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銚子電鉄、瀬戸際のブレイク


2006年の終わりに突如ブレイクした銚子電鉄とぬれ煎餅。
深刻な事情ながらも、奇策に近い「支援要請」に注目が集まり、それを跳ね返すような勢いで推移しています。

この年始め、現地を訪問したうえで、足元のブーム、そして将来についてあれこれ論じて見ましょう。

取り敢えず1両分

※写真は2007年1月撮影


●突然の「緊急報告」
2006年11月、銚子電鉄のサイトのトップページに突如掲載された「緊急報告」
千葉県の東端をのんびり走る全長わずか6.4kmのミニ私鉄で「緊急報告」とは穏やかで無いですが、その内容は深刻極まるものでありながら、どこか牧歌的な響きさえありました。

「電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください」

銚子電鉄は、本業である鉄道収入のみでは到底やっていけないため、各種副業で糊口を凌いでいることは有名ですが、おなじみのタイヤキに加え、近年ではぬれ煎餅の人気が高く、電車の売上の2倍以上を稼ぐと言われており、ビジネスの常識ではもはやぬれ煎餅は副業ではなく、本業といって差し支えない規模になっています。

さてこの「緊急報告」、副業強化による売上確保というありがちな宣伝かと思いきや、続く文章を見るとかなり深刻な事態であることが判ります。
2006年度下半期に実施する車両の法定点検費用が捻出できず、このままでは元旦の初日の出対応の臨時運転のみならず、年明けには通常運行すらできなくなるというのです。

その費用をぬれ煎餅の売上でまかなう、というか、ぬれ煎餅の売り上げで費用捻出が可能という鉄道とぬれ煎餅の事業規模の格差というわけですが、とにもかくにも待ったなしの事態に追い込まれたのです。

田園風景を行く(西海鹿島)


●「緊急報告」の背景
事業規模は小さくても公共交通です。ですから運行停止に追い込まれるような事態になれば通常なら地元が困るわけで、国や自治体が何らかの支援を、通常ならそこまで追い込まれないうちに実施するものです。

しかし、銚子電鉄にはある特殊事情がありました。
もともと京成グループの千葉交通傘下であった同社は、1990年に東金市の建設業、内野屋工務店に譲渡され、内野屋工務店の社長が同社の社長を兼務していました。しかし、1998年に内野屋工務店が自己破産、さらにその社長が、無断で同社名義の借入を行いほぼ全額を着服するというスキャンダルに見舞われたため、内野屋工務店の自己破産後から継続していた県や市からの補助がストップし、金融機関の融資も得られず、やむなく同社きっての収益事業であるぬれ煎餅の販売拡大に頼ったわけです。

●さらに窮地は続く
近年はこのような不安定な経営基盤が継続していたため、保守整備もままならなかったことから、保安設備のトラブルが多く報告されるようになり、国土交通省の保安監査を受けて2006年11月24日に安全確保に関する改善命令を関東運輸局から受けており、車両の法定検査の目途が立ちつつあるなか、さらに生き残りのハードルが上がった格好です。

こちらのほうはもはやぬれ煎餅では対応できないと見て、2007年1月14日に青年会議所、商工会議所などがまとめ役となった「銚子電鉄サポーターズ」が発足し、改善命令対応の資金集めを行っています。

弱々しい軌道(本銚子−笠上黒生)


●「社会現象」化
ローカル私鉄が存亡の淵に、というケースは実は珍しくも無いわけで、2006年9月30日には岐阜県の神岡鉄道が廃線になり、そして2007年3月限りでお隣り茨城県の鹿島鉄道が廃止される予定になっています。
また、保安面で難があり行政指導を受けたり、事業を断念するケースも、2000〜2001年に相次ぐ正面衝突事故を起こして国交省から列車運行停止命令を受け、事業継続を断念して第三セクターのえちぜん鉄道として再スタートを切った福井県の京福電気鉄道があるわけで、何も銚子電鉄が前代未聞の事態を起こしたわけでもありません。

しかし、この銚子電鉄の「緊急報告」が、インターネットで伝播するとともに、銚子電鉄を救え、といううねりとなり、テレビや新聞でも取り上げられる「社会現象」となりました。
収益の要となるぬれ煎餅は注文が相次ぎ、インターネットでの販売は生産が追いつかないことが明白になり早々に中止、現地や特約店でもなかなか手に入らなくなるという状況がしばらく続いています。

名物ぬれ煎餅(犬吠)


●話題の現地を訪れるまで
2007年年始に現地を訪れてみました。
青春18きっぷが余っており、漫然と鉄道での訪問を考えていましたが、千葉まで出て、総武本線か成田線で往復、となると、現地での行動を考えるとまさに1日仕事です。

銚子どころか東京ですら帰省での限られた時間で、見どころを厳選して回っているというのに、さすがにこれは頭を抱えます。
結局他の見どころ、有り体に言えば鹿島鉄道と合わせてクルマで回ることにして、銚子市内に駐車して電車に乗車、という計画にしました。

それでも銚子は都心から120km程度の距離とは思えないほど遠く、帰路は利根川沿いにR356で佐原ICまで出て東関道か、R126で横芝光町に出て銚子連絡道路〜東金道路二期〜東金道路〜京葉道路という長丁場です。
結局後者を選択しましたが、かつて千葉交通とちばシティバスが運行していた千葉−銚子の高速バスに試乗した際、当時の高規格道路の終点だった東金道路二期の松尾横芝ICまでがあまりにも遠く、「しおさい」はおろか、古色蒼然たる113系のローカルに衆寡敵せず高速バスが短期間で事実上の撤退に追い込まれるという県内の道路事情は、銚子市や周辺そのものの苦しさを象徴しています。

これが対東京だと高速道路の区間が相対的に長くなるため、高速バスと「しおさい」の時間差は10分程度であり、高速バスは開業以来、旭経由に加えて小見川経由、佐原・小見川経由とコースを揃えて本数を大幅に伸ばしてきました。
鉄道とバスがしのぎを削る、というよりも、「しおさい」でも2時間程度という鈍足振りがこの状態を招いており、一般道区間が長く決して速くない高速バスの攻勢を許すと言うレベルの低い争いと言うのも悩ましいところです。

銚子駅で発車を待つ


●ファーストインパクト
このような状態ですから、千葉県内に住んでいた当時でも銚子への旅行はクルマと決まっており、銚子電鉄に乗ったのは、まだ内野屋工務店系列になる前のことでした。

鹿島鉄道沿線から神栖市を経て、銚子かもめ大橋で利根川を渡り、R356で市内に向かうと、R356とR126、R124が交差する銚子大橋前交差点から東芝町にかけて渋滞しているようです。
一本南側の道を通り銚子駅前に出ましたが、駅前に駐車場の案内は無く、ロータリーを回るうちに一本入ったあたりにあるのを見つけました。

銚子駅前

開放感のある駅前通りとロータリーを見て駅に入ると、改札口に銚子電鉄はそのまま入ってくださいという表示がありました。構内は共用ですから、出改札の意味がなさそうですが、JRの本数は少ないので銚子電鉄利用かどうかは見た感じでわかるんでしょうか。

エレベーターが設置されバリアフリーとはいえ、階段を渡って乗り場に行くのはやや億劫です。
ホームの犬吠側にある欠き取りホームが銚子電鉄の乗り場。南欧風のとんがり屋根の建屋がゲートになっており、小ぶりな待合室になっています。
内部には小さなショーウィンドウがあり、ぬれ煎餅やお酒、記念乗車券や1日乗車券などの宣伝がありますが、色褪せた感じの掲示がわびしいです。説明を書いた紙が何かで使ったボール紙の裏なんですが、これは手作り感と倹約感を出して、現状を考えると好印象?です。

ホーム先端の銚子電鉄乗り場中には小ぶりなショーウィンドウ

昼下がりの電車ですから、待つ人も数人。やがてやってきたのは伊予鉄道からの801形の単行です。地下鉄銀座線のお下がりが主力と聞いていましたが、1950年製、木の床という古色蒼然とした車両に巡り合えたのは幸運と言えましょう。もっとも、例の検査の関係かもしれませんが。
到着した電車からは、一瞬声を失うほどの大勢の観光客が降りてきました。降りた後も電車の写真を撮ったり、眺めたりと、さすがメディアがこぞって取り上げただけあるようです。

思わぬ混雑...


●まずは外川へ
ホームにいた車掌から1日乗車券「狐廻手形」を購入すると、ペンで有効日をさらさらと記入して渡してくれました。
車内は発車が近づくにつれて人が増え、高校生が目立ちますが、観光客にマニア系も目立ちます。

そして車内におちついて見回して吹き出しました。
いや、冗談ではありません。本当に吹き出しました。というのも、電車といえば中吊り広告ですが、きれいに広告枠が埋まったそれの大半が、インターネット発の「支援活動」なのです。

支援広告が下がる車内

有り体に言えば「2ちゃんねる」の複数の有志による企画が競作の格好になっていますが、支援を訴えるものに混じって、銚子電鉄の車両紹介のシリーズはなかなか良い出来です。
ただ、「支援系」の多くが、いわゆる「萌え系」と言うのでしょうか、その手の女性のイラストが添えられているわけで、何も知らなければ良いアクセントなんですが、「電車男」のヒットでなまじその手の「生態」が知られてしまった昨今ですと、せっかくの善意にフィルターがかかって見られているかも。

こちらも支援広告

銚子を出ると、ヤマサの工場を縫うように走り仲ノ町へ。右手の車庫には有名な凸型電機デキ3が見え、また、701形にはぬれ煎餅購入により検査が受けられた旨の謝意が掲出されていました。
さらに進むと観音。ここはぬれ煎餅を売り出す前から直営のタイヤキ販売で知られており、さらにタイヤキ用の業務用餡子の空き1斗缶でちりとりの製作・販売と、無駄なく増収と言う銚子電鉄の真骨頂を見せ付けています。

この観音で地元客の降車が目立ちます。銚子から歩けない距離ではないはずですが、ヤマサの工場の配置の関係で道路が遠回りになるのでしょうか。
ここから市街地に張り出すように迫る丘陵に分け入り、雑草がバラストの間から茂る道を行くと本銚子。ここからは海岸線の平野部ではない、段丘の上を進みます。

笠上黒生での交換。制限15kmも見えます

次の笠上黒生で上下電車の交換。下り電車が少々待つ格好で、その時間を活かして古色蒼然とした駅舎や構内、特に上りホームの裏にあるビューゲル装備の単車の廃車体を見る人が目立ちます。そうした中を少ない地元利用者が何事も無かったかのように乗り降りしていますが、誰もが歩くからか道がはっきりしている犬走りを歩いて家路に就く姿など、安全面では問題とはいえ、古きよき時代のローカル電車の光景です。

西海鹿島、海鹿島、君ヶ浜と過ぎ、犬吠へ。犬吠埼の最寄り駅として真っ先に観光整備された駅ですが、かなりくたびれた印象。女性駅員がいるようで、ホームに出ていました。
ここで降りる人が多いとはいえ、乗り潰しなのか、マニア系を中心に次の終点外川まで乗る人も多かったです。

外川駅


●銚子まで行きつ戻りつ
取り敢えず乗り通した後は、丹念に見て歩くつもりでしたが、日没もそう遠く無い時間帯でもあり、早足での散策になりました。

外川には側線があり、トロッコ「澪つくし号」が留置されています。
終点から少しばかり延びた線路の先、家並みの合間から海が見えており、そこまで行ってみたい誘惑を背に駅に戻りました。

行き止まりの向こうに海が見えます

笠上黒生と仲ノ町、そして外川は南欧調駅舎への建て替えをしていませんが、観光客が足を運ぶであろう外川の場合は敢えて残した感もあります。内部のささやかなショーケースには展示物があり、歴史を語っています。そして中吊り同様の「2ちゃんねる」のポスターが掲出されており、相当本格的な支援であることが見て取れます。

上り電車は犬吠で大勢乗り込むなか、降りる観光客もちらほら。取り敢えず全線乗って、立ち寄ると言う行程でしょうか。すぐそこに笠上黒生の駅と交換待ちの電車が見える西海鹿島で下車して、交換した電車が来るまでに海鹿島まで歩いてみます。このあたりは畑が広がる中、集落もあります。集落を縫う道を行くうちに徐々に線路と道路が離れてしまい、路地に入ってから海鹿島へは駆け足でようやく間に合いました。

今度の電車は銀座線のお下がり。犬吠で降りて駅舎内の売店へ。「ぬれ煎餅」の大きな暖簾の先に入ったのは完売を告げる貼り紙。関連商品もあらかた無いなか、観光客が歩き回っています。
せっかく来たのに何も無しと言うのも何なので、有平糖を買いましたが、あとでよく見たら「銚電の」と言うロゴと、「販売者 銚子電気鉄道株式会社」の部分がシールで貼られており、もとは小田原の業者の製品でした。まあ美味しかったからいいですが、ちょっと騙された感じです。

ぬれ煎餅は完売致しました

駅前には廃車体を使った「電車レストラン」がありますが、シーズンオフなのか閉店してます。
あとで調べると、地元のNPOが運営する福祉喫茶とのことです。なりは相当くたびれていましたが、一番人気の駅前に敢えて福祉喫茶というところに、副業も単なる金儲けではないという意気を感じ取れます。

犬吠駅舎と電車レストラン

そろそろ日が傾く時間帯、観光客も集中しているようで、女性駅員に見送られて発車した上り電車はかなりの混雑です。乗客が多く、笠上黒生と銚子の間では車掌が乗務して運賃の取りはぐれを防いでいます。

そして仲ノ町で下車。本社車庫所在地ですが、駅自体はささやか。デキ見学が出来るのですが、出札に年末年始はお休みと言う貼り紙がありました。
しかし見学している人がおり、駅員に聞くと、入場券さえ買えばOKとのこと。イラスト入りかノーマルかを問われ、イラスト入り入場券を購入して、既に薄暮時の車庫でデキ3を見学しました。

デキ3

小さな駅舎の外側、ホーム側には取り次いだ宅急便が積まれ、駅舎内にはインターネットショップなどでしょうか、ぬれ煎餅発送と見られる大きな段ボール箱が所狭しと埋めています。
横丁然とした駅前に宅配業者のトラックやワゴンが横付けされており、それを見ただけで忙しさが判ります。

時ならぬ賑わい?の仲ノ町

結局仲ノ町でもぬれ煎餅に振られ、観音へ1駅戻ってタイヤキを賞味。大ぶりで尻尾の先まで餡が詰まったタイヤキは、食べるうちに餡が噴き出すほど。たこ焼きもメニューに見えますが、しっとりした関西風であることを強調していました。
そしてすっかり日も落ち、観光客もまばらな電車で銚子に戻り、行きつ戻りつの訪問は終了。短時間ながら本銚子と君ヶ浜以外の各駅に乗降という濃い内容でした。

●銚子市街地と銚子電鉄
銚子駅そばに停めていたクルマに戻り、犬吠埼の方向へ走らせます。
東芝町から東のほうへ向かいますが、かつて国鉄の貨物線が伸びていたエリアは公園になっています。その先は旧市街が広がっており、1933年、県内2番目に市制施行した古い街でもある銚子は、古くから水運の拠点でもあることから、鉄道の開通した1897年の段階では利根川沿いに既に市街地が形成されていました。

ですから普通なら漁港、市場に直付けするはずの貨物線が市場に辿りつけなかったのですが、道路のほうも飯沼観音のあたりの市街地で複雑になっており、R356からの道路を走っていると漁港にも犬吠埼にも行けません。銚子電鉄は道路が複雑になるあたりに観音駅があり(飯沼観音から駅名を採った)、丘陵に分け入るのは前述の通りですが、このコースも旧市街地を避けて、かつ勾配を最小限に抑えて犬吠埼や外川方面に出る苦肉のコースといえます。

銚子電鉄は台地の上に出てしまうと、川口町のポートタワーと君ヶ浜、犬吠埼に対して扇の要になってしまう位置関係であり、結局川口は袖にして海鹿島、君ヶ浜と駅名は海岸沿いの景勝地を借りて犬吠に進んでいます。これは当時は銚子と比肩するくらい羽振りが良かった外川へのアプローチを考えたら、取り敢えず犬吠埼も押さえたベストのコースといえるわけです。

丘陵に分け入る(観音−本銚子)


●観光ルートと銚子電鉄
しかし、観光ルートといえば、魚市場から川口町に向かい、ポートタワー、ウオッセ21から君ヶ浜海岸を経て犬吠埼と海岸線を辿るコースとなっており、海岸線から若干離れた銚子電鉄は必ずしも観光コースに乗っていません。
さらにクルマでの観光ルートは電車と逆に外川を袖にするように、犬吠駅前で銚子電鉄と交差し、地球の丸く見える丘展望館から旧銚子有料道路を経て、R126に至るようになっていますが、クルマのルートにバスが無いというように、中途半端な状態でした。

とはいえ、犬吠埼は袋小路であり、さらに周遊コースになる犬吠駅から地球の丸く見える丘展望館へのルートはヘアピンカーブで急坂を上る区間があるなど、自動車交通に全てを委ねた場合、渋滞が激化する懸念が大きいです。
それを考えると、「初日の出」という一時に集中するイベントが最大の目玉である犬吠埼へのアプローチにおける銚子電鉄の存在意義も、たった1日ではありますが銚子観光における最重要日ゆえ大きく、ゆえに保有車両を総動員して捌いています。

ここで悩ましいのは、銚子市内では鉄道の存在意義は大きいものの、銚子までのアプローチにおいては旧態依然の総武本線ということもあり、鉄道でのアプローチに魅力がかなり欠けるのです。2000年のミレニアム初日の出の際、総武本線の利用を官民で呼びかけ、それなりに効果があったのですが、翌年はなぜか前年のような呼びかけがなかったのも、銚子までの鉄道アクセスが相当不評(遅い、古い、座れない)だったという話を聞いたことがあります。

といってもP&Rを実施するにしても、銚子駅周辺に駐車場が充分用意されているかというと、それなりにありますが案内が不十分であり、かつ駐車場自体が市街地の渋滞ポイントを抜けないとたどり着けず、このあたりの役割分担の連携のまずさも目立ちます。
目下急成長中の高速バスとの連携にしても、高速バスは銚子駅に入らず東芝町に発着していますし、かなりの便がそのまま犬吠埼京成ホテルまで直通しているわけで、連携というよりライバルなのかもしれません。

タイヤキ屋が見える観音駅


●ちばDCによる新しい波
2007年2月から4月いっぱい、ちばデスティネーションキャンペーンが県内各地で繰り広げられますが、これに伴い、現在公共交通の無いクルマでの観光コースに周遊バス「岬めぐりシャトルバス」が年内いっぱい運行されます。

銚子駅を起点に漁港から犬吠埼を経由して地球の丸く見える丘展望館まで1日7往復の運行で、一回乗車の設定はないが1日500円、2日700円のフリー券となっています。
もちろん銚子電鉄もちばDCに協賛しており、銚子電鉄のフィーダーという見方も出来ますが、観光需要という意味では完全に競合しており、かつ、これまで徒歩だった犬吠埼や、交通機関がなかったエリアに直付けすることから、銚子電鉄の利用そのものが相当食われる懸念があります。
特に、1日単位の乗車券は往路に乗ったら復路も乗れますから、単なる移動目的なら銚子電鉄を選択する理由が乏しいです。

海鹿島にて


●銚子電鉄の今後
前社長による横領事件という特殊事情が大きいとはいえ、苦境に立つ銚子電鉄に対する行政の態度が今ひとつ冷淡に見えることもあり、銚子電鉄と行政の関係がいまいち良好に見えません。
上記のちばDC協賛の周遊バスも、うがった見方をすれば「ポスト銚子電鉄」を考えた観光交通の再編ともいえます。

銚子電鉄自体が市民にとってはなくてはならない足、というわけでもないのが実情で、観光対応、というよりもむしろそれ自身が観光資源という存在になっており、行政が積極的に支援して存続させる理由に乏しいのかもしれません。
今回の訪問でも、日中は観光客が大勢乗っていましたが、日が暮れるに従って潮が引くように客が減り、銚子駅からクルマで夜の犬吠埼などを回った後で犬吠で見かけた電車は実に閑散としていました。

地元にとって不可欠でないものを残す意義が無いということもいえますが、ぬれ煎餅事業の内部補填で賄ってきたくらいの小さな事業規模が幸いして、観光対応のみでやっていける事業規模でもあり、観光地のケーブルカーやロープウェイのような位置づけで存続の道を探ることは可能です。

もちろん銚子電鉄それ自体の観光資源化という意味では、既に取り組まれており、外川に留置されているトロッコ「澪つくし号」もその一つです。
実際、風を受けて走るには程よい距離で、運転される夏には賑わうのでしょうが、未だに銚子観光においては1985年のNHK連続テレビ小説「澪つくし」がテーマになると言うのも、犬吠埼と言う一枚看板を除けばスターが少ないという裏返しでもあります。

側線に澪つくし号が留置中(外川)

今回、軌道などへの改善命令が出ましたが、これを乗り切れれば、地方の零細私鉄としては施設のレベルは必ずしも悪くは無いわけです。
特に駅施設について、銚子、観音、君ヶ浜、犬吠と内野屋時代にリゾート鉄道となるべく大きく手を入れているのは大きく、最後に横領で苦境に立たせた同社経営時代でも、唯一将来への財産となった部分です。

観光利用への対応としては、周遊バスとの競合に対し、観光地へのアクセス手段であるとともに、これまでの実績や資産を活かして、銚子電鉄自体が観光資源という色彩をさらに強めていく必要が出てきます。

●そして足元のバブルは
会社が買ってくださいとお願いしたとはいえ、ぬれ煎餅のブレイクは異常とも言える状態です。
とはいえもともとぬれ煎餅の売り上げが大きく、かつ、銚子特産の醤油を生かした名産ということで、先発のイシガミのアドバイスを受けての商品化ということもあり、ありがちな便乗商品ではなく、それだけで一本立ちできる「名産」ということが、他の鉄道会社などで見られる「グッズ」と違うところです。
ですから、舞い上がったりしなければ、「主力事業」のぬれ煎餅に関しては安泰といえます。

今回、インターネットでの支援運動が火をつけ、マスコミが取り上げて大きなうねりになりましたが、この注目をどう「軟着陸」させるかで、将来の銚子電鉄は左右されます。
盛り上がるだけ盛り上がっても、この手のブームは飽きが来るのは早く、飽きが来たところで改善命令のクリア問題が残れば、鉄道事業はまさに存亡の秋を迎えます。

このブーム、出来過ぎのような推移を見るにつけ、どうも軍師の存在を疑いたくもなりますが、ここまで広まるとコントロールできるというものでも無いでしょう。
さらに難しいのは、何か不祥事や不明朗な事態でもあったときには、インターネットではこれまでの「援軍」が一転して批判の急先鋒になることであり、好意に甘えているばかりだと、思わぬ落とし穴にはまる危険性があります。

なお、ぬれ煎餅のみならず、実際に乗車する人も相当な数のようで、車内ではカメラやビデオを構える人も多いですが、運転台脇には「この線から出ての撮影禁止」とあり、撮影の状況によっては許可が必要とあるなど、撮影が運行の邪魔になるケースもあるようですが、乗客がわれもわれもと撮影するのは、会社にとって願っても無い観光利用の増加と裏腹の関係ですから、無碍に制限することもなかなか難しく、何とか気分良く乗ってもらおうという苦悩が見えます。

仲ノ町車庫


●ネット文化との付き合い
そして、せっかく付いたインターネットでの援軍とどう付き合っていくか。「地元の足」とは必ずしもいえず、熱狂的な地元の支援が望めないなかで、前代未聞ともいえる全国からの援軍がこのままブームとともに去ってしまうのは勿体無い話です。
ネットでの支援のベースが、毀誉褒貶激しい「2ちゃんねる」だけに扱いが難しいところですが、一つ参考になるのは、敢えて「2ちゃんねる」と共存の道を選んだ北海道の沿岸バスでしょうか。

沿岸バスの 公式サイト を見ると、企業の公式サイトとは思えないような「ネット文化」が弾けており、人によっては眉をひそめるでしょうが、沿岸バスを利用するツアーに全国から参加してきたり、グッズの購入をするなど、ネットでの知名度向上のみならず、営業面で見てもプラス効果が生じていることは確かです。

今回の銚子電鉄への「新しいスタイルの援軍」をどう活かすか。
交通事業において過去に例が無い形態だけに、それを現実の企業経営にどう織り込んでいくのか。先例がほとんど無いだけに、一地方私鉄には難しいかもしれませんが、小さな会社だからこそ柔軟に対応できる可能性もあります。

そして結果如何では、地方私鉄再生の新しいモデルになるかもしれません。







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