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中国バスのワンダーランドを行く


2006年6月27日、広島県東部の中堅バス会社、中国バスは自主再建を断念し、整理回収機構の企業再生スキームを活用した私的整理・再生手続きに入りました。
事業継承のスポンサーには両備バスが名乗りを上げており、今後は両備グループとして再生していくものと見られます。

中国バスは福山市を中心に、広島県備後地区に路線を広げていましたが、自主再建に邁進する中で、2005年10月と2006年3月に大幅な路線廃止や便数削減を行ってきました。
これにより福山や尾道などから世羅郡や神石郡方面に展開していたローカル路線に大鉈が振るわれましたが、首の皮一枚でつながった路線もあります。

そういうローカル路線には、当然味のある路線が多いわけで、今夏、中国バスのローカル路線を乗り歩いてみました。

西回り東城行き(高蓋にて)



写真は2006年8月撮影


●風前の伝統ルート
広島を早朝に出る芸備線でやって来た三次駅。中国バス巡りはここからスタートです。
国道184号線をトレースするように、三次から三良坂、甲山、御調を経て尾道へ向かう路線。かつては直通便があり、甲山で分断されてからも「尾道連絡」「三次連絡」と常に直通を意識した案内が残り、市販の大型時刻表の表記も長らく尾道−甲山−三次で一表でした。

とはいえローカル色濃い甲山以北と、尾道の都市圏に属する甲山以南、特に尾道市に合併された御調までの区間では輸送量に格段の差があり、便数も甲山以北は大幅に減少します。
それでも一体として扱われてきたこの路線の大きな転機は2005年の10月。ローカル線大削減の方針の中、一時は甲山−三次の廃止が打ち出されたのです。
結局この方針は撤回されましたが、便数は削減され、観光子会社の三原交通に委託する形での存続と、見る影もない状態です。

甲山からのバスが三次駅に到着

さらに追い討ちを掛けたのが2006年3月の改正。まがいなりにも甲山で尾道方面と接続していた三次系統ですが、甲山での接続に変化が生じ、尾道発の1番が甲山に着くと三次行きは10分前に出た後。また三次発の最終が甲山に着くと、尾道行き最終が9分前に出た後と、日中はつながるとはいえ、甲山で完全分断とも言える状態になったのです。

その甲山行きに乗るべく駅前のバスターミナルに立ちましたが、広電、備北などの広島行き、松江行きの高速バスは広電の三次バスセンターに移転してしまい、長距離で駅前に入るのはJRが絡む広島−出雲市線や、夜行のニューブリーズ号などになり、あとは備北交通と、中国バス、芸陽バスのローカル系統だけとなっています。

ローカルな地名が並ぶ...

乗り場にあるバスの方面を示す看板には未だに「甲山(尾道連絡)」とあるのが今となってはわびしいです。前述の通り広島行きはここから出ず、中国と芸陽の各路線がメインの乗り場ですが、看板には広島とあります。また甲山のほか、小国(旧世羅西町)や敷名(旧三和町)といったかつては一つの自治体の中心だった集落の名前が並んでおり、時代を感じます。ここに乗り入れる芸陽バスも苦しいようで、2006年10月1日から志和地経由で敷名を結ぶ西三次線が備北に移管されています。もっとも、このあたりは三和町が三次市に合併したことで、西条の会社ではなく三次の会社が地域の足を担うようになったということでしょう。

バスカードは使用出来ません

そして時刻表を見ると、「バスカードは使用出来ません」と、福山の会社ゆえ県中央部では当たり前となったバス共通カードの利用エリアでないことを強調しています。
それでも9時26分の発車間際になると三々五々やって来て、10人以上の乗車になりました。
しかしバスのやる気なしモードは乗車前からありありとしており、三良坂、吉舎経由で甲山に向かう一本棒の路線なのに、停留所の時刻表では吉舎行きと甲山行きを別欄にしており、吉舎に行こうとしていたご婦人から「吉舎は2時間待ちでしょうか」、と甲山行きの次の吉舎行きを尋ねられたほどでした。

いざ甲山へ


●やる気のないローカルバス
やってきたのはありきたりな短尺の大型バス。
国道183号線から184号線に向かうかと思うと、三次ICを経て三次中央病院へ。ここは三次運動公園、三次ワイナリー、美術館があるエリアで、病院とレジャー施設のコラボは神戸の「しあわせの村」に似ています。バス便も地方都市にしては備北便を中心にそこそこあるのですが、ただ、この便では利用があまりありませんでした。

芸備線と交差

芸備線を乗り越えて馬洗川の手前でR184に入ります。塩町の手前の橋の名前は「美波羅(みはら)橋」、なんか暴走族の当て字みたいな雰囲気です。そして塩町の集落には入らずに、庄原へ向かう芸備線と分かれて福塩線と並行します。
三良坂のかなり手前から国道はバイパスになるので旧道を行きます。そして旧家が目立つ三良坂の市街地で数人下ろして国道に戻りました。

三良坂の街中を行く

国道に戻ったのもつかの間、再び旧道を進むことしばし、吉舎に入りました。
ここまでの区間運転があり、双三郡最後の町ということもあり三次との流動が多いのでしょう。このバスも私以外の乗客は全員ここまでで降りました。
しかし、市街地の道路が狭いのか、三良坂と違い市街を右手に望む国道を進み、市街地には入りませんでした。

さて、中国バスのやる気なしモードはますますパワーアップしています。
何を間違ったのか放送に連動するはずの運賃表示が間違っています。どうやったらそうなるのかが不思議な状態ですが、放送は三次発、運賃表示機は甲山発で案内・表示されているのです。
運転手も最初はなにやら頑張ってましたがやがて断念。どうやって運賃を授受するのかと見ていると、なんとも心臓が太いことに甲山発で表示している整理券番号でそのまま受けていました。
実は三次発は尾関山公園始発で、三次駅の整理券番号は3であり、甲山まで乗り通した私の場合、甲山発の3だと甲山−三次駅までの放送を流した時点では不足するはずですが、さすがにそれは間違いと判るのか、正しい運賃を徴収されました。もっとも回数券の購入、利用を勧められ、言われるままに1000円で購入し、そのまま投函。額面金額がちょうど区間運賃だったようです。

さらに驚いたのは両替機が旧札対応のみということ。逆に今はなき500円札に対応しています。
降車客が悪戦苦闘していると、運転手が業務用の胴乱から旧札を取り出しました。これと客が持ってる新札を交換し、両替機を通すと言う驚くべきシステムなんですが、その乗客、2人連れで合計だと1枚両替すればいいのに2枚交換してしまい、受け取った旧札を料金箱に入れてしまい運転手が声を上げていましたが、これは本来胴乱と両替機の間で行き来するだけの旧札が「料金」収入になってしまい、1000円の不突合になるから慌てたんでしょうね。

吉舎を出ると福塩線とも別れ、世羅台地に向けて峠を越えます。世羅町に入って1人乗っただけで、少なくとも甲山まで通す意義は薄く、しかも吉舎までの利用であれば福塩線でカバーできるわけで、伝統のルートが消え行こうとしている理由が見えてきます。
市街地が見えてくると世羅の中心部。合併前はこの国道を挟んで世羅町と甲山町の役場がほぼ向かい合っていたという2つの町が1つの中心街を形成していた市街地です。

「尾道、三原、(備後)矢野方面は乗り換えです」の放送とともに締めくくったバスが車庫兼バスターミナルの甲山営業所に着いたのは10時34分。ここで尾道行きに乗り換えです。

甲山営業所


●こちらは生き残る近郊区間
接続は40分発の尾道駅行き。50分には三原駅経由如水館高校行きもあり、さらに58分には広島行きの「ピースライナー」も出るとあって、古ぼけた営業所にはそこそこの人がいました。
三次からのバスが着いた時、乗り場に2台のバスがいましたが尾道行きはどれかとわからず、少し置いてようやく運転手が現れてバスが判明。

老若合わせて3人を乗せて出発しましたが、構内に「尾道行き発車します」の放送が流れたのには驚きました。
甲山は三次、尾道を結ぶR184と、上下を経て庄原と河内を経て竹原を結ぶR432、さらに上下を経て東城(上下まではR432)と、三原を結ぶ県道25号の3つの街道が交差する要衝で、県東部、中部の道路標識ではおなじみの地名です。ゆえに道路も複雑に交差して5方向への街道を分けています。

街を外れると相変わらずの田舎道。左手遠くに尾道松江線(尾道自動車道)の建設が見えますが、国道のこののんびりムードと言い、開通しても効果が出るのかどうか。
世羅町から旧御調町(尾道市)に入ると、一部便は細道に入る大和経由になりますが、この便は国道を直進。そして府中から三原久井方面に抜けるR486と出会うと旧御調町の中心です。

クロスロードみつぎ

ここではいったん右折してすぐの道の駅「クロスロードみつぎ」に入ります。
ここはささやかながらもターミナルになっており、中国バスのローカル系統のほか、広島−府中・神辺の「リードライナー」、新宿−福山・三原の「エトワールセト」も停車します。
もともとR184沿いの市営業所が運転上の中心でしたが、「リードライナー」のヒットと道の駅の開設で立場が逆転しています。

ここからはかつて尾道鉄道の電車が走っていた区間ですが、かつては尾道市との境だった一番の峠越えがあります。
国道は改修されて雄大なワインディングになりましたが、往時の電車道らしき小径も見えます。そして尾道への下り口で旧道に入り、木ノ庄の小さな集落を行きます。
ここを過ぎて国道に合流すると尾道IC。しかしまだ「尾道」まではもう一個峠を越える山の中です。

木ノ庄を行く。後方は山陽道

急に開けると木頃、そして三成。中国バスの尾道営業所はここにあり、かつて「エトワールセト」は尾道駅など旧市街に寄らずにここに停まって「尾道」と称していました。
ここからは尾道市の郊外。乗客もぐっと増えてきます。沿道も新市街のそれで、最後の「峠」も実は街の中です。

新尾道駅はそうした新市街にあり、観光地である旧市街には遠いですが、人里離れた、という駅ではありません。その新尾道駅では新幹線を受けたのか大勢乗ってきて満席に。そして長江の狭隘区間を下って千光寺の先でR2に入り、11時40分過ぎに尾道駅に着きました。
尾三地区(尾道・三原)との結びつきが強い世羅町、そして尾道市になった御調、尾道の郊外である三成などを押さえ、さらに新尾道駅のフィーダーとして機能している南半分の区間は、当面安泰でしょうが、それだけにバスカードどころか新札も使えないような設備にいつまで甘んじるのか。スクラップアンドビルドもビルドあってこそです。

尾道に到着


●想像を絶する西回り東城線
次の乗車は福山に移動して13時25分発の西回り東城行き。電車で移動するのが楽なんですが、ちょうど福山駅行きのトモテツバスがあり、ふらりと乗車。心配された渋滞もなく、小一時間で到着しましたが、やや短めの車体なのに12列、前中扉で座席定員43人は窮屈ながらも立派です。

トモテツ(鞆鉄道)バス

福山のバス乗り場は独特で、R2から駅に向かう大通りのドン突きが駅正面。しかしロータリーがなく、大通りを区切ってタクシー乗り場、バス乗り場を配置しています。R2から駅までの間が巨大なロータリーと言う見方も出来ますが、どうも変です。

乗り場の案内所ではきっぷが買えるので、両替のあの手間を考えて購入。運賃表を見ると、府中から先、木ノ山までのはずの福庄線の料金表が上下、甲奴と続いており、ローカルバスがつながっているのかもしれません。
案内所脇は高速バス乗り場ですが、人気の広島線「ローズライナー」にくわえ、今治線「しまなみライナー」の入線が近いようで、行列が長々と伸びていました。

高速バスを待つ行列

東城行きのバス乗り場は道路中ほど、東回りなどと共用です。
13時15分の東回り油木行き(R182経由)が停車中ですが、この方面、今でこそ神石高原町にまとまりましたが、この油木、三和(さんわ。旧双三郡の三和は「みわ」)、神石(および豊松)に向かうのが東回りと西回りの各線。R182経由の東回り油木、東城行きが幹線格で、県道経由で神石に向かう西回り東城行き、三和に向かう西回り油木行きがあります。

13時25分の西回り東城行きは中型車、15人ほどの乗車です。
発車5分前に中年女性が来て、お爺さんを三和まで乗せるので待ってくれと運転手に頼みましたが、「三和のどこじゃ」と運転手に聞かれても判りません。やって来た足元が覚束ないお爺さんも「惚けてしもうて判らん」と言う有様で、迎えが来てますからといわれた運転手も、それじゃ困ると困り顔。
女性が携帯で迎えの人に聞くと、運転手が懸念した通り目的地は東回りのバス停で、慌てて、しかしゆっくりと降りていきましたが、介添の女性もバスを30分発(平日の西回り)と勘違いしており、これでは介添になりません。

バスはR182ではなく一本西になるR313から県道、R486経由で新市へ向かいます。旧新市町との境になる福戸橋から旧道に入り、市街地の通行規制の関係か再び国道に回りこんで府中市域をかすめてから反対側から新市駅前バス停を通ります。そして左折するといよいよ西回りの本領、県道26号新市七曲西城線に入ります。

金丸の狭隘区間

しばらくは順調な道。そして狭い旧道に入って金丸の集落に入りますが、実はまだ可愛いものです。乗客のほとんどは新市まで、そして常や金丸まででした。リエッセが駐在する金丸車庫を出ると山間部ですが、乗客は3人。バイパスされていたr26と合流するとそのまま旧道並みのそして狭隘と言うより絶叫区間です。

次の小林区(しょうりんく)を出たところで早速対向車登場。バスは早速後退し、交換して進むとまたもや対向車。しかも今度は3台です。今度は対向車側が交換場所に近いので交代を促すと、1台は川にかかる欄干も無い対岸の民家専用の橋にバックして突っ込んでいきましたが、一歩間違えると、と思うとひやひやします。

対向車が来た...

これを皮切りに文字通り行きつ戻りつ、戻らせつつの行軍です。
「ワンマンバス運行区間です」の看板でもあればまだ心構えも違うんでしょうが、無いのもひどい話です。対岸で大規模な崩壊があり、竹や木が崩れ落ちているのを見ながら進みますが、あまりの狭隘区間に左右を見るよりも前方を注視してしまいます。
人家を見ない川沿いの細道を何度も対向車と出会いながら進みました。

神石高原町(旧三和町)に入ると道が広くなりますが、県道から分かれて集落を辿る地道に入るとまたもや絶叫区間。家々の路地のような区間を通りますが、なぜかそこにGSがあるのは、こちらが県道だった時代の証でしょうか。

高蓋付近

路地を抜けると高蓋。上下方面と三和方面との分岐で5分停車します。油木や上下方面との接続を取るポイントのようで、三和に行く青年が降りましたが、どうも彼も東回りとの乗り間違えのようです。ただ、高蓋で平日土曜は三和経由油木への接続があるようで、運転手から案内を受けていました。

乗客が高蓋から1人乗ってきましたが、あとは私だけ。金丸からの乗りと道路事情を見る限り、金丸以遠で中型車を引き回す理由は無く、金丸車庫でリエッセに乗り換えにしない理由が見えません。リエッセクラスであれば運転はまだ楽なはずです。まあおかげで全国屈指の体験が出来るのですが。

旧上下町域(府中市)をかすめるあたりから再び絶叫区間。新市付近で通ったのと同じ府中市の表記に違和感です。こんどは杉木立の中の道。落ち葉が路面を多い、路肩はガードレールって何?という感じで、嫌過ぎです。

杉木立を行く

神石高原町(旧神石町)に戻り、r25に合流してようやく絶叫区間は終わります。呉が峠で小休止となりますが、近所の顔なじみのオバちゃんが運転手に差し入れをするなど、のどかな光景です。なおJR時刻表では西回り線はここで乗り換えの表記ですが、直通します。(JTB版は直通表記)

帝釈峡

このあとは帝釈峡を通りますが、トンネルでバイパスする県道ではなく眺めの良い旧道を通るのは最後の見所です。東城の市街地に出ると東城IC脇の中国バスの東城ターミナル(といっても大阪行き高速バスが立ち寄る車庫)を経て終点の東城駅。もうすぐ16時とならんとしており、2時間半の長旅でしたが、聞きしに勝る路線でした。

東城車庫


●帰りもついつい西回り
駅前にはちょうど広島からの高速バスが到着。鉄道が広島方面が3往復、新見方面が6往復と話にならず(しかも災害で備後西城−備後落合が不通)、高速バスがメインです。東城は今は庄原市ですが、経済的には新見に近いようで、新見の催しのポスターや、阿哲、阿新(新見エリアの郡市、地域名)の文字を目にしました。

高速バスが着いた東城駅

駅の待合室でぼんやりしていると市街地循環バスが通過してゆきました。帰りのバスが2時間以上後の18時なのでどうしようかと駅を出て観光案内を見ると、クルマで7分のところに東城温泉があります。さらによく見るとさっき出ていった循環バスが通ります。
次のバスは30分後。これだと入浴時間が短く、タクシーの運転手に聞くと1200円ほどということで、行ってしまいました。
ひと浴びし、100円の循環バスで戻りましたが、備北交通なのでひろしまバスカードが使えるのはすごいですし、30分ヘッドの時間帯があると言うのもすごいです。戻った最終便は駅裏の老人施設止まりですが、駅への道を聞くと、その先で勝手に線路を横断せよとのことでした。

東回り福山駅行き

18時の東回り福山駅行きで帰ります。乗客は3人、深い渓谷に沿うR182を行きます。帝釈峡の渓谷を抱える帝釈川は実は高梁川の上流域で、東広島市域まで広がる日本海水系の江の川があったり、高梁川があったりと、広島の水系は実は複雑です。
この運転手、妙に飛ばすので嫌ですが、どうもバスの性能が悪いようで、R182の油木にかけての山岳区間(ループ橋もある)に入るとスピードが出ません。このロスタイムを織り込んでの「飛ばし」でしょうか。
途中で数少ない乗客が降りた際、例の両替でひと悶着ありましたが、運転手の台詞が振るっていて、ここのバスは全部駄目なんじゃ、と来られてはもう何もいえません。

油木の街中

18時半に油木に着くと、岡山県境の豊松行きのリエッセとならんで西回り福山行きの表示を出した中型バスがいます。西回りの接続があるかと聞くとあるとのことで乗り換えます。R182の東回りは最後まで残るでしょうし、このバスと運転手であと1時間以上は嫌です。

福山行きから福山行きへの乗り継ぎ(福山着は30分近く遅い)に怪訝そうな運転手に、乗りにきたことを告げると、最近は車庫に来るマニアも多くて、わしらよりも詳しい、と昨今の趣味事情を解説してもらえました。
ローカル区間ではこの油木や先ほどの高蓋、さらに呉が峠などの接続が結構取られているのも面白いですが、いつまで残るのでしょうか。

東西福山行き、豊松行きが接続する油木

乗客は私だけ。しばし東回りの後を追うようにR182を行き、県道に入ります。高さ制限のかかるトンネルを越え、神石高原町役場のある旧三和町の中心を経て高蓋に戻るころには夕闇が迫ります。西回りは小さな集落を縫う路線ですが、R182というメインルートを行く東回りだけでなく、神石郡の各町村が合併した神石高原町の中心(旧三和町)は西回り油木線の途中にあるし、旧神石町は西回り東城線沿い、R182だと旧油木町しかカバーできない、という微妙なバランスが東回り、西回り3ルートの並立につながっています。

神石高原町の中心街

そして再び絶叫区間ですが、薄暮時の絶叫区間もスリルがあります。役場のあたりから絶叫区間に掛けての乗客がいましたが、降りたらバス停の前の家の縁側からひょいと帰宅。誠に長閑です。
すっかり暮れた金丸でようやく里に出て、新市の手前で高蓋の先の旧道区間で乗ってきた少年が下車しましたが、ところが少年はなぜかバスの進行方向に全力で走ってゆきます。
次のバス停に父子連れがおり、なぜか前ドアを開けた運転手が「一つ手前で降りて走っとる」と伝言してましたが、なぜ降りたんでしょうか。運賃が足りなかったのか、勘違いしたのか。判っているのなら運転手も乗せてあげればいいのに。

新市では国道に出ずにまっすぐ福山方面に向かいましたが、福山発の迂回は何か一通などの規制でもあるのでしょうか。結局乗客は私1人に戻って、油木から2時間弱の行程を経て20時20分頃に福山に帰ってきました。
街中に出て余裕が出てきたのか運転手いわく、西回りならこんどは冬にぜひ乗りに来てくださいとのことですが、積雪もある中国山地の絶叫区間、どんな恐怖が待っているのでしょうか。

福山に到着



限りなくマニアックなバス旅に明け暮れた一日でしたが、かつては地方なら当たり前のように見られて、体験できたバス路線も急速に消えつつあります。
会社整理に入る以上、相当な荒療治になることは不可避でしょうから、また一つディープなバス旅を楽しめる会社が消えてゆくのです。




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