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サイト閉鎖にあたってのご挨拶に代えて




2005年8月12日の開設以来13年半あまり、皆様のご愛顧に支えられてきました当サイト「Straphangers' Eye」は間もなく2019年3月31日の終わりとともにその幕を閉じることとさせて頂きました。

サイト開設当初の写真。掛川バイパス有料時代の料金所



●ネットでの情報発信の趨勢を見ながら
無料ホームページサービスとして名高いGeocitiesのサービス提供終了告知が発表されたのは2018年10月1日のこと。
当サイトもGeocitiesのサービスで成立していたため、終了後の去就を検討して来ましたが、足下更新に全く手を付けられないほど当サイトに時間をかける余裕がなく、勢い移転するとして各種の作業をする時間が全く取れないことから、やむなくいったん「閉鎖」とすることに決めさせて頂きました。

当サイトの開設は、2000年8月12日の「習志野原の掲示板」開設から丸5年の節目となる2005年8月12日。同時にブログも始めており、個人サイト、掲示板、ブログと当時の個人におけるネット活動の基本形をいく構成でスタートしましたが、その後のSNSの流行、定着ですっかり個人のネット活動も様変わりしました。

少し前ですか、ICカード絡みの話題で当サイトの記事が引用された際に、「まだこんなレトロなサイトが」というコメントが付いたのを目にしたときには、時の流れを感じるとともにいつの間にか化石になっていたのかと愕然としたのですが、思い返せばここ数年は惰性で続けていたとしか言いようがない状況であり、時代に取り残されるのもある意味必然でした。
なにでまともな更新をしたのは2014年度前期が最後という有様で、それ以降にまともに更新したのは北千葉道路の定例報告くらいで、13年半のうち4年半が放置状態というひどい状態には反省しきりです。

個人のネット活動がそのツールの発展に応じた変化を遂げた結果、足下ではSNS中心の活動になっているのは当然分かっていますが、SNSが今を活写する会話のような活動には向いている反面、発表された内容を残すというコンテンツとしての発信には向かない媒体であることは確かでしょう。

当サイトのような手慰みの域はともかくとして、研究やレポートとして価値の高い情報の発信が、ネット空間にサーバーを自前で確保するといったネット黎明期のような手間とコスト負担を伴わない限り無理になる、今回のGeocities終了に先立つ同種サービスの終了の段階で少なからぬ資料的価値が高かったサイトが消滅して共有できなくなった、という状態が発生しています。そう、個人が出版業界などの媒介を経ずに直接世界に情報を発信出来たという意味では革命的だったネットの世界が今急速に「先祖返り」というか、劣化しているといえます。

一方で同人誌即売会が各地で花盛りというのは実に皮肉な話で、コミックスやアニメ、ゲーム等の二次創作のみならず、直近では研究やレポートの発表の場として同人誌即売会を活用している人も少なくありませんし、以前はネットで発表されていたコンテンツが「薄い本」にシフトしています。

一方で刊行や開催をSNSで告知することで周知を図る、日常活動をSNSで発信することで交流を深める、という状態は、それぞれのツールの特性をいいとこどりした格好ですが、コンテンツの発表が紙媒体ベースに戻るというのは、なんという皮肉なのか。原稿作成まではPC作業であっても、昔で言うところの軽印刷に近い工程など、これからはペーパーレス、ということで存続が危ぶまれていたジャンルに頼ることになるのもまた皮肉な話です。商業雑誌がネットに押されて、といわれる中、ネットでの発表に親和性が強いはずの二次創作系も、活動が「薄い本」を中心に回っている感じです。


●活動の変質と減速
そうしたコペルニクス的転換がまだ始まらない2014年度に入った段階で、当サイトは活動が急減速したので、上記のような事情が原因ではないですし、少なくとも当サイトの管理人はSNSも「薄い本」もどちらも手掛けておりません。

ではなぜかというと、実生活でまさかの事態が展開してきたことがその大きな原因です。
まあ仕事に関する話なので詳細は控えますが、実生活での大きな変化が入ったわけです。
それは今回に限りらず過去にも起きて、「利用者の視点」の内容を大きく変えていく中で、今回は当サイトに手が回らない、という重篤な副作用も生んだのです。

当サイト開設当初、いや、それまでのネット活動での情報発信は、掲示板でのオピニオンが中心でしたが、どちらかというと書生論の域であり、現地現場を踏まずに書き散らす傾向が強いという、最近では逆にそれを戒めることも多いやり方を自らしてきたと反省しています。
それが経験に基づくと言っても明らかに事例が少なく、ゆえに地元ネタ(当時は現在と同じく神戸市に居住だが)で勝負していた「習志野原の掲示板」の流れを汲む「習志野原の交通局」との間でリアリティに相当な格差がったことは否めませんでした。

もちろんそうした中でも現地現場を踏まえた議論が出来た分野もあるわけで、その代表がETCでしょうか。当サイト開設前になりますが、神戸と首都圏の間のクルマでの移動需要を前提に、2001年の全国展開に遅れることわずかで導入したことで、まさに「利用者の視点」でETCを語って来れました。
現在当たり前のように普及しているETCですが、当時見られた否定的な意見は今でこそ笑い話の域とはいえ、当時はネガティブに見ることが逆に知的批判のように受け止められる傾向すらあるなかで、ぶれずに評価出来たのは「利用者の視点」が確立していたからです。

そうしたなかで習志野原の一角に舞い戻るとともに東奔西走の毎日となり、東阪間の移動モードのヘビーユーザーになったわけです。
エアラインの上級会員となり、EX予約も駆使して行き交う毎日から見えてくる実態は、それまでの書生論からはかけ離れたものだったのです。JR東海による「のぞみシフト」や航空機の伸長を論じた際も、そもそも利用するチケット類の認識からして間違っていたわけで、交通を論じようとなど夢にも思わない人たちの日常を見当外れの議論で論じることの無意味さ、恐ろしさを感じたわけです。

繁忙期のスケジュール調整をしていると、アクセスの都合もあり残業たけなわの20時を回ると翌日の「朝一」には事実上間に合わない。あるいは数字の上では間に合っても出席者は置物ではないのですから、事前のブリーフィング等の準備時間がないのでは実際には意味がない。結局は半日スケジュールを空けるしかない。こういう現実に身を置くと、「新幹線とホテルで十分」というようなしたり顔の意見がなんと虚しく響くことか。まさに実体験でありこれが「利用者の視点」だったのです。

そして迎えた運命の2014年。東奔西走の舞台が海外にまで伸びてきた。これが時間が全く取れなくなった主因です。

TOEICのお恥ずかしいスコアに代表されるように英語のレベルも怪しいというのに駆り出され、やがてそれでも気合いで何とかなると開き直るようになってからは、ナショナルスタッフとのコミュニケーションも築けるようになり、それが奏功して乞われて訪問する機会も増えるし、別のプロジェクトでもこの国、この地域ならと声が掛かる、という好循環に恵まれている現状であり、訪問期間も勢い回数も日数も増加するというに至っては、趣味の世界に時間を満足に割けない状態になったのです。

それでもネットでの活動や存在の主張と言う意味では、SNSに軸足を移して「どこそこなう〜」とかいう選択肢もあったのでしょうが、海外となると今その国その街にいる、という情報だけでもさまざまな情報を外部に与えることとなり、企業の情報管理や情報開示のルールの中でどうしても規制されるところです。

国内も同じですが、東阪間移動のような巨大なボリュームであれば特定の行動を推察されずに紛れることも可能ですし、今回敢えて言いますが、ブログや掲示板での内容も含めて、皆様が興味を確実に示すであろうエリアへの訪問を伏せたり、「脚色」をしているケースがあるわけで、いわんや海外はタイムリーに公開することがほぼできない状態です。

そうなると比較論的、また現状としての得難い情報を入手してもタイムリーに発信することが躊躇わざるを得ない状況となり、そのまま情報がステイル化してしまうという悪循環になり、当たり障りのない内容を発信するわけにもいかず、結果として発信できるネタが枯渇する、というのが正直なところです。現場を踏まない書生論的な議論にシフトする手はあるかもしれませんが、今更コンテンツとして発信出来るわけもなく、せいぜいブログでチラシの裏のように発信するくらいの自制心は備えているつもりです。


●「素人」のあるべき姿
当サイトはトップページの謳い文句で管理人のことを「ちょっと詳しいつもりの素人」としています。この謳い文句が示すのはもちろん「利用者」のことですが、ありがちな「利用者の視点」といった表現にしなかったのは、「目線」を強く意識したからです。

さて、ネットの活動の特徴として、匿名の世界でありながら、「オフ会」、すなわちオフラインミーティングの存在があります。初期にはそうした活動に積極的に出席していた時もありますし、いわゆる「中の人」などの「専門家」「プロ」とのお付き合いもしたことがあります。
「素人」の表現はそうした「専門家」「プロ」と付き合う中で感じた「所詮は素人」の限界という謙遜とリスペクトを込めています。

しかしそうしたお付き合いが、ある時点から途絶えた格好になったわけです。
何故かと自問すれば、お互いに実社会での経験を積みそれなりに責任を持つようになると、「議論」がどうしても自分のポジションを反映することになるわけで、ややもするとポジショントークになってきます。となると、ネットの上での「熱き議論」を何で酒の席でしなければいけないのか、人間関係という意味では不毛な関係になってしまったのです。これが仕事の付き合いであれば、個人的にどう思っても仕事の話では一致するわけで、単なる趣味であればそれもまた同じ。趣味の世界のはずがそうではない、その齟齬が引っかかるようになったのです。

そして批判をしようとして、「中の人」の顔が見えるというのも引っかかったのです。無意識のうちに手心を加えて意見を曲げようとしている自分がいた。あるいは事業者などの側の事情が見えすぎることでそれこそ「忖度」が発生するわけです。
それが当サイトのフィロソフィーに合うのか。「ちょっと詳しいつもりの素人」という「利用者」は、事業者などの都合を踏まえて初めから妥協していいのか。
所詮は「プロ」ではないのですから、要求を堂々と主張することがあるべき姿ではないのか。「プロ」と「素人」のあるべき関係を意識したことが、現実の関係を意図的に断つようになった理由と言えます。

ちなみにブログ等で頻繁に「事業者無謬」「社会派諸氏」と茶化すのも、「素人」のあるべき姿をわきまえず、自分があたかも「プロ」の側と勘違いしてマウンティングしている傾向に対する違和感が原動力であり、利用者の不利益をどうして嬉々として語れるのか、という思いがそこにあります。

例えばこの手の人がその意識が高いぞとするシンボルとして夜行需要の否定、夜行列車の否定がありますが、少なくとも利用者にとっては無くて便利、利益がある、と言うことはないわけです。実際に東阪間のヘビーユーザー視点で見えてきたことに加え、海外との行き来で見えてきたことも多数あるわけで、土曜朝発の便で帰ればいいのに何で窮屈なエコノミークラスに押し込められて金曜夜の便で帰るのか。疲れ果てて結局土曜は1日中布団の中で過ごす結果になるとしてでも夜行で帰る人たちを見ると、夜行移動のニーズなどない、時代の変化だ、という主張が虚しく聞こえる瞬間です。

他方「税金で電車ごっこ」という辛辣な表現を繰り返す自分がいるわけです。これは逆に事業者目線や監督官庁目線そのものなんですが、そこにあるのは交通モードの選択、適材適所を無視した軌道系至上主義への抵抗です。
世帯を持って、それなりの収入を得て家族を養うなかで見えてくるのは、予算は有限であり、どこかが無駄に使えば必要と思うところに回ってこないということ。Aを止めればBが増えるなんて言うのはトンデモ、という呆気にとられる論旨をネットで最近目にしましたが、Bを増やすためには他の支出項目を削減するしかないということも理解できずに何を論じるのか。
鉄道だけ、というのはもちろん、交通だけというのですら「視野狭窄」なのです。

サイト開設直前の試験中に掲出していた写真。山手幹線芦屋市内

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ、と気取るつもりはありませんし、掲示板やブログを通じての情報発信は今後も続けていきます。

しかし百花繚乱、多彩なメニューを提供するSNSに対し、個人サイトと言うジャンルの終焉を強く意識させられた今回のサービス終了を含むホームページサービスの縮小傾向にとどまらず、一世を風靡したブログと言うツールもその先行きが安泰と言えないのが現実です。

実際、当サイトのコンテンツの一つとして機能しているブログにしても、サービス提供会社が新規登録の停止をしており、既存ユーザーの手前、当面は続けるにしても、遠くない将来にサービスの終了を予感させる現状です。

一方で一番古参のコミュニケーションツールである掲示板はまだまだ現役、という現状もあるわけですが、このあたり、うがった見方をすれば過去の検索が可能なコンテンツ型のツールを排除したいという「陰謀論」すら感じます。その場限りの傾向が強いSNSに、最古参ながら「ログ流し」などで検索不能になる掲示板が生き残り、検索機能があるブログや、コンテンツそのものと言える個人サイトが撤退に追い込まれる。この鮮やかなまでの対比は偶然なのか。

まあ「陰謀論」で片づけたら何でもできてしまうのも事実であり、時世時節の常として諦めるべき話なんでしょう。13年半の総括が「時世時節」ではあんまりにだと言われそうですが、素直に受け容れるにはそれくらいの自然体が必要なようです。


13年半のご愛顧、本当にありがとうございました。


2019年3月18日
Starphangers' Eye 管理人
エル・アルコン拝





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