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高架化なった京成金町線を見る


2010年7月5日、京成金町線の高架化、そして本線からの分断が完成しました。
その移り変わりと新しい設備について簡単にレポートしましょう。

高架線から高砂(金)4号踏切へ下り込む


※写真は2010年6月、7月撮影
2010年9月27日 補筆


●高架化の完成まで
京成金町線の本線からの分断、高架化に伴う新線が、2010年7月5日始発より切り替わりました。
月曜日始発からの切り替えに先立ち、3日4日の土日2日間をかけて特別ダイヤでの運行を継続しながら切り替え工事を進めたのです。

工事の傍らで運転中

高砂から複線だった金町線ですが、下り線を先に閉鎖し、高架駅からの新線をその位置に着地させたのです。分断とは言いましたが車両の留置や検査の問題があるので、入出庫用に上り線を残し、高砂地上駅へのアクセスルートを残しているのが特徴であり、そのルートを生かして特別ダイヤによる運行をしながら高架線からのルートを構築したのです。

特別ダイヤというのは、要は朝夕の高砂−柴又間での交換を排除したダイヤであり、本線との直通は残していたのが特徴です。

4番線停車中の金町行き


●切り替え工事での高砂と車内
7月3日、切り替え工事初日の沿線を見てみました。
高砂−柴又が工事区間ですが、歩いても高が知れている区間であり、取り敢えず「逆線走行」になる下り電車に柴又まで乗車して、後は歩いて戻ってきました。

金町行きの表示はわずかな間でした

高砂駅の表示は「金町」「柴又」はもはや過去のもののようで、これを機に7月17日開業の成田スカイアクセス対応の表示にしたのか、スカイアクセス関係の本設表示を隠す紙の上に、金町線関係を記載した紙を重ね貼りするという手の込んだ?対応です。

紙貼りの上にさらに「金町」の紙貼り

一部に残る鳥居式の駅名標は、つい最近字体を変える等の変更を伴う書き換えが行われたのですが、その時点では「柴又」の文字は残されており、そこまでケチらなかったようです。

新フォント変換当初柴又が紙貼りに

一方、今回この期に及んで「金町線」関係で本設になったものもあります。
ホーム上の出発信号機で、これまで4番線からしか行けなかったものが、旧上り線が上下共用になることから、3番線からの出発も可能になると言うことで、3番線のそれに「金町」の文字と信号が現れたのです。

3番線にも金町行き

金町行きに乗ってみました。
上り線を逆送し、柴又駅手前で渡り線を渡って下りホームへ。改正後も出庫車くらいしか使わなそうなポイントですが、この2日間はフル稼働です。

渡り線を通り下りホームへ入る


●切り替え工事での沿線を見る
柴又からは線路から少し入った並行道路を使い、各踏切で線路の様子を見るというスタイルで回りました。

4番線を出発した金町行き

高架線との合流地点になる高砂(金)4号踏切から高砂(金)5号踏切の間は上り線の軌道がトラックなどの乗り入れが出来るようになっている反面、この1両日、使用を停止している下り線はなぜか掘り下げられています。
この掘り下げ、後述するような理由があったのですが、その時点では路盤の強化でもするのかな、と思って見ていました。

旧下り線を掘り下げています

高砂(金)4号踏切はまさに工事の焦点。初日午後の段階で既に擁壁が立ち、バラストなどで路盤を生成している真っ最中。線路脇に詰まれたフレコンバッグはそのまま積み上げて路盤にするのか、それともバラストを取り出して使うのか。バラストを手で運ぶためのザルも詰まれています。

取り付け部分の工事

その先、高砂(金)3号踏切は新線の高架橋と旧線の踏切が並行していますが、旧下り線は高架から降りてくる路盤に遮られる格好で途絶えていました。

旧下り線はここで消えた


●新しい高砂駅
時間とともに姿を変えるはずですが、時間的な都合もありそのまま帰りました。
そして新規開業から最初の週末に新線を見てきました。

残る紙貼りはスカイアクセス用

金町線乗り場が2階ホーム5番線に変更されたことがくどいほどアナウンスされて高砂に着き、金町線用の張り紙が剥がされた格好の案内を見やりつつコンコースにでると、床に金町線乗り換えの案内表示がでかでかと貼られています。

本線側コンコース金町行きの番線が変わったという告知

エスカレーターの上った先、そして改札手前にも。きっぷで乗り継げる改札機は緑色ですが、もともと紅色だったので目立つように緑色にしたのでしょうが、この手の乗り継ぎ用改札機の色使いも各社各様と言うのも何気に不案内です。

乗り継ぎ用改札機は緑色(本線側改札)金町線改札は緑色比率が高い

自由通路を挟んで向かい合う金町線改札ですが、左手には「エキナカ」も出来、ちょっと雰囲気が違います。自由通路に金町線の発車案内が下がっているのですが、金町線改札側を向いて表示しているのはちょっと意味不明。本線などの時刻を表示するのなら分かりますが。
その金町線の発車案内は種別も行先も1種類ですから非常にシンプルです。

金町線改札を見る本線側を見る。なぜこっちを向いて金町行きの案内?

しかし、近い印象の改札からホームまでが結構あります。
地上の本線をまたぐ橋脚に渡した桁構造に線路とホームを載せたため、コンコースのレベルよりも若干高くなっているため、バリアフリー対応でスロープとしているのですが、勾配を緩和している反面、距離があります。

ホーム手前側に余裕はない。改札は結構距離が。

新ホームはシンプルな1面1線。ホーム有効長が4連分ポッキリで、延伸可能性も無い構造とあって、これまで柴又までは無理すれば6連が入れたのに、今回の分離で未来永劫金町線は4連ですと京成が意思表示をした格好です。

ホーム端部は延伸できそうにない

なお京成は7月17日改正で駅ナンバリングを導入するため、駅名標に駅番号(KS●●)を入れますが、この新ホームのそれに入っていないと言うのはなんとも不細工な話です。

駅ナンバリング未対応の駅名標


●新線を見る
高架線を下って合流するだけ、と言うと実も蓋も無いのですが、まだ路盤が固まっていないのか、本設は55km制限のところ、35km制限が掛かっている新線を下り降ります。

35km規制がかかる

あとは淡々と柴又まで。柴又で交換するパターンとなり、これまでの日中ダイヤが20分ヘッドで1編成が行ったり来たりという状況から変わりました。本数も15分ヘッドになったことで増発されており、ここは分断による不便さを最大限カバーする姿勢が見えて好感が持てます。

高砂駅5番線ホームの様子

柴又駅からまたまた歩いて戻ります。特別ダイヤ時とは違う向きの片渡りが常用されることになり(上りホーム→旧下り線)、その様子を見ながら高砂(金)5号踏切に到ると、旧下り線は掘割状にいったん下がった格好で完成形になっています。

渡り線を通り高架線に向かう

わざわざ上る前に13.2パーミルの下り勾配をかます理由は何か。焦点の高砂(金)4号踏切に来て疑問が氷解しました。

いったん堀割に入る格好で下る

高砂(金)4号踏切の地点ではなんと高架線からの下り勾配が終わっていないのです。そのまま掘割部分まで来て下り勾配が終わり、反転して上り勾配になって柴又駅に向かっています。

高砂から下りこんでくるそのまま下り勾配を保って堀割へ

高砂(金)4号踏切の地点で水平にすると、縦の緩和曲線が取れないと言うことなのでしょう。高架線へのアプローチは35パーミル。緩和曲線を取るためにもっと手前で下ろそうとすると40パーミルくらいの急勾配になってしまいますから。
しかしそのせいで、高砂(金)4号踏切は、金町線と入出庫線の形状が異なることから、道路側を通ると線路によって揺れ方が違うと言うなんとも運転しづらい構造になりました。

堀割の深さはこんなもの

高砂(金)3号踏切までの区間は高砂駅4番線からの金町線下り線は残っていますが、使われなくなって真っ赤に錆びていました。

旧下り線の様子高砂(金)3号踏切




金町線分断とともに、3300系の2編成につき、ドア横に「こち亀」と「寅さん」のイラストステッカーを貼った編成が用意されました。
この2編成が交互に走る、と言うわけでもないようで、訪問時は「寅さん」はお休みでしたが、このステッカーのスポンサーは葛飾区。キャラクターに「おいでよ葛飾」と言わせており、下町と言う観光名所を売り込む意気込みを感じます。

こち亀電車

「こち亀」はもともとコミックスですし、背景の緻密さや正確さも人気のひとつとあって、葛飾区の風景がそのままコミックスから取られていますが、「寅さん」は映画のコミックス化ということもあり、背景は写真になっています。

寅さん電車

俳優さんの肖像権などの権利関係があるのは承知していますが、「寅さん」といえば映画であり、高井研一郎氏のイラストも悪くは無いんですが、昨今の「寅さん」関係の売り出しにこのイラストが多用されるのを見ると、軽い違和感を感じます。

まあ、そんな野暮は抜きにしましょう。京成金町線は高架化になった今日も、老若男女が楽しんで、また生活の一部として今日も利用していますし、これからも変わらないでしょうから。

柴又駅進入



【2010年9月27日 補筆】

本稿を発表後、「習志野原の掲示板」でfas様からご指摘を頂戴しました。

高砂駅の「まだ路盤が固まっていないのか、本設は55km制限のところ、35km制限が掛かっている新線を下り降ります。」とした部分につき、55kmの表示は駅間最高速度であり、その下に速度制限の「35」があるので、恒久的な35km制限が存在する、とのことで、紛らわしいことに同じ35kmの臨時信号の徐行予告(三菱マークのような標識)があるため、下の「35」も臨時と勘違いしました。

これにつきなかなか確かめに行く機会がなく、ようやく確認できたのですが(分断前は本線経由で帰宅がてらに見れたが、分断後は金町線経由の移動をしないと見る機会がなく、なかなか行けませんでした)、徐行予告の表示は消えていましたが、速度制限の「35」はそのまま残っており、本設の制限速度であることを確認しました。

「35」が残っているホーム端部
柵が「板」になって見通しが利かなくなりました

ちなみに、柴又方から見ると、同様に「35」の表示がありますが、新線、旧線とも表示があり、どちらも35km制限がかかるようです。

両側の架線柱に「35」が見える







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