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総武快速線 11両編成という「迷惑」



首都圏有数の重通勤路線である総武快速線。グリーン車込み15連と言う通勤路線では限界の長編成でその膨大な需要を捌いています。
しかし、列車によっては4両少ない11連の運用がありますが、その運用は必ずしも輸送量が少ない列車が対象と言うわけではありません。
元をただせば横須賀線との直通運転開始にまで遡る「『短い』11両編成」。その典型的なケースとも言える運用を通じて利用者の「迷惑」を見てみましょう。

11両編成がやって来た


※特記なき写真は2009年5月撮影


●迷惑な11連
総武快速線に乗る時、特に日中に乗る時に気をつけたいのが「11両編成」の存在です。
その大半が15連のなか、日中を中心に一部運用が4両少ない11連になっているのです。総武快速線の編成は横須賀線久里浜側にその減車対象となる増結1号車から増結4号車、そして1号車から11号車までとなっており、中程の4号車と5号車がグリーン車となっています。

総武快速線の大半の駅は中央に通路があり、そこから前後方向に階段でホームに至る構造となっており、ちょうど中間がグリーン車ですから、グリーン車を挟んで前後どちらに向かうかを通路からホームに向かう時に判断します。

普通車の数は15連の場合で久里浜側が7両、成田空港など房総方面側が6両となっており、かつ久里浜側に連結される増結車側のほうが比較的空いている傾向があります。これは錦糸町の連絡通路が千葉側に1本多くあることや、千葉の表口の位置、また利用の多い船橋の通路が若干千葉寄りに偏っていることや、それこそ今回のテーマである11連がたまに来ると言った「外れ」リスクによるものと思われます。

一方で増結車は比較的空いていることから狙い乗車を志したのに11連が来ると、グリーン車から久里浜側には普通車が3両しかないわけで、こうなるとこちら側の混雑が著しく、まさに裏目となります。

最近はホームの発車案内には編成も表示されるようになりましたが、通路にはその情報がないことが多々あるため、ホームに出てから気がつき、これなら反対側の階段を使っていれば、と思いながら反対側に向かうこともしばしばです。

慌てて走る乗客も


●11連の起こり
そもそも1972年7月の総武快速線の運転開始時には、全列車がモノクラスの11連でした。編成は東京側から4+7の11連。当時は113系1000番台(ATC車)が充当されていました。
秋葉原乗り換えだった総武線が東京地下駅に乗り入れと言うことで、丸の内、大手町界隈のビジネスマンにとって乗り換えなしとなったことから総武線の人気は高まり、1978年3月に10編成がMMユニットを増結した13連となり、朝ピーク時の上り列車が13連化された時点で、東海道線や横須賀線の15連からグリーン車2両を抜いた編成となりました。
そして1980年10月の横須賀線直通に伴い、グリーン車2両が増結され、あわせて11連組は普通車2両も増結され、4+11の15連となったのです。

ところが横須賀線との直通は、これまで分割、併合をしていなかった総武快速線を大きく変えました。
横須賀線は4+11の15連で運用していましたが、15連が入れるののは逗子まで。横須賀、久里浜方面への運用は逗子で4連を切り離していたのです。一方の総武快速線は内房線君津、外房線上総一ノ宮、成田線成田までが15連対応駅となりました。それ以遠は11連対応で、実は13連は入れないのですが、限定運用にしていたため11連組を使うことで大原行きや、夏ダイヤの快速「白い砂」「青い海」は対応しており、編成を途中で切り離すという対応はなかったのです。
※余談ですが館山や安房鴨川までの快速電車と言うと房総夏ダイヤの専売特許と思われがちですが、1972年7月改正から1975年3月改正までの間、内房線、外房線は平休日でダイヤが分かれており、休日の一部快速は館山および安房鴨川まで延長運転していました。

この時切り離しは逗子以遠だけにしておけば問題はなかったのですが、横須賀線の輸送量は15連を終日走らせるほどでなかったことから、国鉄の輸送合理化ということもあったのでしょう、そのまま11連で総武快速線まで運用されるケースが出てきたのです。

11両編成はここまで


●11連の伸長
一方の総武快速線側も、当初は大原行きを上総一ノ宮で、また夏ダイヤの館山行きを君津で切り離していましたが、日中運用はそのまま11連で、と言うケースが増えてきました。

もともと基本編成11連に対する付属編成4連は同数以上が確保されていたため、15連を組まない理由は「合理化」以外になかったはずでした。しかし1984年2月改正で房総ローカルに利用実態を見極めて継続するかを決めるいわゆる「α列車」が増発された際、それまで東金線の一部と鹿島線でしか運用されていなかった4連(そのためもともと4連組のほうが数は多かった)が房総ローカルに進出したのです。

こののちそれまで6連オンリーだった房総ローカルは、時間帯、利用実態に応じて4連になったり、逆に4+4の8連や4+6の10連が組まれるなど多彩になりましたが、この編成替えの原資となったのがどうも快速増結車の4連組のようで、その後日中を中心とした11連化が進んだように記憶しています。

総武快速線の「編成短縮」が輸送実態を反映させたものであれば文句はないのですが、もともと普通車11両もしくは13両だったのが、9両もしくは13両というわけで、11連は普通車の定員が2両分減少しており、休日午前の上り列車や夕方前の下り列車を中心に激しい混雑が見られるケースも出ていたのです。

この嫌な傾向に一応の歯止めが掛かったのは皮肉なことにE217系の導入です。
3扉セミクロスから4扉ロングになったことで、座席定員が約3割減少したこの置き換えに際し、さすがに11連のままだとデメリットが目立つと考えたのか、11連だった列車が15連になったケースが増えました。
ひどい時は日中はほとんど11連だった印象があったのですが、若干再度の揺り戻しがあった現行ダイヤでも11連は少数派と言ってよく、その意味では歓迎すべき事項ですが、付属4連のそもそもの数が11連組より少ないため、完全15連は出来ないのが実態です。

771F停車中(津田沼)


●群を抜く迷惑運用
総武快速線における11連は日中が中心と書きましたが、1運用だけ平日の朝ラッシュ時に入っているのです。
さすがに朝ピーク時の上り列車には入っていませんが、下りに充当されているのです。さらに前後の運用もラッシュは外しているとはいえ、混雑が目立ちます。

このダントツに迷惑な11連は「71運用」であり、朝幕張を出庫してから昼前に大船に入庫するまでの4列車が11連で運用されます。
最初の1本は早朝の津田沼発千葉行きですが、そこからの3列車は11連では明らかに輸送力不足だろ、と言う列車なのです。

671F津田沼603千葉614    
670F千葉625東京703    
771F東京709千葉751成田空港848  
970F成田空港904千葉954東京1033大船1124


実は670F以下の3列車とも乗車経験があったり、実際に何度も当該列車を見ているわけですが、まず670Fはラッシュ前とはいえ、運転間隔が10分程度に開いている時間帯(ピーク時は3〜4分間隔)だけにかなりの混雑です。ラッシュ前ではありますが、早出の需要は少なくないですし、出張で使うというようなケースでは7時台の新幹線の利用はけっこうあるものです。
そして771Fは通学輸送のピークです。これに成田空港への渡航客も出国のピーク時間帯にあたるため目立つということもあり、大荷物も目立つというちょっと質の異なる混雑ぶりが指摘できます。
最後の970Fですが、これはお出かけ需要や大学生の2限目からといった通学需要が目立ちこれもぎっしり。ラッシュ後は急速に本数が減り、約10分間隔に戻っての時間帯ですからやはり厳しいです。

下りとはいえピーク時に11両編成


●なぜこの運用が
実はこの運用、113系時代から11連のままなのです。
逆ラッシュ方向とは言え、政令市で県庁所在地でもある千葉市への通勤通学輸送のピーク時に入り込む11連というのはまさに傍迷惑としか言いようがありません。

実はこの71運用ですが、夕方からもう一度出てくるのですが、こちらは15連なのです。
夕方には4連の余裕ができたということなのでしょうか。そして朝はなんとかギリギリで回せる時間帯と言うことで4連の増備増結をケチったということなんでしょうか。

それにしても数字の上では回っているのでしょうし、実際混雑が激しいとはいえ積み残しや遅延の常習犯と言うわけではないので、運用の効率化に寄与する会社思いの運用なのかもしれませんが、利用する側としてはいい迷惑です。
特にラッシュ時の対応は万全でも、ラッシュ前後になると本数は減るし編成は短くなると言った感じで混雑度合いはラッシュ時とさほど変わらないという悪慣習がまだ残っている中で、この71運用はその典型とも言えるケースでしょう。

あと4両が何とか工面できないのか。特に一時期E217系が東海道線に供出されていたこともあり、だったら4連はそのまま残せば71運用の15連化は可能でした。東海道線なら東京や横浜のラッシュに完全に絡まない運用があるでしょうし。
経営が苦しいわけでもなく、毎年大量の新車を投入しているのですから、あと4両を総武快速線の「妙な運用」を撲滅するために上乗せすることくらいできそうなものですが、すでに製造中止になったE217系と言うこともあり、難しいのかもしれません。

東海道線に捻出する余裕があったのなら...
(東京・2006年7月撮影)


●悲喜こもごも...
横須賀線と総武快速線の直通運転時に話題になったのはもっぱらグリーン車の連結問題でした。総武快速線がカバーする千葉県側に「優等車両」への需要などあるはずがない、と言った感じの懸念でしたが、30年近く経ってみると、横須賀線よりも定着している、と言う感じも出てきており、特に夕夜間の下りグリーン車に立ち客というのはその象徴でしょう。同時間帯、横須賀線の下りグリーン車はそこまで混んでいません。

しかし実際に問題だったのは、そもそもの輸送量の格差です。それが通勤圏の拡大でさらに広がったわけで、本数、両数ともにその差をどう処理するかが課題です。その象徴が11連の存在と言えます。

一方で横須賀線の逗子での切り離しが11連の元凶であると同時に、逗子で実施しているが故に東海道線などのように基本10連、付属5連にならなかったという救いもあるのです。これは逗子の電留線の構造が4連対応となっている(5連でもいいが、停泊できる編成数が少なくなる)ためであり、そのため日中の減車が10連ではなく1両多い11連で済んでいるとも言えます。

逗子の構造がネックと言う部分についてはあきらめざるを得ないのかもしれませんが、11連については何とか完全15連になるようにしてほしいものです。

逗子での分割風景





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