に続く路線、特に「マイタウン・ダイレクト」の「第3弾」に影響を及ぼしていることは想像に難くありません。
「マイタウン・ダイレクト」の運転開始以降、いろいろな開設情報が飛び交っており、特に議員筋からの情報は確度が高そうですが、未だ実現していません。

このあたり、ターゲットに擬定されたエリアはちはら台同様千葉より向こうの住宅街という共通点があるわけで、ちはら台でもあまりうまく行っていない、という情報が躊躇わせているのかもしれません。

また、平和交通というか、ビィー・トランセグループの特殊性も、こうした路線の設定や存続に影響していると考えられます。

同社グループは非上場の同族企業という経営形態ゆえ、さすがに赤字経営は無理ですが、経営効率をある程度柔軟に解釈した経営が可能であるということです。
つまり、良く言えば経営哲学を優先させることで不採算路線として撤退することが回避され得るといえますし、穿った見方をすれば経営者の似顔絵(イラスト)を描いたバス停まで設置しての参入ゆえ、早期撤退は許されない、という痩せ我慢かもしれません。

「たーくん」のキャラがあちこちに


●スタンドアロンの路線設定の問題
そうした中で、指摘できるのは他社との協調が無い路線設定です。

営業権やエリアの問題がある程度柔軟に対処されている深夜急行バスで地位を築き、今回日中高速バスに展開したのですが、日中の営業となると既存の営業路線との関係が重要視されます。

特に深夜急行バスの路線を事実上トレースするような設定になったことで、今後は深夜急行バスの設定においても、それを足がかりに日中路線への展開が出てくる可能性が否定できないとして、既存事業者との相克が先鋭化しそうです。

もちろん新規バス会社の参入障壁の一つがこうした既得権益であり、競争を担保するのであれば、監督官庁は積極的にそうしたバリアを除去しなければなりません。

しかしその一方で平和交通側も相手を挑発するような設定をしているわけで、例えば「マイタウン・ダイレクト」の「ちばきたライナー」の主たるターゲットであるヴィルフォーレ稲毛付近に対し、2010年1月に稲毛区域から四街道、佐倉、成田NTを経て成田への運行となる深夜急行バスを設定してきたわけです。

ヴィルフォーレ稲毛の降車バス停

こうした他人の米櫃に手を突っ込むような露骨な設定に対しては京成バスも黙っては無く、時を同じくしてちばグリーンバスの船橋発佐倉行き深夜急行の成田延長、さらに2月に「マイタウン・ダイレクト」の深夜便の設定、そしてこの8月からはちばグリーンバスの深夜急行を再編し、両便とも都心始発にして佐倉地区の強化と、あからさまに対抗しています。

船橋始発時代の深夜急行バス(津田沼)
(2008年11月撮影。酔って携帯で撮影につき画質はご容赦)

これでは協調性の期待が出来ません。
協調性があれば、という部分の象徴として、大宮町BTがあるわけです。この大宮町BTとは大宮ICを挟んで反対側に、羽田リムジンの乗り場兼折り返し場である「大宮インター」停留所があり、さらに進むと、終着バス停でロータリーと待機場を持つ大宮団地バス停があります。

大宮IC南の「大宮町BT」大宮IC北の「大宮インター」

大宮団地での集客をするのであれば大宮団地バス停を改修すれば良かったですし、大宮インター周辺という条件が課せられていても、リムジンと「マイタウンライナー」のバス停統合は出来たはずですが、現実は大宮団地を入れて3ヶ所分立となっており、利用者不在の状況と言えます。

ターミナル然とした「大宮団地」

また、「マイタウン・ダイレクト」の成功の理由の一つに、既存事業者による運行であり、エリアへの周知広報が徹底していることで集客できたことがありますが、平和交通の場合、稲毛や幕張ベイタウンを除けばそれが期待できないわけですし、期待出来るエリアは高速バスとほぼ無関係です。

今回の路線は概ね千葉中央バスの営業エリアですが、同社も羽田−稲毛・四街道羽田−鎌取・土気・大網リムジンの運行を行い、今夏から京成バスに代わって京都行き高速バスの運行に乗り出すように、高速バス運行のノウハウはあるわけですから、もし同社と手を組んでいたらかなり展開は変わっていたことでしょう。
(※当初内陸バスのリムジンと勘違いした表記をしていました。お詫びして訂正します)


「マイタウンライナー」の運転開始は確かに衝撃的でした。
しかしその展開には「マイタウン・ダイレクト」のような「哲学」の代わりに、新興勢力の常として、既存事業者への対抗心と、自社規模の極大化が見え隠れします。

そうした戦略も「新興勢力」のうちは微笑ましくもあるのですが、「既存勢力」と伍しての一つの旗頭になった段階でそうした「ヤンチャ」がいつまでも受容されるかどうか。
特に十分な需要に裏打ちされて競争による利便性向上が期待できる局面ではなく、どちらかと言うとニッチですらあるマーケットでの「競争」は果たして利用者のメリットにつながるのか。

利用者から見たらどちらも同じ「バス事業者」というステイタスであり、きちんと永続的な事業・路線であれと思うのであり、多くないシェアを食い合うような経営戦略は遠からず利用者のデメリットとなって跳ね返って来ます。
そうした前提で平和交通に求められるのは、会社の成長に伴う経営戦略の変更ではないのでしょうか。今回の「事業拡大」は、ルビコンを越えてしまったとも言えるのです。

そういう意味では「オーナー企業」からの脱却も視野に入れる必要があるとも言える半面、岡山県の宇野自動車のように、自らを個人商店と言いながらも中堅のバス事業者としての地位を確立している好例もあるわけで、企業の変貌とクルマの両輪を描くように「マイタウンライナー」も成長して欲しいものです。


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