このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

初夏の風物詩

房総急行用の165系はグリーン車付きの4連と、普通車だけの3連を組み合わせて編成を組成していましたが、3連は増結用も兼ねていたため、編成数に若干の余裕があったようです。
それを活かした臨時列車が時折設定されていましたが、冬季の千葉−河口湖間のエック専用列車「ハイランドスケート号」と並んで定番だったのが、初夏の「潮干狩」号でした。

「潮干狩」号ヘッドマーク(両国・1978年6月撮影)

遠浅の内房海岸は昔も今も潮干狩の名所です。
このシーズンは春のお彼岸の頃の大潮から初夏にかけてですが、その潮干狩需要をターゲットにしたのが快速「潮干狩」号でした。

両国から木更津までの往復。通常の快速と違うのは車両が165系付属編成を2組つないだ6連ということと、海岸にほど近い巌根にも停車すると言うことでしょう。

一方で15時台に内房線を上るこの電車、休日に運転日が限定されていなかったこともあり、通学の高校生に重宝された電車でもありました。それは何も内房線沿線に限らず、千葉から先の総武線快速として見ても、「14分間の奇跡」を演出した快速電車の空白域での一本(15時40分台の発車)であり、季節を問わず運転してほしい電車でした。

とはいえ急行が現役だった当時、165系の6連がヘッドマークを輝かせて堂々と入線する姿は「快速」離れしており、ホームの人もパタポタ式の案内には「快速」とあるのに...と当惑していたのでしょうか、駅の放送は必ずと言っていいほど、「普通の快速です。どなた様でもご乗車になれます」と叫んでいました。

千葉以西の上りでしか乗車経験は無いですが、走り自体は非常にゆったりとしていました。
ただ、デッキ付きの急行型電車は重厚で、かつ静かでしたね。

この電車の最後のお楽しみは終点の両国駅。
普段は急行電車が発着する列車ホームに到着し、複々線化前から使っているような発車案内の看板(昔の上野駅のような感じ)が並ぶ暗い通路を通って電車ホームに向かいました。
写真を撮った1978年は3番線に着きましたが、81年や82年は、急行券チェック用の中間改札があった関係か、一番奥の5番線に着いたように記憶しています。

両国駅に到着した「潮干狩」号(1978年6月撮影)




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