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黄昏の京都交通試乗記
京都府中北部に路線を持っていた中堅バス会社である京都交通が倒産したのは2004年1月のこと。
その後、再建手続きの着手に時間を食い、南部は京阪、北部は日本交通がスポンサーとなり再建がスタートしたのは2005年4月のことであり、南部は京阪京都交通、北部は京都交通として再スタートを切っています。
以下は再建によって消えた、往年のバス黄金時代を色濃く残していた路線への乗車記録です。
快速天の橋立行き |
この作品は「交通総合フォーラム」に掲載されたもののうち、旅行記部分を抜粋して加筆、修正したものです。
初出:2004年11月
特記なき写真は2005年3月撮影
◇イントロダクション
●古き良きバス会社の破綻
京都市の洛西から山陰線沿線へ路線を広げるバス会社である京都交通、洛西地区での積極的な展開や女性専用車の導入などが注目を集めていましたが、2004年1月に会社更生法を申請し、倒産しました。特に洛西地区で女性専用車の導入や通勤快速バスの運行などを開始したのが前年11月だっただけに、元気なイメージがわずか 2ヶ月で暗転したわけで、余計にインパクトがありました。
高速、長距離路線を除く全線に日祝日半額で乗れる「はんがくカード」の発売も、今にして思えば、2000円の先払(1000円の回数券が返って来る)を伴っていたことから、当座の現金にかなり窮していたのかもしれません。
現在は管財人の元で更生手続を開始していますが、更生計画の策定に手間取っているようで、10月末までとされていた更生計画の提出を半年延長するなど、更生法申請から一年近く経つのに未だに「身の振り方」が決まっていません。
この会社、名前は古都京都の名前も誇らしげですが、その実態は洛西地区こそ近郊ニュータウンの足ですが、その他は本社のある亀岡や舞鶴地区をメインとした2府2県にまたがるローカル路線をメインとした地方バス会社です。広島、福山、東京への高速バスがそこそこ稼いでいますが、本来は収益源となるはずの近郊路線も京都市や阪急、そして新興のヤサカバスとの競合があり、ローカル路線はお決まりの「生活路線」だから、ということでなかなか整理が出来ないまま来ていた訳で、内実は相当厳しかったようです。
更生計画の策定が延期されたのも、ローカル路線の取り扱いで地元との調整がつかなかったのが原因ですが、更生計画が出来なければ会社更生手続ではなく破産手続になってしまうわけで、会社にとっても地元にとっても苦しい選択を迫られています。
とはいえ厳しい台所事情なりの工夫も及ばず、とは必ずしも言えなかったのも事実です。この2004年10月23日に大ナタを振るった感のあるダイヤ改正を行うまで、京都市内から山陰線に並行する形で国道9号線を園部まで行く急行バスを毎時2本走らせるというような大時代的な路線を維持していたように、趣味的には古き良き時代のバス会社の雰囲気を味わえる楽しさがありましたが、経営的にはいかがなものかと首を傾げざるを得ない面が多々ありました。
東舞鶴行き特急(四条河原町) |
●試乗までの紆余曲折
さて、その京都交通の「古き良き」を代表するような路線を2つ試乗してみました。1つめは、京都駅前から亀岡駅を経由し、能勢妙見山に至る路線。そして2つ目は、阪急桂駅から国道 9号線、27号線などを通り、西舞鶴を経て天橋立に至る路線。前者は2時間、後者は3時間を超える乗車時間ですが、後者が京都縦貫道(京都丹波道路)の一部区間を通る以外は全線一般道という時代離れした路線です。
実は10月23日の改正では、後者を含む舞鶴、天橋立方面の系統の大幅減便も実施されており、その際に姿を消した四条河原町から天橋立までの路線へ試乗するつもりでいました。土日の日程が合わず、逆に改正直前の平日に休みが取れそうだったので試乗するつもりでいましたが、その日を襲ったのがあの台風23号。当初は20日を予定してましたが、台風が夜には襲来するという予報に、台風一過となるはずの21日にずらしましたが、ご承知の通り丹波、丹後エリアは未曾有の被害を受けて道路は寸断。観光バスが水没した由良川の氾濫現場近くを通る路線ですから、その路線どころか全面運休のような状態では断念するしかありませんでした。
20日であれば天橋立までは行けましたが、北近畿タンゴ鉄道の運転状況などから推測するに帰りの足が奪われてしまい、舞鶴か泥海の豊岡に取り残されていた可能性が高かったわけで、当日の人的、物的被害を思うと、水没した観光バスはまだ地元に戻るという大義名分がありましたが、敢えてノコノコ神戸から出かけて被害を受けていたら、これはいかなる言い訳も効かない軽率な行動になるところでした。
試乗のタイミングでは、交通機関は鉄道は全線で復旧し、国道も山間部だと 100番台国道ですら道路損壊で通行止が続いていましたが、主要路線、区間は一部に修復工事による片側交互通行区間を残してはいましたが開通していました。ただ、中越地震の被害に隠れた感がありますが、水害や土砂災害の爪跡は大きく、全体としては復旧とは言い難い状況であったことは、バスの車窓からも感じられました。
◇能勢妙見山行き〜京都駅から「大阪」へ唯一の路線バス
●京都側の拠点を見て
11月7日朝、阪急河原町に降り立ち、まだ開店前の四条河原町を横目に河原町通りを少し下がったところにある京都交通の四条河原町案内所に立ち寄りました。10月22日までは園部までの急行バスが起点とし、そして今も高速バスや舞鶴方面への特急バスの起点ですが、ビルの 1階に案内窓口と待合室を構えた構造は、ひと昔前までならどこの駅前にもあったような「バス乗り場」の風情です。
夜の四条河原町案内所 |
もう14年も前の話になりますが、広島への昼行高速バスに乗ったことがありますが、当時の起点は祇園営業所。四条通沿いにあり車庫機能まで有した堂々たるものでしたが、当時にして時代を感じるものがあり、スーパーハイデッカー車がまさに「掃き溜めに鶴」のように現れたことを思い出します。そういえばその路線、当時は祇園を出ると四条河原町、西本願寺前と停車して広島に向かっており、これもまた得も言えぬ味がありました。
なお、改正で消えた急行バスですが、実際には路線を大幅に短縮され、大半が京都市と亀岡市の境にある老ノ坂峠の麓にある京都成章高校前までの普通便(一部は亀岡駅を通り千代川駅まで運行)となりましたが、四条河原町をベースに五条通から道なりに続く国道 9号線を行く形態は変わっていません。(2005年4月以降は京都河原町営業所も廃止され、京都駅から七条通り経由で運行。五条経由便は桂坂などへの系統として存続)
国道本線・京都成章高校前行き(四条河原町) |
この路線、名称が「国道本線」であり、国鉄末期〜JRで各地の鉄道がダイヤ面でも「汽車」から「電車」へと近代化される前には各地に存在した幹線バスの姿をここまで留めて来たことには、経営などの難しいことは抜きにすれば、敬意を表したい気分です。
●京都駅点描
さて京都側の「拠点」を確かめると、市バスで京都駅へ。駅前の京都バスの停留所はロータリー側ではなく塩小路に面した側。京都バスの大原行きとの並びです。
紅葉にはまだ早いのですが、秋の観光シーズンということもあり、朝9時半過ぎの京都駅頭は大混雑。東山方面へのバス乗り場は、慢性的な輸送力不足の206系統に急行100系統のほか、東山七条から祇園を通り三条京阪までの臨時系統まで繰り出して捌いてますが、電車到着のタイミングのアヤか、行列が駅ビル内にまで伸びることもあります。とはいえ4台同時発車というようなこともあり、行列がほぼ解消される瞬間もあるのですが、どのバスもすし詰めです。
ただ、激しく混み合うのはこれくらいで、あとは高雄、周山方面へのJRバスが目立つくらい。京都バスの発着するエリアでは、係員が大音量のマイクで「大原三千院方面……」「嵐山、苔寺、鈴虫寺方面……」と観光名所を並び立てて案内(呼び込み?)に懸命でしたが、各便とも空席を残していました。
能勢妙見山行きのバスは、国道本線とは異なり七条通経由で阪急桂駅に向かい、そこから国道 9号線に合流して亀岡駅に至る路線のうち休日の1往復を延長したものです(京都駅発10時10分、妙見山発14時43分)。このバス停からはこの毎時2本の亀岡駅行きのほか、洛西ニュータウン周辺に向かう路線も出ており、1時間に4本見当の本数は確保されていますが、国道中山から先は亀岡駅まで前述の国道本線と路線が重なっており、確かにJR嵯峨野線とは経路が違うとはいえ、これまで亀岡までは国道本線と合わせて毎時4本があったというのも驚きです。
出入りするバスはどれもひと時代前の前後扉車。さすがにユニットサッシの二段窓ですが、スルKANはじめとするカード類には対応していません。発車の際には思わずむせ返るほどの排気ガスを出す車両もあり、このあたりも忘れていた光景です。
そうこうあるうちに亀岡からのバスが到着。休日の10時前到着とあってかなり乗ってましたが、折り返しになる妙見山行きも16人の乗車と健闘しています。
●隘路に驚き女子大生の大群に惑うこと
10時10分定刻の発車。スタフを見ると妙見山までの時刻が出ており、乗客同様運転手もトイレ無しの一般車で通すようです。塩小路から堀川通りに入り、七条通へ。すると早くも降車ボタンを押した家族連れがいて驚かされましたが、その梅小路公園前停留所、家族連れが向かう先をよくよく見ると目の前が梅小路蒸気機関車館というわけで、こういう利用法もあるんですね。
そして嵯峨野線をくぐると七条通の西行きに異変が。パーキングチケットによる駐車帯があるんですが、どこでもある縦列駐車ではなく、左端の車線が異様に広く、進行方向にほぼ直角に停めるスタイル。こんなん有りか!?と言いたくなる区間がしばらく続きます。
広かった道も月読橋で片側1車線に、さらに葛野七条から桂大橋までは一方通行区間もある1車線ギリギリの狭隘路で町屋を抜けます。ここに毎時約4本の高頻度運行というのもものすごい話です。
桂大橋で桂川を渡り、桂離宮の前を経て10時半に阪急桂駅へ。当初、なぜ西に行くのに東口発着かと訝しんだのですが、道なりに行くと東口に着いちゃうんですね。その桂駅にはこのバスを待つ長蛇の列。亀岡に行くのか、まさか妙見山、と思いましたが、その客のほとんどが若い女性。洛西ニュータウンには行かないので、なぜ亀岡、妙見山行きにこんなに女性が乗るのか見当もつかず思考回路が真っ白になってるうちにも立客が増えて、ようやく発車です。
線路沿いを行き、踏切で右折。あとでロードマップを見ると右折禁止とありますが、バスは例外のようです。対向車が途切れず躊躇しているうちに警報機が鳴るという悪循環にはまっている間、踏切の向こう側ではこっちが渡るのを待つ京都行きが足止めを食らってしまってます。ようやく渡ると桂大橋までと変わらぬような隘路。けっこう趣のある町屋が立ち並ぶ坂道を行き、反対側のバス停にはそれなりに待ち人がいるのですが、この樫原(かたぎはら)を行くルートは必要以上に時間を食うことは確かです。
街並みが途切れると三ノ宮。神戸のそれも生田神社の別宮である三ノ宮が由来であるように、バス停の前には小さな神社が。バス通りの南を並行する山陰街道に入るとすぐ国道9号線との交差点(国道樫原)で、ここからは国道を行きます。
夏に泣かされた国道9号線もさすがにここでは4車線の立派な道です。洛西ニュータウン、桂坂ニュータウンが両側に控え、ロードサイド店が建ち並ぶ様は洛南や山科同様、「古都」とは一線を画したもう一つの京都の顔。洛西ニュータウン北口バス停には丹後海陸交通の京都−間人(たいざ:丹後半島北部)の快速バスのポールが立ってましたが、市内タイプのポールとはいえ律儀に「次は宮津天橋立インター」と書いてあるのも何だかの感じです。
動きがあったのが次の芸大前。京都市立芸大があるのですが、桂駅から乗って来た女性客はここまでで、降車数を数えると実に25人。休日ですが学祭と言う様子でもなく、皆さんここの学生と言うことでしょうか、日曜の朝から登校というのもご苦労なことです。
●老ノ坂を越えて亀岡へ
次の国道沓掛を過ぎると、国道 9号線の本線はそのまま京都縦貫道(京都丹波道路)になります。かつては老ノ坂亀岡道路とも言い、国道9号線の老ノ坂峠のバイパスとしてスタートし、今は福知山方面への高規格道路として丹波町までつながっていますが、舞鶴若狭道につながり、さらに豊岡や鳥取方面につながる日は来るのでしょうか。京都丹波道路の終点から鳥取バイパスまでの間、延々と片側1車線の国道9号線が幹線流動を一手に支えているのが続く様を考えると、京都交通を大時代的とは笑えません。
バスは旧道、とはいっても現役の国道9号線に入り、老ノ坂峠へ。峠区間には霊園が多く、そのためか降車客が結構います。結論から言うと亀岡市域まで乗り通すのに匹敵する数の乗客が峠区間で降りたわけで、そうなると先の芸大前関係と合わせ、少なくとも峠のトンネルまでは需要が多いようで、園部急行が廃止ではなく京都成章高校前まで普通便として残ったのも理由があることが伺えます。
この道は、国道本線ならば亀岡(当時は亀山)城主だった明智光秀が寺町御池の本能寺へと駈け抜けたコースを逆に進む感じです。峠のトンネルの脇にある小振りなトンネルは改良前のトンネル。静岡の国道1号線岡部トンネルのような感じでしょうか。亀岡市域に入ると馬堀駅にも遠くない篠(しの)の街。京滋地区を実感するアルプラザ(平和堂)からはじまり、ロードサイド店が続きますがそれがために交通が滞りがちです。
立派な待合室(国道篠) |
「国道本線」の貫録か、園部急行があった名残か、京都方面行きの停留所は立派な待合室付きですが、これもまた時代を感じる小道具です。やがて亀岡駅への曲がり角に来ますがこれを通り過ぎ、細道を選んで右折します。そしてもう驚かなくなった隘路を行き、大本教本部を経て亀岡城址を見て亀岡駅へ。
隘路とノロノロで本来は1時間もかからない11時6分発の予定が10分以上の遅れ。京都側からの乗客はここで私ともう一人のマニア系の若者を除き全員下車してしまい、京都からの直通運行の意義はないようです。
●遥かなり能勢妙見山
ローカル然とした亀岡駅舎には「京都へ20分、 ICOCAで行こか」の目立つ看板が。キハ47系が保津峡の旧線経由で走っていた時代ならいざ知らず 113系が保津峡を貫き、快速もある現在、いかに四条河原町に直通とはいえ40分かかり、京都市内の渋滞で時間が読めないバスの出る幕はないでしょう。しかも600円以上かかるのでは400円の電車に歯が立ちません。
亀岡からは国道423号線(あの「新御堂筋」の延長線と言う扱い)を大阪府の豊能町余野へ抜けるバス路線もありますが、こちらは国道372号線から477号線を通り能勢町へ向かいます。
ところがなかなか国道372号線に入らず並行する細道を行きます。確かに集落を縫う路線は集客上有利なんでしょうが、すれ違いもままならず、一度はバックを余儀なくされるほどの隘路を通すのはいかがなものか。この先でも改良された交差点に入らず、すぐ脇の旧道を巧みなハンドル捌きで回り、鍵の手に進むなど、ここまで来たらご立派ですが理解に苦しむケースが多過ぎます。
湯の花温泉から国道477号線へ短絡する府道を通らず、国道同士の交差点まで大きく迂回し、国道477号線に入り、本梅の集落をあとに高度を上げると大阪府との府境。京都駅から「大阪府」に行く唯一の路線バスですが、かつては亀岡からのバスがこのまま国道 477号線を兵庫県川西市域を通って妙見口駅前まで行っていたそうで、府県境が入り組んでいるとはいえ意表をつく路線網です。
さらにこのひなびた風景の中に妙見口のほうからやってくる阪急バス(能勢営業所管内)のバス停が現れるわけで、これも趣味的にはわくわくするものがあります。そして先日地元の割烹のメニューの「大阪の地酒」に引かれて能勢の酒を飲みましたが、その蔵元を見つけたのはこれも収穫でした。
さてこの国道477号線ですが、妙見口までの峠越えの区間で先の台風23号の影響による路面陥没があって通行止になっています。こちらは野間口で国道から分かれ、府道を妙見山方面に向かいますが、この野間峠を経て妙見山への最終コース、南部の和泉山系ならいざ知らず、ここでこれが「大阪府」とは思えないようなワインディングです。
対向車の有無を注意深く見て、道いっぱいを使ってヘアピンカーブを登って野間峠のトンネルを通ると豊能町。余野へ抜ける道と分かれて妙見山に向かう最終コースは関西圏でも有名なハイキングコースとあってかハイカーが多く、この秋は阪急と能勢電、さらに能勢ケーブルとリフト、阪急バスに乗り放題の「能勢妙見山周遊パス」(1500円)が発売されるほどの勢いです。
妙見山上で待機中 |
山上の終点に着いたのは12時12分の定刻から約10分遅れ。私ともう一人の他、亀岡駅からの老夫婦が最後の乗客でした。運賃は京都駅から1600円と、時間相応の値段でした。ちょうど山上を兵庫県との府県境が通っていますが、ロータリーから本殿へ向かう階段の入口に府県境の印があり、ギリギリで3府県縦貫路線にはなれなかったようですが、京都駅に戻る2時間ほどの休憩のために向かった駐車場は兵庫県側で、ひょっとしたらバスが最後に回りこんだあたりも兵庫県なのかもしれません。
ちなみに京都駅への帰りは1時間43分の所要と29分も短く、これは途中の大回りや隘路を短絡しているのでしょうか。この差のほとんどが亀岡駅と野間口の間で発生していますし。
阪急バスと並ぶポール |
●インターバル
山上には余野へ抜ける阪急バスが待機中。余野乗り換えで池田や千里中央に抜けられるので、能勢電経由とはひと味違ったアクセスになります。本殿に向かおうかと歩き出したらいきなりヘリが低空飛行で舞ってます。これは山上駐車場をベースにした阪急航空による遊覧飛行。5分間で4000円と、この手の遊覧飛行としては値頃感があります。
石段を上がると星をイメージしたモダンな建築のホールがあり、山門まで来るとまたも府県境。本殿は結局名前通り能勢町にあるようです。で、不勉強ながら妙見山が日蓮宗の名刹であることにはじめて気が付きました。
実は神戸から京都、さらに能勢から天橋立行きバスが出る桂への移動などを考え、上述の「能勢妙見山周遊パス」を今回のベースにしています。参詣後、山道を軽く歩き、リフトとケーブルを乗り継ぎましたが、季節には綺麗だろうと思われる枯れたアジサイとコスモスが伸びすぎ、足下をこするリフトには、京都交通同様時代を感じました。
そしてケーブル駅に歩くと駅舎前に女性駅員、じゃなくて実は運転手が出て「出ますよ!」と催促。20分待つのもイヤなので走って乗りこみ、山麓の黒川では阪急バスのシャトル便が待っていると型にはまったような感じで妙見口まで運ばれました。
ちなみにこの周遊パス、「妙見の水」ペットボトル進呈と言いながら、購入した西宮北口駅でも妙見山周辺でももらえませんでしたし、「入場料割引」を謳うクッキングセンター(野外バーベキュー場)も「本日貸切」と、二大特典がフイになっており(まあクッキングセンターにはハナから行く気はなかったですが)、ちょっとモヤモヤが残りました。
(その後「ペットボトル」は水入りではなく、勝手に汲むための殻だと判明)
能勢ケーブル |
◇快速天の橋立行き〜「長距離路線バス」ここにあり
●非常に地味な長距離バス
能勢電、阪急京都線と乗り継いで桂へ戻ります。ちょうど乗った特急は運用数が足りないのか7000系で、なんか損した気分でした。
さて桂駅東口の乗り場は亀岡方面への乗り場とロータリーを挟んで反対側の京都駅行きや市バスと同じ場所になる駅ビルの軒下です。亀岡行き側にはよく見ると京都交通の営業所があり、待合室もあるようですが、まあこちらから出る長距離バスはこの15時30分発の快速天の橋立(京都交通はこう表記する)行き1本しかないわけで、あまり構ってもらってないようです。
舞鶴、天の橋立方面のバスは、特急、スーパー特急が四条河原町から京都駅経由、快速が阪急桂駅とターミナルを分けていますが、改正で残った2.5往復(下り2本、上り3本)の快速のうち下り 1本は四条河原町始発京都駅経由となんか中途半端です。
なお「国道本線」系統の種別は独特で、国道(下道)を走り通す急行に対し、京都丹波道路経由となる便はスーパー特急、特急の他、快速、通勤快速を名乗っており、快速が急行の上位種別になっています。
さて試乗する快速バスは桂駅を15時30分に出て、天の橋立には18時44分着。実に3時間14分の長旅です。この間、朝方通った老ノ坂峠を挟む沓掛ICから亀岡の一つ先の大井ICまで京都縦貫道に入るほかは、国道9号線、27号線、175号線、178号線とひたすら一般道を走り、クローズドドア区間はない乗降自由で、座席定員制でも指定制でもないというまさに長距離路線バスです。
一般路線バスで2時間程度の所要時間ですと、先の能勢妙見山行きのように案外とありますが、3時間となるとこれは希少価値が出てきます。
高速道路が少なく、かつ旧国鉄の長大ローカル線の廃止代行路線が多い北海道こそ、旭川−留萌−羽幌−幌延−豊富(旭川−羽幌で約4時間40分、留萌−豊富で約3時間50分)、音威子府−浜頓別−稚内で約4時間などのロングランがありますが、こうした廃止代行を別とすると、3時間の壁を越えるのは、日本一の誉れも高い十津川峡の特急バス(大和八木−新宮で約6時間半)は別格として、北海道の函館−松前、函館−瀬棚、釧路−羅臼、中部の静岡−畑薙第一ダム、四国の甲浦−高知、九州の宮崎−都井岬くらいしかないわけで、まさに絶滅危惧種といって良いような存在です。
発車を待つ快速天の橋立行き |
●いざ丹波路へ
さてバス乗り場には20分くらい前というのに数人の待ち人がいます。結果から言うと京都市内方面の京都交通バスや市バスに大半が乗ったのですが、何人かは天の橋立行きに乗るようです。洛西NT方面からの京都交通バスを見ると、亀岡から芸大前を経由してくるバスは群を抜いて混んでおり、市立芸大関係の輸送がかなり重要なポジションを占めているようです。
市内の渋滞を避ける名目での桂発着ですが、嵯峨野・山陰線や舞鶴線、宮福線が電化、高速化された現在、特急電車だと京都から舞鶴まで1時間半、天橋立まで2時間弱ですから、スーパー特急や特急バスですら舞鶴まで2時間、快速バスで天橋立まで3時間では勝負以前の問題であり、少々の遅延は承知の上で、全便を四条河原町に入れた方がまだマシなのかもしれません。しかも宮津や天橋立なら丹後海陸交通の間人快速が綾部宮津道路経由で50分ほど速いわけで、京都駅を17時半に出て天橋立が19時57分では厳しいです。
駅周辺に車庫や待機場らしきものは無さそうなので、遠く洛西NTあたりに車庫でもあるのでしょうか。定刻直前にやって来たバスは前後扉の一般タイプ。よく見ると二段サッシではなく、上部が引き違いで下部が固定の観光タイプの窓で、椅子も座面こそベンチシートですが、背ずりだけ分割されて倒れるリクライニングシート。さらにここ京都交通の象徴ともいえるのが、後部右側にあるトイレ。いわば前後扉車でトイレ付ワンロマであり、前中扉ハイデッカーという淡路交通と甲乙つけ難いユニークさですが、やはりオデコの「快速 天の橋立」が路線バス然としている京都交通が光ります。なにせこのタイプは特急便にも入り、京都縦貫道を丹波ICまで爆走しますから。
桂駅を出発 |
結局桂からの乗車は私を入れて8人。やはりと見るべきか健闘していると見るべきか。駅を出ると、亀岡方面とは違い、京都駅行きのルートに入り、桂離宮の方に戻り出しました。線路沿いに進み山陰街道に入るかと思ったんですが、右折はまずいのか。桂離宮の手前で交差する大通りを左折すれば国道9号線に至るのですが、なぜか右折。JRのアンダークロス手前まで来て山陰街道に入ったので、これで国道樫原(かたぎはら)まで行って合流とわかりましたが、道路事情があるとはいえ、「の」の字を描くようなコース取りまでして桂駅に付ける必要はあるのか。国道中山まで桂駅から12分。特急便が京都駅から19分。国道本線が四条河原町から23分ですから、阪急への乗り換え障壁を甘受するだけの時短効果が見えません。
山陰街道に入りようやくテープが流れ、このバスはダイヤ改正で廃止になった朝の便と違い、西舞鶴から普通便になることが分かりました。国道9号線に入ると、国道中山、芸大前と停まり京都縦貫道(京都丹波道路)へ。芸大前で 1人乗車しましたが、どこまで行くのでしょうか。
●夕暮れの丹波路を行く
京都縦貫道は老ノ坂峠の区間も4車線。さらに下りは登坂車線も付いておりスムーズですが、反対側は国道中山あたりを先頭にする渋滞が伸びてしまってます。この4車線は園部ICまで続きますが、そこから丹波町内、福知山市内の一部を除くと鳥取バイパスまで4車線区間がないのです。
さらに言うならば京都丹波道路は国道9号線ではなく国道478号線の扱い。厳密に言うと、国道9号線の4車線区間は五条堀川−沓掛、丹波町内、福知山市内、鳥取バイパス、米子バイパス……という体たらくなのです。
峠を越え、亀岡市街を遠望しながら進んで篠の本線料金所。ETC専用レーンがありますが、当然のように一般レーンへ。そして淡々と走って大井ICへ。ICといっても首都高のような単純なランプを降り、国道9号線へ向かう道路を行きますが、国道9号線との交差点が難所でなかなか曲がれません。これは国道が混んでいるのかと懸念しましたが、曲がった先にロードサイド店が固まっていて滞っていただけ。ここを抜けると街並みも途絶え、丹波の田園風景が広がります。
ここから八木駅前、園部駅前と停まりますが、別に駅前に入るでもなく国道上の例の待合室併設の停留所が「駅前」を名乗っています。このあたりは「国道本線」の園部急行の意地でしょうか。鉄道のフィーダーではなく、鉄道と張り合う幹線系統だという感じですが、その意地も改正まで。待合室に書かれた四条河原町行き急行バス乗り場の文字が虚しいです。このあたりは神姫バスの恵比須快速が停留所を神鉄粟生線の駅前に限定して真っ向勝負を挑んでいるのには程遠い感じでした。
園部の市街は駅前から少し入ったところ。園部大橋では折り返し場のような広場に一回入りますが、桂から40分程度ですから意外と速いです。園部大橋を渡ると園部営業所のある園部河原町ですが、かつての園部急行は「河原町から河原町まで」と紛らわしかったようです。
ここから国道9号線は山陰線と離れて福知山に至るため、西日本JRバスが同社としてはもはや数少なくなった一般路線の園福線を走らせています。同じくJRバスだった篠山への園篠線はJRが撤退し、篠山市に入った福住を境に東を京都交通、西を神姫バスが分担して引き取ってますが、京都交通はこの園篠線のバス停は「園篠線」と入った専用のものを用意しています。ちなみに、京都交通の路線が展開する2府2県、2府は京都と能勢方面の大阪ですが、2県は舞鶴から高浜方面に伸びる福井県と、この園篠線が行く篠山市の兵庫県です。意外なことに兵庫県に関しては、かつての川西市域への路線もありながら、和田山など福知山から近い但馬地方への路線はないのです。
●台風の爪跡
ここから国道9号線は丹波町にかけて、大櫃川(保津川、桂川)水系と由良川水系を分ける中央分水界でもある観音峠に挑みます。この観音峠は台風23号による被害が大きく、数日間不通になり、その間は京都丹波道路(園部−丹波)を迂回路として同区間のみの利用に限り無料開放していました。
ワインディングを登ると右側の崖が崩壊している片側交互通行区間に到達。なんとか応急の土留を作り1車線分だけ開通させたのがありありで、山肌を見ると見るも無残なほど崩れており、林道らしき道路が寸断されています。トンネルを抜けて丹波町に入っても、右側の崖崩れによる片側交互区間でふと左を見ると、国道を越えて下の田んぼに流れ出た土砂がそのままになっています。
丹波IC出口から久々の4車線区間。須知で1人乗車しましたが、この人はこのあと丹波町の町外れで下車しており、意外な区間利用です。そして綾部、舞鶴への国道27号線との三叉路の先で4車線は終わり。バスは三叉路を国道9号線側に取ったと思うと、交差点のすぐ先で、分岐点の頂点にある営業所に入るべく本線上で右折待ちをしますが、これ、後続車にとって見たらすごく迷惑なんですよね……。
この丹波町役場前(須知案内所)で3分ほどの休憩となりますが、何かあるでもなく程なく発車。ここからは国道27号線となります。
下山の手前で遥か高いところを山陰線が横切り、ここからは山陰線が並行します。右手の川は谷を穿っていますが、川辺の木々がなぎ倒され、流木があちこちに引っ掛かっているのはこれも台風23号の被害です。17時近くなり夕闇が迫る中、和知駅前に来ましたが、ここは国道から外れて旧道へ入りますが、駅前に行くのではなく、ただ旧道を通るだけのようです。もっとも、バイパスとなって段丘の上を行く国道と違い、川面に近い旧道は趣き深く、由良川にかかる沈下橋などが間近でした。
国道に戻ると綾部市の看板。このあたりのバス停の待合室には「日本海方面快速バス乗り場」という文字が。市街地が近づいた国道沿いの京都交通味方車庫は市内線の寝床のようですが、なんとも古色蒼然とした車庫です。
由良川にかかる立派な斜長橋を渡って合流するのは川西市から能勢町を通り天王峠経由でやって来る国道173号線ですが、道路陥没のため通行止の表示が出ており、山間部の復旧はまだまだのようです。
綾部駅から福知山方面に向かう道路との三叉路の突き当たりにある綾部大橋は京都交通の拠点のようで、ロータリーがあり、高速バスも停まります。放送でも綾部駅、福知山方面は乗り換えの案内が流れましたが、ちょうど綾部大橋を出て間も無く、東舞鶴から大阪梅田への阪急バスがすれ違って行きました。
●1本だけのバスを頼る人々
淡々と国道27号線を進み、舞鶴若狭道の舞鶴西ICを過ぎると西舞鶴の市街です。舞鶴は西舞鶴と東舞鶴が完全に分かれた格好で、漁港などの西に対し、軍港の東と言う感じです。西舞鶴手前のバス停で桂からの乗客がはじめて降車。こうなると丹波町内での利用はともかく、舞鶴方面まで利用するからこのバスを選択していると言うわけで、一般路線バスではあるが、利用実態は高速バスに近いものがあるのでしょう。
先に結論から言うと、ここの2人のほかは、私を含めた7人とも西舞鶴の先、天の橋立までで降車しており、東舞鶴に行く特急やスーパー特急では代替し得ない、「天の橋立行き」ご指名の利用だったのです。
すっかり夜の装いの西舞鶴駅に着いたのは17時40分過ぎ。ロータリーを回りきった案内所の前に停車しますが、どうもバスはどれもこの案内所側に停まるようで、鉄道との連絡と言う意味では少々歩かされます。ここで48分の発車まで休憩になりますが、この案内所もまた年期が入ったもので、夜の帳の中で良い味を出しています。
西舞鶴駅前(2005年6月撮影) |
ここからは各駅停車で宮津経由で天の橋立に向かいます。
さて、京都交通のバスでユニークさが際立つのが降車「ベル」です。放送でも「ベル」と言ってるのですが、他社のようにブザーでもチャイムでもないうえに、一押しで3回鳴るのです。しかも2点鐘だったり4点鐘だったりするので賑やかなこと。放送も、車外スピーカー用の「このバスは、天の橋立行きです」と次停留所がセットになっているので、運転手は車外スピーカー用の時間を織り込んで操作せねばならず大変です。
敦賀への国道27号線が右折し、左折して国道175号線に入る十字路の正面は、ここから埠頭までの国道177号線。神戸港の174号線ほど短くはないですが、こういう埠頭までの短い国道があるのも大きな港である証明でしょう。
由良川に向かう小さな峠で少年が下車。土日で京都に遊びに行っていたのか、桂でお姉さんらしき人に送られていましたが、こちらでは母親らしき人が出迎えており、乗り換え無しという安心感が少年一人の長旅をサポートしているのでしょう。
●そして終点天橋立
ふじつ温泉を経て坂を下ると由良川にかかる大川橋。突き当たりを国道175号線は左に取り、2kmほど行くと観光バス水没の現場です。この大川橋も、当日深夜に濁流に洗われており、ボートを押し立てて懸命に前進しようとしていた舞鶴統監部の海自部隊の映像が印象に残っています。
大川橋(2005年6月撮影) |
交差点付近は水害の痕跡が生々しく、乾いた泥が積もり、ガードレールが捻れ、なぎ倒されたままです。2年ほど前に天橋立観光でドライブした時には、河口が近く、なみなみと水を湛える由良川の風景が美しかったのですが、ひとたび牙を剥くと想像を絶するようです。
西舞鶴から天橋立と言うと近いイメージですが、まだ30kmほど離れているだけに小一時間かかります。由良川河口の撮影名所であるタンゴ鉄道の橋梁もはっきり見えず、バスは日本海、栗田(くんだ)湾沿いに走ります。栗田の集落では国道から外れて旧道を行きますが、ここでも降車がありました。
栗田半島の付け根を横切り、宮津湾に出ると宮津です。駅前に寄りますが、ロータリーは丹後海陸交通の縄張りのようで、ロータリー手前の路上で客扱いしてロータリーに入らず退散しますが、どうして未だにこういう利用者不在の扱いをするのか。
宮津駅で私以外の乗客は総て降りてしまい一人ぼっちに。商店街を通り国道に戻りますが、ここは中心街の小河川が氾濫したようで、あちこちに土嚢が残っていました。再び国道に入りますが、国道は文殊地区をバイパスして岩滝のほうに向かうため、すぐに天橋立の方に向かう旧道に入ります。確か右手には天橋立の松並木が見事なはずですが闇に溶け、バスは右に折れて桟橋や駐車場のある一角にある終点、天の橋立停留所に着きました。
日中は賑やかですが水害の後はどうでしょうか。火が消えた暗い街角に下り立つとバスは駐車場の方に去っていきました。まだ19時前ですから舞鶴までの帰り運用があるのか、それとも明朝の桂駅行きまで泊まり運用になるのでしょうか。
ちなみに運賃は京都駅からだと2700円ですが、確か2600円くらいだったはず。大抵の人が往復乗車券を用意しており、現金で払ったのは少数派でした。
務めを終えた天の橋立の案内所(2005年6月撮影) |
●旅の終わり
さて、バスは実は8分ほど早着しました。これはと思い天橋立駅に急ぐと、残念ながら18時37分発の特急「はしだて 8号」がスルスルと出て行くところ。しかし、43分の西舞鶴行きがまだあり(豊岡発/ここで始発の「はしだて8号」に接続)、間に合いました。バスが定時着なら1分差で乗れない列車で、当初は19時23分の西舞鶴行きに乗り、宮福線経由で福知山発は21時14分。これがなんと篠山口以南に帰れる最終で0時前の帰宅になるはずだったのが、わずかな早着で 1時間早く帰れたのはラッキーでした。
しかし、19時に天橋立にいて、神戸に0時というのは鉄道の遅さを痛感する話で、クルマなら2時間は速いのには納得が行かないものがあります。
転クロの宮津線、回転リクライニングの宮福線を乗り継ぎ、世紀の安普請電車113系3800番台で篠山口に出て、221系快速で宝塚までバラエティに富んだ道中を経て、宝塚からは「能勢妙見山パス」の最後のご奉公。ちょっと散財でしたが、趣味に走ったお好み道中でした。
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