このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大穴と言う名のバス停
〜新京成バス拾遺その2

新京成バスの習02系統(北習志野駅−鎌ヶ谷大仏)は、習03系統などが通る古和釜十字路から一路県道千葉鎌ヶ谷松戸線を経て鎌ヶ谷大仏へ向かう系統です。幹線道路を行くとはいえ、その実態は鎌ヶ谷営業所への出入庫系統に過ぎませんが、その沿線には「大穴」というギャンブラーが好きそうな名前の停留所があります。
およそ実用とはほど遠い系統しか通らないこの停留所、かつては津田沼駅から新木戸、古和釜十字路を経由してきたバスの終点という意外な過去を持っているのです。

大穴バス停

写真は2005年8月撮影


1958年、津田沼駅から出る京成バス神崎線の一部区間と、新京成バスの船橋市内巡回線をトレードする形でスタートした新京成バス津田沼線。成田街道を新木戸まで進んだ後、大和田方面や船尾方面へ進む京成バスと別れて、県道千葉鎌ヶ谷柏線(今の県道57号線。千葉鎌ヶ谷松戸線)を北上していました。
今でもローカルムード満点の坪井町を経て、古和釜十字路で船橋、飯山満方面から豊富へ向かう通りと交差し、桑納川の上流域にあたる大穴川沿いに三咲、八木が谷方面に向かいました。

このバスの終点となったのが大穴停留所。船橋市大穴と言うと、新興住宅地でもある新京成線滝不動駅や三咲駅に近い大穴南のエリアがメインのように見えますが、そもそも大穴川と木戸川が出合う窪地となるこのあたりを指しており、1984年の住居表示施行で大穴北、大穴南に分かれるまでは、このあたりを大穴町1番地として、大穴南の高根台に接するエリアの900番台まで番地が振られていました。

車庫のある鎌ヶ谷大仏まで伸びても、入庫運用のようであり、そちらは電車で賄えるというのか、大穴折り返しが長く存続しており、津田沼駅のペデに出ずに習04系統などのバス乗り場へ降りる階段に掲げられていたバス系統の案内には、大穴折り返しが消滅してもなお長い間「大穴ゆき」の表示が残っていました。

今の大穴停留所を見ても、どこで折り返していたのかさっぱり分かりませんが、1970年代の前半、道路脇の北側の空き地か路地にお尻から突っ込む形でバスが折り返しの発車待ちをしていたのを見たことがあります。
車両はワンマンだったように記憶していますが、鎌ヶ谷大仏に入るバスはツーマンでもあり、各系統の入庫運用なのでワンマン、ツーマン入り乱れていたのか、ワンマン車両をツーマンとして使っていたのか、その当時はバスになど興味もなかったので確かめることもなくそれっきりのままで記憶に残っています。

1996年に津田沼駅−鎌ヶ谷大仏の津01系統が廃止されたあとは、かろうじて習02系統が通るだけの大穴バス停。ひなびた風景もいまやコンビニが建ち、様変わりするなかで、ここで折り返ししていたバスの記憶が静かに風化しつつあります。


鎌ヶ谷方面から古和釜十字路方向を見るこの駐車場あたりにあった空き地が折り返し場だった




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