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加越能〜射水線の夢の跡

2004年5月、「【検証】近未来交通地図」のオフ会で富山、高岡を訪れました。
せっかくの遠出、オフ会だけに費やすのももったいなく、能登を回るなどしてから前泊しており、集合時間までの時間を活かして、かつての加越能〜地鉄射水線が結んだ高岡〜富山ルートを辿ってみました。

※この作品は、「【検証】近未来交通地図」に掲載されたものを補筆、改稿したものです。


●一番電車は「アイトラム」

富山で見かけた急行「能登」


宿をとった富山を朝イチの上りで発ち高岡へ。
富山を一足先に出る急行「能登」が国鉄色ボンネット型で、当方は475系と北陸路の体質改善の遅れをしみじみと感じる瞬間です。
高岡に着き、万葉線乗り場はと見ると駅前ロータリーの一角。棒線の乗り場には既に「アイトラム」と名付けられたMLRV1000系電車が停まっています。

6時15分発の始発電車となる車内は閑散としています。運転手から「万葉線、如意の渡し1日フリー乗車券」(800円)を求めましたが、3月までの有効期限が印刷されていたのをマジックで消しています。好評ゆえ延長という見方が出来る反面、当初想定の在庫がはけていないという見方も出来るだけに複雑です。

アイトラム車内

車内は4人。私は後部車両に座りましたが、他は後者に便利な前部車両に座ってます。そのまま商店街の真ん中を行きますがこれが単線です。車内は岡電のMOMOのように凝ったつくりではなく、オーソドックスなボックスとロングの組み合わせ。運転台直後が岡電のように左右とも扉ではなく、向かって右側だけなので、左側には補助席があるのが特徴で、全体的にみて座席数は確保されている印象です。
停車ボタンが黄色に「STOP」はMOMOと一緒ですが、ブラインドはオーソドックスなものでした。

右折して、交換駅の片原町。さらに進み、道が広がった広小路から複線です。ここまでがいかにもという「中心市街地」然としてたのに対し、ロードサイド店も見える郊外然とした感じに変化します。

広小路(2005年5月撮影)

電停の時刻表を見ると、15分ヘッドは立派ですが、これがほぼ終日で、時刻表を見る限りでは「ラッシュアワー」が無いというところに現実も見え隠れします。
車内、運転台直後には液晶モニターがあり、広告や観光案内と運賃表を表示していますが、広告に運賃表と賑々しく置くのに比べるとスマートです。

旭ヶ丘と荻布の間では単線の貨物線と平面交差。日本曹達への引き込み線です。米島口は本社、車庫がありますが、道路沿いに新築?の本社はささやかなもの。もっとも、車庫側の社屋は現業部門が入っているので結構立派です。(古めかしいですが)

ここから専用軌道になって氷見線、そして新湊線(跡の引き込み線)を一気にまたぎます。と、降りて来た能町口でまたまた併用軌道へ。工場地帯の中の普通の道路の真ん中を電車が行く様は言い様の無い雰囲気。

能町口の先の併用軌道区間

片原町同様安全地帯の無い交換駅である新吉久ですが、そのかわりというか道路沿いには立派な木造の待合室があります。吉久では海王交通のバス停を見て、次の中伏木の手前で再び専用軌道になります。
併用軌道はけっこう手が入っており、乗り心地も悪くは無い印象でしたが、専用軌道の整備はまだまだで、バラストは薄く枕木が浮いており、軌間狂いも見て取れ、乗り心地も悪いです。もっとも、名鉄美濃町線あたりに比べればマシなんですが...

かつては富山地鉄との境界駅だった六渡寺(旧新湊)からは「鉄道」区間に入りますがさしたる変化はありません。そして庄川を渡ると新湊市の中心街に入ります。新湊市域に入ると、「万葉線」の名の興りとなった大伴家持の歌を紹介する看板が電停に掲げられ、アクセントになっています。

六渡寺にて。軌道状況は悪いです

新湊市役所前は交換設備撤去の跡が痛々しいですが、発車時にベルが鳴ったところを見ると折り返し対応が可能なように閉塞を区切っているんでしょうか。市役所前を出ると海王交通の車庫を見て進み、中新湊ではコミバス連絡の放送も流れ、太い、大きいとは言えない地域交通が手を取り合っていますが、車内、最大で6人まで増えた乗客もここで私を除く全員が降りました。

ここを過ぎると富山新港で区切られた「半島」に入ります。日本高周波の工場の高い塀が圧倒する東新湊は正門のまん前が駅。ならば利用も少しはあるかと思うんですが、もう7時近いわけで、三交替の一勤にはやや遅いです。ここまで日本重化学やJFEマテリアルの工場もあったのですが、工場地帯を縫う割りには勤務形態と無関係にダイヤがある感じもしなくは無いわけで、今回は見れませんでしたが、常昼勤務の出勤時などに見てみたいものです。

海王丸パークの海王丸

海王丸パーク最寄の海王丸を過ぎると、廃駅跡が見えますが、これが越ノ潟口の跡でしょう。6時56分に越ノ潟に着きましたが、はじめての路線であっという間に感じた時間が41分というのも現実でして、全長12.8kmですから表定速度は実に18.7kmにしかなりません。
ちょうど県営渡船が着き、3人が「アイトラム」に乗り込みましたが、土曜の朝、まだ起きやらぬのでしょうか、街も電車も閑散としてました。

越ノ潟に着いたアイトラム渡船は目と鼻の先



●県営渡船〜地鉄バス

富山新港の開口部を結ぶ県営渡船は無料。朝夕は10〜15分ヘッド、日中は30分ヘッドでの運航。深夜帯も運航してましたが、この4月から経費削減のため海王交通のワゴンタクシー代行になってます。ちなみに代行車両は、堀岡古明神など東側の「半島」の付け根で乗降でき、かつ、西側は中新湊が起終点となっており、運行距離の削減と、本来は歩くか自転車の部分もサービスと言う両得の運用です。(越ノ潟駅前へはデマンド運行)
待合室には日英、そしてロシア語の案内があり、環日本海の国際港らしい光景。乗組員が現れ、渡り板をウインチで巻き上げると出航です。

注意書きは日・英・露の三ヶ国語...県営渡船「こしのかた」

最初、双頭船かと思っていたら桟橋を少し離れると方向転換しており、オーソドックスな作りのようです。淡々と水路を渡り、対岸の堀岡までは約5分でした。

堀岡の船着場はかつては地鉄射水線が来ていた訳ですが、今はバスのみ。その新港東口は地鉄バスに海王交通の代行車両、さらに新湊市のコミバス「カモン」のポールとにぎやかです。

代行車両のポール(堀岡)

やがて都バスに似たカラーリングでお馴染み?の地鉄バスが到着しました。
7時10分の富山駅行きは、旧射水線跡の専用道経由便。高岡から富山まで、かつての加越能、地鉄のルートを追うわけですが、「アイトラム」からの接続というなかなか嬉しい接続には早起きのしがいがあると言うものです。
(注:現行ダイヤでは高岡6時15分発はアイトラムではない)

新港東口は私ともう1人で発車。古い街並みが続く堀岡の街を走りますが、新港建設までもそこそこの集落だったようです。
右手には射水線跡のサイクリングロードが見えてきます。左手は海のはずですが、案外離れていて見えませんし、その先も堤防に妨げられて全く見えないのにはがっかりでした。

停留所ごとに乗ってくる感じで、乗客は意外と増えて、20人以上を数えました。バスはこれが新港の両岸を繋ぐ新湊大橋の受け皿かというくらい細いR475を進み富山市に入ります。四方口で射水線ルートとはいったん離れ、バスは布目経由で富山に向かいますが、「専用道経由」ですから当然射水線跡に戻ります。そう、布目を過ぎ、八町でR8富山高岡バイパスに入り、四方からの射水線跡に戻るのです。

専用道入口。25km制限の標識が立つ最初の遮断機。すぐ先が八ヶ山の停留所

そして住吉内山邸口を出るといよいよ専用道。入口に看板が立っているだけで、これじゃ入り放題では、という感じの入口です。バス専用ゆえか「25km制限」という一般道ではまずお目にかかれない標識が立っています。と、次のブロックの手前にセンサーがあり、お目当ての遮断機が見えます。バスがセンサーを通過して一呼吸置いて遮断機が上がり、専用道側の信号が青の直進矢印を現示します。

幾多の写真でお馴染みの旧駅跡の専用道八ヶ山停留所を通過すると、掘割に築堤と鉄道気分全開ですが、すぐに住宅街に入ります。そして、専用道とは言え、住宅の関係で地元利用は一部黙認されているようで、センサーや遮断機をさける迂回路がある区間もありました。
そして北陸線をまたぐ陸橋にかかり、降りると遮断機を通り都市計画道路のような感じの道路に合流しました。

北陸線、高山線をひとまたぎ専用道の出口

かつてはさらに専用道区間があったようですがここまで。八ヶ山のバス停には「次は富山北口」とありましたが、実はこのバス停はもう無く、田刈屋南口、畑中(両方とも正確な名称失念)と通り、神通川の土手道に入ります。電車通りの手前にこれら系統専用の「新富山」バス停があり、バスはそのまま富山大橋に何事も無かったかのように入って行きました。


●専用道散策

新富山で降りて、取り敢えず来た道を引き返します。5分後に四方からの専用道経由、55分後に新港東口からの専用道経由が来ますが、これが土日の専用道経由の総て。平日も6本しか無いわけで、なんとも贅沢な利用法ですが、集落に背を向けた専用道経由を増やしても利便性は必ずしも高まらないというところでしょう。

取り敢えず八ヶ山まで戻り、55分後のバスをつかまえるつもりで歩きました。最後の区間はただの土手道ですからこんなことなら田刈屋で降りておけば5分後のバスが出てくるところを撮れたとぼやきつつ歩きますが、朝の川沿いは散歩と考えればいいものです。

高架を降りた出口の「踏切」に着き、ここから専用道を探検します。専用道は歩行者も通行止なので、つかず離れずの道路を歩きながらウオッチ。交差する一般道から専用道を見ると、路地との交差点に信号とはなぜ?という感じで、入口側の踏切を予備知識無しで見ると確かに異様です。

路地の信号を道路側から見る専用道側から見るとこんな感じ

並行道路が離れるあたり、見ていると自転車や散歩の人がけっこう通ってます。バスは私が乗るバスまで来ないですから、結局悪いこととは思いながら専用道を歩いて見ました。

八ヶ山への道中。周囲は意外と住宅地

ほどなく八ヶ山。掘割の底のなんともうらぶれたバス停ですが、バス停側と反対側に築堤に上がる階段があり、これが昔の駅へのアプローチルートだったのでしょう。
時間があるので専用道の入口まで歩きます。

最初の区間だけ遮断機が無いのはなぜと思いましたが、見ているとクルマの通り抜けの多いこと。もちろんルール違反ですが、遮断機が無いから通るのか、通り抜け需要を黙認して遮断機を付けていないのか、微妙な感じです。

さび付いたポール(八ヶ山)
八ヶ山全景バスがやってきた...


八ヶ山に戻り、バスを待ちます。やがてやって来たバスは座席が埋まって座れなかったのにはびっくり。
昭和55年の廃止まで朝は3連、4連が走っていただけあって、そこそこ需要はあるんでしょうね。
まあ座れなかったのを奇貨に、通路から「青矢印信号」をスナップ出来ましたから、それはそれで良かったんですが。

先程の路地の交差点。信号は青矢印表示

見てると時間が遅いせいもあって専用道を歩く人が格段に増えています。高架橋でバスを避ける人までいた時にはさすがにやり過ぎとは思いましたが。
再びの新富山でまたまた下車。射水線のターミナルだった新富山駅跡の空き地を見ましたが、市内線への連絡線跡の痕跡を探すのを忘れてました...

新富山駅跡市内電車で富山駅前へ



●ふたたび高岡へ

富山に電車で出て、またまた地鉄バス〜渡船〜万葉線でオフの集合場所でもある高岡に戻ります。
新港東口へのバスは、本来は大学前電停を通り呉羽山公園の南を通り、八町に至ります。朝の富山行きの盛況がウソのように空いてましたが、四方まで事実上布目経由と八幡経由の2系統というのが過剰なんでしょうね。

新湊市域に戻ると乗ってくる客も。結論から言うと渡船から万葉線に乗り継いでおり、そういう流動も細々でしょうがあるようで、このルートもそれなりに機能しています。
終点の堀岡近くに差しかかると、目の前、集落の屋根越しにコンテナが動いています。新港開口部を大型のコンテナ船が横切っているのですが、なんとも不思議かつ異様な眺めでした。

大阪のように自転車の利用が目立つ渡船から乗り継いだ万葉線は旧型車。車内には庄川大橋を渡る3連の電車の写真が掲出されていましたが、地鉄2両、加越能1両とあり、電車自体はそっくりなので、一体運用のような感じだったのでしょうか。

普通の電車はこんな感じ(2005年5月撮影)人気のネコ電(2005年5月撮影)

このあと、行きつ戻りつして高岡市内片原町まで帰ってきましたが、乗客はどの電車も1桁。「アイトラム」との格差が激しく、冷房も無くステップも高い「前近代的」な電車をどうやって置きかえるかが今後の鍵でしょう。

一方で米島口で降りて車庫を眺めたんですが、レールファンが数人訪れており、また、タクシーで乗りつけてくるレールファンもいるわけで(運転手から、「新型電車は次は何時ですか?」と聞かれた。昼まで休みと聞いてがっかりしてましたが)、その方面への注目度は高いのですが、それが継続的な利用につながるとは思えません。

もっとも、岡山のMOMO同様、「アイトラム」への注目はファンならずとも大きく、車内から見ても市民の目を惹いていることは確かです。酷評すれば年増の厚化粧ならぬ、のネコ電の人気も高いわけで、いわんや中身も優れている「アイトラム」は電車に目を向けさせる切り札になることは確かでしょう。

米島口車庫

ちなみに、車内掲出の運賃表は、三角表なんですが、XX−●●の見方として、両駅から伸ばした交点の数字を見るという案内付きなのは親切です。ちなみに三角表のスタイルが、左下や右下を頂点にした一般的なものではなく、右を頂点にした通常より45度曲がったしゃれたデザインでした。

あと、小児運賃についての案内が秀逸?で、乳児は無料、幼児は大人1人につき1人まで無料という案内をいろいろなケースを例示してしていますが、その最後、「大人1人、乳児5人→大人1人分」っていうのは爆笑です。そんな乗客がいたら見てみたいもので、なんかウケを狙って書いた感じがします。

市内の併用軌道区間(2005年5月撮影)安全地帯が無い片原町

安全地帯の無い片原町で下車し、御旅屋(おたや)のアーケード街を冷やかしながら駅前に向かいました。
デパートも含めて活気がいまいち無く、デパートのディスプレイも前日夕刻に見た金沢とは段違い。もっともこれは富山市街も同じであり、金沢指向、金沢集中が伺えます。

駅前の「すえひろーど」もいま一つの感。駅前の一等地に出来たこの4月に出来たばかりの再開発ビル「ウィング高岡」も、よく見ると仰天モノでして、「テナント」がホテルはともかく、あとは県立志貴野高校、中央図書館、生涯学習センター、県民カレッジ...と公共施設です。これが駅前の角地に陣取っているわけで、こんな都市を見たのははじめてで、どういうコンセプトの都市再開発なんでしょうか。

街の核になるエリアにみんなが集まれる公共施設、という「健全」な発想をする市民団体を見ることがありますが、それを具現化した高岡市がその先駆者となるのか、失敗例となるのか、今後が楽しみです。

高岡駅前に進入するアイトラム


5時間半ぶりに駅に戻り、そこからはオフ会でした。



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